名古屋市北区の歴史・文化年表|名古屋の塗装工事専門店 小林塗装

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名古屋市北区の歴史・文化年表について

名古屋の塗装店小林塗装店主小林ゆずが「名古屋市北区の歴史年表」を名古屋の歴史年表に続いて、小林塗装店主である小林ゆずがNHK教育テレビで放送されていた社会科番組『たんけんぼくのまち』のノリで、名古屋市北区が現在の姿に至るまでの歴史を独自の視点で年表を作成して、自分自身も勉強できればいいなぁと思い、大人から子供まで誰が見ても分かりやすい様にまとめました。
名古屋市北区の歴史や文化に興味のある方はぜひご覧ください。
小林塗装は、こういった名古屋市北区の歴史やルーツをよく知って、北区という地域に根差したお値打ちで、なおかつハイクオリティーな塗装工事を行う事を目指しています。
なお、この名古屋の歴史は、16区にわたって順次作成するつもりなので、他の区の歴史もぜひご覧ください。

 古代~中世~戦国時代    明治時代   大正時代   昭和時代   平成時代 

名古屋市北区 年代ごとの歴史

 古代~中世~戦国時代 

1,000万年~200万年前
・ 北区周辺は、東海地方にあった東海湖の湖底でした。

約20万年前
・ 北区周辺は、旧木曽川の川底と考えられています。後に周辺が海退する事で名古屋台地が出現しました。

約15万年前
・ 第三間氷河期の北区周辺は、海水が陸地の奥(北区周辺)まで進出し、海の底と考えられています。

6万年前
・ 名古屋北部の大曽根面~鶴舞付近が庄内川、若しくは矢田川(古矢田川)の浸食によって形成されました。

縄文時代後期~弥生時代
・ 名古屋市北区から西区にかけて広がる西志賀遺跡、(西区庄内川南側の標高3mから4m程度の微高地に発達した遺跡。 現在の西区貝田町から北区西志賀町のあたり)で人の生活が営まれはじめました。
西志賀遺跡をはじめとする弥生時代前期の遺跡からは、弥生文化が伝来した象徴であり、西日本からの稲作文化の伝播を示す遠賀川式土器(おんががわしきどき)などが多く出土しています。

・ 北区の平手町遺跡周辺(平手町1丁目にある標高5m程度の沖積地=現在のクオリティライフ21城北付近)で人の生活が営まれはじめました。
ちなみにこの地域に住み始めた人々は、航海術に長けた海人族(あまぞく)でした。
海人族は、朝鮮半島の西海岸から、九州の志賀島にたどり着ついた人々で、その後東海地方にやって来たと考えられており、愛知県周辺の『志賀』という地名は、その名残でと言えます。
この海人族(あまぞく)のルーツは、様々な仮説がありますが、研究が進んでいないため明確でなく、インド・中国系とインドネシア系の2系統がルーツとする見方があるそうです。

また、縄文時代後期~弥生時代、当時の矢田川は名古屋台地の北側である大曽根~芦辺町~石園町~柳原町周辺が流域だったと考えられています。

300~400年
・ 物部氏(もののべし 大和国山辺郡・河内国渋川郡あたりを本拠地とした有力な豪族)が現在の北区味鋺中心に勢力を伸ばし、その周辺を支配しました。(二子山古墳、味鋺百墳)

400~500年
・ 物部氏に代わって、尾張氏(おわりうじ アメノホアカリ(天火明命)の子孫とされる氏族)が北区周辺を支配しました。

646~650年(大化年間)
・ 『如意の周辺が熱田神宮領』になりました。
この熱田神宮領は、北名古屋市師勝、西区比良、豊山町、小牧市小針、春日井市味美、北区味鋺周辺だったそうです。

672年(天武天皇元年)
6月24日~7月23日
・ 壬申の乱の際、北区周辺の尾張に住む青年、約2万2,000人がこの戦に参加しました。

697~707年
・ 北区八王子の「八王子神社」が創建されました。

729~749年 (天平年間)
・ 東大寺の荘園が造られました。(後の山田の荘です。)
・ 北区楠味鋺2丁目にある、真言宗智山派の護国院が渡来系日本人である高僧、行基(ぎょうき/ぎょうぎ、668年~749年2月23日)によって創建されました。
・ 北区如意2丁目にある、鶏足寺が創建されました。
寺院名である鶏足とは、新羅の別名である『鶏林』が由来すると考えられています。

745年(天平17年)
・ 行基によって、天台宗聖徳寺末寺である成願寺が創建されました。
成願寺の元の名は「常観寺」で、その後の士豪である山田・安食一族の菩提寺でした。
一時常観寺は、矢田川の氾濫によって流され流失してしまいますが、後に清和源氏満政流の山田次郎重忠(やまだ じろうしげただ 生誕不明~1,221年7月6日)が再興し、現在の名前となりました。

914年(延喜14年)
・ 春日井郡(かすがいぐん)の荘園「安食荘」 (北区味鋺、成願寺、中切、福徳、春日井市勝川の周辺)が形成されました。
なお、現在の地名である味鋺の「味」とは、百済系の渡来人が残した言葉と言われています。
したがって、安食の庄(味鏡里 あじまり)は、百済系の人々の居住地だったと考えられています。味鋺の味(あじ)は、百済系の地名に使われており、また鋺(ま)については、金属製の椀で朝鮮で使われている食器を指します。

927年(延長5年)
・ これ以前に北区内では
綿神社
多奈波多神社(たなばたじんじゃ)
別小江神社(わけおえじんじゃ)
大井神社
味鋺神社が創建されたと考えられています。

974年(天延3年)
・ 尾張の農民が国司である藤原連貞(ふじわら つれさだ 生没不詳)の悪政を中央に訴えました。

1,132年(長承元年)
・ この頃、北区中切町にある「神明社」、「天神社」が創建されました。

1,179年(治承3年)
・ 「山田の庄」が誕生しました。

1,180年(治承4年)
・ 北区福徳町の「聖徳寺」が創建されました。
聖徳寺は、安食荘の荘司であった安食重頼(あじき しげより 1,112年~1,176年3月23日)が長承墨股合戦(1,133年)の戦死した霊を弔うために建立しました。
・ この頃、北区金城町にある「六所社」が創建されました。

1,221年(保安2年)
7月6日(火)友引
・ 山田の庄荘司である山田重忠(やまだ しげただ 生誕不明)が承久の乱で戦死しました。

1,379年(康歴元年)
・ 北朝の側にいた丹羽郡浅野の源氏である犬飼頼隆(いぬかい よりたか 生誕不詳)が戦功によって、北区安井周辺の領地が与えられ、羽柴の姓を名乗りました。
その地に住みついた子孫は、犬飼氏、安井氏(海部郡に移住)、浅野氏と名乗りました。

1,390年~1,394年(明徳年間)
・ この頃、南朝の忠臣であった石黒重行(生没不詳)によって、「如意城」が築かれました。

1,394~1,428年(応永年間)
・ 斯波義重(しば よししげ 1,371年~1,418年9月10日)によって、比良村(西区比良)や高田寺村(北名古屋市高田寺)の周辺を流れる大山川、合瀬川、境川に堤防が築かれました。
しかし、それに伴い大蒲(北区大我麻町)、喜惣治、味鋺、如意の一部が沼地になってしまいました。
堤防が造られた理由は、当時農民からの信仰が厚かった高田寺(北名古屋市にある720年(養老2年)行基によって開かれた寺院。後の大同年間(806年~810年)最澄が来山して、寺号を高田寺とした)を守る事だったと伝えられています。

1,467~1,469年(応仁年間)
・ 北区の「光音寺」が創建されました。
なお、光音寺は一説に足利尊氏(あしかが たかうじ 1,305年8月18日~1,358年6月7日)による創建とも言われており、庭にある無縫塔(むほうとう)は、室町時代のものと伝えられ、名古屋市の指定文化財となっています。

1,532年~1,554年(天文年間)
・ 現在の北区金城小学校一帯に「田幡城」が越智信高(おち のぶたか 生誕不詳)によって築かれました。
その後、田幡城は1,556年の稲生の戦い後に廃城となりました。

1,553年(天文22年)
2月25日(水)仏滅
・ 織田家の重臣である平手政秀(ひらて まさひで 1,492年6月4日~1,553年2月25日)が織田信長の奇行を憂い、自身の死で信長を諌めました。
その後、織田信長は平手政秀を弔う為に、小牧山の南にある小木村(現在の小牧市小木)「政秀寺」を創建しました。
その後政秀寺は、1,612年(慶長15年)に、中区栄の現在地に移転しました。

1,554年(天文23年)

8月10日(火)友引
・ 現在の名古屋市北区成願寺付近で織田信行の重臣である柴田勝家と敵対する河尻与一(かわじり よいち 生年不明~1554年8月10日)、織田三位(おだ さんみ 生年不明~1,554年8月10日)による「安食の戦い(あじきのたたかい)」がありました。
安食の戦いは、『中市場合戦』とも呼ばれています。
合戦の結果は、河尻与一・織田三位以下三十騎が討ち死しにし、織田信行側の勝利となりました。

元亀・天正年間(1,570~1,592年)
・ 尾張領主が庄内用水 (惣兵衛川=そうべいがわ)を開削させました。
庄内用水は、尾張の6大用水の一つで、水路の総延長が28kmに及び、名古屋市の西半分である北区、西区、中村区、中川区、港区を流域とする名古屋市内を流れる最長の用水路です。

1,573年(天正元年) 酉年(とり年)
・ 犬飼頼隆の子孫である、安井将監(やすい しょうげん 1,573~1,592年)や浅野長勝(あさの ながかつ 生年不明~1,575年10月13日)が、安井城(北区)を築く際、鬼門の守護神として「山神社」を建立しました。

なお、安井将監や浅野長勝は、信長に仕えた弓衆を率いた武将です。
長勝には子供がいなかった為、妻の妹婿・杉原道松の遺児二人を養女として引き取り、姉の『ねね』は木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉)に嫁ぎ、妹の『やや』は、後に豊臣家の五奉行の一人となる浅野長政(あさの ながまさ 1,547年~1,611年5月29日)に嫁いでいます。

1,584年(天正12年) 申年(さる年)
・ 織田信雄の命によって、別小江神社が現在の北区安井に遷座しました。
ちなみに、別小江神社は延喜式神名帳に尾張国山田郡式内従三位別小江天神と記されている由緒ある神社です。

1,596~1,614年 
・ この頃、久国寺(北区大杉3丁目)、乗円寺(北区中切町2丁目)が創建されました。

 江戸時代 

1,610年(慶長15年)
・ 庄内川が長雨によって氾濫し、北区周辺が甚大な被害を受けました。
このできごとによって、尾張周辺の治水計画がたてられました。その後、19年の歳月をかけ庄内川の護岸工事が行われました。

1,614年(慶長19年)
・ 北区志賀町にある「安永寺」が創建されました。
安永寺には、名古屋市文化指定の「六地蔵石仏」があります。

1,615年(慶長20年)
・北区上飯田東町にある「霊光院」が創建されました。

1,617年(元和3年)
・稲置街道が尾張藩によって改修され、藩道になりました。

1,624年頃(寛永元年)
・北区福徳町3丁目の「八龍社」が創建されました。
八龍社の祭神は高麗神です。

1,657年(明暦3年)
・北区清水2丁目にある解脱寺(げだつじ)が創建されました。
解脱寺のルーツは、明暦3年(1657)、犬山城主成瀬正虎が建てた薬師堂の小庵が始まりだそうです。招かれた竹夭(ちくよう)和尚は、竹葉軒長虹と名のる俳人でした。

1,663年 (寛文4年)
・ 「御用水=辻村用水(つじむらようすい 現在の北区辻町周辺)、巾下用水(はばしたようすい 現在の西区城西周辺)」の用水開削工事が着工されました。
御用水が庄内川から開削される理由として、堀川の西側の町は井戸の水質が悪く、矢田川の上流は瀬戸の陶土地帯の為、流砂が多く、用水に多くの砂が流れ込んでしまい、用用水の維持管理が難しく、飲み水としても適していなかったからです。
そのため、矢田川の北にある守山区竜泉寺南付近の庄内川から、飲み水として導水する事になりました。

1,666年(寛文6年)
・庄内川が氾濫しました。

1,672年(寛文12年) 子年(ねずみ年)
・ 現在の北区山田町に「山田天満宮」が建立されました。
山田天満宮は、尾張徳川家の二代目藩主である徳川光友が、尾張藩の学問祈願所、並びに名古屋城の鬼門守護神として太宰府天満宮から菅原道真の神霊を勧請して、作られたものです。

1,673年(延宝元年) 丑年(うし年)
・ 北区安井4丁目にある清学寺が創建されました。
どうでもいいけど、清学寺の敷地には、栗の木があります。

1,674年(延宝2年)
・ 庄内川が氾濫し、破堤しました。

1,676年(延宝4年)
・ 矢田川に名古屋城のお堀まできれいな水を流すため、庄内川から取水した御用水を矢田川の下をくぐらせる「伏越(ふせこし)」が造られました。
当時の伏越は木製の為、その後も腐朽するたびに何度も造り替えられました。

1,687年(貞享4年)
・ 庄内川と矢田川が氾濫しました。

1,688年(元禄元年)
・ 竹葉軒で松尾芭蕉が俳諧を興行しました。
俳聖松尾芭蕉の句碑「粟稗塚(あわひえづか)」があります。

1,690年(元禄3年)
・ 味鋺の仮橋から、伝馬町の馬子と荷役の馬が転落し、溺死してしまいました。

1,692年(元禄5年)
・ 喜惣治新田(大蒲池の湿地帯)の干拓事業が始まりました。(この干拓事業は、度重なる水害によって失敗しました。)

1,694年頃(元禄7年)
・ 現在の北区内で猪や鹿が多く出没しました。

1,695年(元禄8年)
秋頃
・ 如意村民による一揆が発生しました。
・ 北区生駒町にある「観音寺」が創建されました。

1,699年(元禄12年)
・ 北区周辺で生活困窮による捨て子が大変流行しました。
これによって尾張藩は、「捨て子禁制の御触書」を行いました。(不幸な時代。・・・・)

1,701年(元禄14年)
・ 北区矢田川沿いの稲生堤が決壊しました。

1,709年(宝永6年)
・ 3月13日~28日 北区周辺にオオカミが出没し、男女合計16人が食い殺されてしまいました。(怖い。・・・・)
・ 4月1日 味鋺で14歳の少年がオオカミに食い殺されてしまいました。
・ 北区中切町3丁目にある「日観寺」が創建されました。

1,714年(正徳4年)
・ 庄内川と矢田川が氾濫し、味鋺の堤防が決壊しました。

1,715年(正徳5年)
・ 庄内川と矢田川が氾濫しました。
・ 喜惣治新田の干拓事業が林平八(はやし へいはち 生没不詳)や国枝喜惣治(くにえだ きそじ 生没不詳)によって再度始まりました。
なお、喜惣治という地名は、国枝喜惣治の業績を讃える為に付けられたそうです。

1,717年(享保2年)
・ 北区喜惣治の「神明社」が創建されました。

神明社の祭神は天照大神です。

1,721年(享保6年)
・庄内川が氾濫しました。
この洪水は1,666年(寛文6年)以来の大洪水だったらしいです。

1,722年(享保7年)
・ 庄内川が氾濫しました。
この際の暴風雨は1,714年(正徳4年)の暴風雨に匹敵するくらい激しかったらしいです。

1,731年(享保16年)
・ 北区清水町のあたりで大規模な火災が発生しました。

1,737年(元文2年)
・ 北区大曽根町のあたりで大規模な火災が発生しました。

1,746年(延享3年)
・ 現在の名古屋市北区山田町4丁目に金運招福や商売繁盛の御利益があるとされ、銭洗いで知られる「金神社(こがねじんじゃ)」が創建されました。
その後、金神社は昭和58年(1,983年)に山田天満宮に合祀されました。

1,750年(寛延3年)
・庄内川が氾濫しました。

1,757年(宝暦7年)
・ 矢田川が氾濫し、破堤しました。

1,765年(明和2年)
・ 庄内川が氾濫しました。

1,772年(安永元年)
・ 北区駒止町にある「西光寺」が創建されました。

1,778年(安永7年)
9月13日
・ 北区清水町のあたりで大規模な火災が発生しました。

1,779年(安永8年) 亥年(い年)
8月
・ 庄内川が豪雨によって洪水となり、川沿いの名古屋市守山区志段味、北区味鋺、西区比良、大野木周辺で堤防が決壊し、辺り一面は泥の海となってしまい、民家や田畑は水没してしまいました。

1,787年(天明7年) 
・ 名古屋市北区と西区の境にある「洗堰(あらいぜき)」が造成されました。
また、庄内川の増水時には、洗堰から水を流し、大蒲沼(現在の北区大我麻町のあたり)に水を貯め、その水を放流する為に新川が開削されました。

天明4年から行われた洗堰造成の総工費は、40万両(天明7年当時の1両を現在の約75,000円で換算すると、何と約300億円!!)と言われています。

1,789年(寛政元年)
・庄内川が氾濫しました。

1,792年(寛政4年)
・ 名古屋市北区にある水路「三郷悪水(さんごうあくすい(悪水=排水)」が開削されました。
この三郷とは、当時の西春日井郡旧福徳村、下中切村、成願寺村の事を指しています。
現在三郷悪水は、北区福徳ポンプ所や福徳雨水調整池がつくられた事によって、雨水の排水能力が強化された為、平成5年(1,993年)に下水幹線に造り変えられ、三郷悪水の跡は、人工のせせらぎになっています。

1,813年(文化10年)
・ 大蒲新田の干拓事業が豊場村の佐々木磯吉(ささき いそきち 生没不詳)によって始まりました。

1,815年(文化12年)
・ 庄内川が氾濫しました。北区周辺が泥の海になってしまいました。

1,815~1,830年頃(文化12年~天保元年)
・ 北区大我麻にある「大我麻神社」が創建されました。
はじめは、神明社と呼ばれていましたが、明治13年に現在の大我麻神社に改称されました。

1,830年(天保元年)
・ 庄内川が氾濫しました。

1,834年(天保5年)
・ 豊場村の村民が自分達の田を守る為、大蒲新田の堤防を切り崩してしまい、大蒲新田の田畑一体が水浸しになってしまいました。 なお、この事件に関与した37人は、広小路の牢獄に投ぜられ、一部の囚人が獄死しました。

1,838年(天保9年)
8月
・ 北区辻町の羊神社(ひつじじんじゃ)の社殿が完成しました。羊神社の創建年代は不詳ですが、『延喜式神名帳』において山田郡羊神社、『尾張国内神名帳』においては、従三位羊天神として記載されています。

1,845年(弘化2年)
・ 善光寺街道の入口である山田村(名古屋市北区山田)にて、初代大阪屋善兵衛が「金虎酒造株式会社」のルーツである酒造業を創業させました。

1,853年(嘉永6年)
・庄内川が氾濫しました。味鋺の堤防が決壊しました。

1,854年(嘉永7年)
・庄内川が氾濫しました。前年と同様に味鋺の堤防が決壊しました。

1,857年(安政4年)
10月2日 夜半
・ 尾張藩を揺るがす、『小鉄 脱牢事件』が発生しました。
この小鉄脱牢事件とは、味鋺出身の牢名主(囚人の中から選ばれ、牢の長として牢内の取り締まりなどに当たった者)の小鉄(こてつ 生誕不詳~1,857年11月15日)が30人の同勢を引き連れ、牢破りを行い、熱田の宮宿にある枡屋に押し入り79両を強奪した事件です。
その後、逃走先の静岡で捕らえられ、同年11月15日に土器野刑場(かわらけのけいじょう=愛知県清須市にあった尾張藩の刑場)で処刑されました。

1,865年(慶応元年)
5月
・ 庄内川が氾濫しました。
8月
・ 庄内川が氾濫しました。

 明治時代 

1,869年(明治2年)
5月
・ 入鹿池が決壊し、味鋺と如意が泥の海になってしまいました。
・ 同月、またも豪雨によって、庄内川の堤防が相次いで決壊してしまい、庄内川右岸の高蔵寺村から味鋺村(北区味鋺)の一帯が冠水し、瀬古村、幸心村(守山区瀬古、幸心)、福徳村、中切村、川中村、成願寺村、小田井輪中(西区小田井)周辺でも大きな被害が出ました。

1,873年(明治6年)
・ 現在の北区鳩岡町に城北小学校のルーツである「義校安井学校」が創立しました。
ちなみに城北小学校がある鳩岡町という地名の由来は、現在の名古屋市立城北小学校のプール付近にあった高さ1メートルほどの塚に金の鳩が埋められているという伝説があった事から、名付けられたと言われています。
この塚は、安井学校を建設する際に壊されており、塚からは金の鳩ではなく、骨の入った壷が出土したと言われてます。(とほほ‥‥)
現在、この壷は名古屋市博物館に保管されています。
また、当時この地域に多くの鳩がいた事から、鳩岡と呼ばれる様になったという説もあります。

1,877年(明治10年)
・ 愛知県技師の黒川治愿氏(くろかわ はるよし=1,847年5月29日~1,897年5月29日)によって、「黒川」(現在の堀川=西区城西の朝日橋~北区辻町矢田川手前の黒川樋門まで)の開削が完了しました。
黒川開削の目的は、御用水や庄内用水などの水量を確保すると共に、犬山と名古屋を結ぶ航路とする事でした。
それに伴って、矢田川の伏越も舟が通れる構造になりました。
またその際には、黒川樋門が造られ、その周囲に池が造成されました。
そこからは庄内用水、志賀用水、黒川(現在の堀川)、御用水、上飯田用水に水が注がれていました。
その池は、地元の人々から「天然プール」と呼ばれ、夏場は界隈の子供達が水遊びや魚釣りにやってきたそうです。
ちなみに、北区の堀川の別称である黒川とは、堀川の開削工事を行った黒川治愿氏を讃えた事が由来です。
・ 北区と守山区を流れる矢田川に初代「三階橋」が架設されました。
以前の三階橋は1,927年(昭和2年)に架けられ、両側の歩道橋は1,968年(昭和43年)に架けられたたもので、現在の三階橋は2,017(平成29)年3月25日に架けられたものです。

1,878年(明治11年)
・ 北区と守山区の庄内川を結ぶ「水分橋」が架設されました。

1,891年(明治24年)
・庄内川の堤防が決壊しました。

1,896年(明治29年)
・庄内川の堤防が決壊しました。

1,911年(明治44年)
2月
・ 「萩野変電所」が建てられました。


 大正時代 

1,912年(大正元年)
「杉村町東杉耕地整理事業」が設立されました。

1,917年(大正6年)
2月
・現在の山田町に佐治タイルの工場が設立されました。
佐治タイルのタイルは、当時イギリス製品と同様に高い意匠をもったタイルをより安い値段で流通させ、花や鳥といった、インドで定番のモチーフに加えて、ヒンドゥー教の神々が表されているデザイン‥インドの消費者の嗜好に合ったデザイン開発を行って販売し、当時のインドの空間装飾に大きな影響を与えました。(すごい。)

1,918年(大正7年)
・ 初代総理大臣である伊藤博文(いとう ひろぶみ1841年10月16日~1,909年10月26日)や元勲である西園寺公望(さいおんじ きんもち 1,849年12月7日~1,940年11月24日)などから贔屓にされた日本初の女優である川上貞奴(かわかみ さだやっこ 1,871年9月2日~1,946年12月7日)が北区辻栄橋に輸出向け最高級の絹を生産販売する「川上絹布株式会社」を設立させました。
川上絹布会社は、それまでの女工の苦しい生活とは、全く違うスタイルの新しい会社だったそうです。
工場では、15、6歳から20歳まで40~50人の女工さんが働いており、女工さん達は紺のセーラー服に靴を履き、女学生の様な格好をして作業を行い、「45分働いて、15分休む。」という現在の就労スタイルに近いものでした。
また、昼休みの運動時間には、テニスをしたりしていたそうです。
さらに、川上絹布の女工さん達は、全員寮で生活をしており、仕事が終わった夜にはお茶、お花、和裁などの習い事をし、休日には演芸会などのレクリェーションもよく行われていたそうです。
(今でいう、ホワイト企業の先駆者ですね。)

1,921年(大正10年)
・大山川の堤防が決壊し、大蒲新田一体が浸水しました。

1,923年(大正12年)
・「東京モスリン紡織」が現在の上飯田町に設立されました。

1,925年(大正14年)
2月16日(月)
・ 北区光音寺町周辺が発展するきっかけと言える「光音寺 耕地整理事業」が光音寺耕地整理組合、都市計画愛知地方委員会によって設立されました。
・豊場村の村民が自分達の田を守る為、大蒲新田側の堤防を切り崩してしまい、大蒲新田の田畑一体が水浸しになってしまいしました。


 昭和時代 

1,926年(昭和元年) 
・ 「田幡 土地区画整理事業」が設立されました。
6月6日(日)大安
・ 北区水草町(当時の住所は光音寺町100番地)にあった「大日本セロファン」(1,968年6月、市況不振により倒産)の工場が製造開始しました。

1,927年(昭和2年) 
8月29日(月)仏滅
・ 「城北 耕地整理組合」が設立されました。
9月
「西志賀 土地区画整理組合」が設立されました。
・ 旧「三階橋」が矢田川に架橋されました。
・ 昭和天皇行幸の際、上飯田の「御成通」が整備されました。
なお、御成通という地名については、1,932年(昭和7年)9月1日に名古屋市東区下飯田町字仲ノ川・郷添・堀ノ内・畑得・松元の各一部によって、東区御成通として成立しました。

1,928年(昭和3年)
「初代 川中橋」が川中村に架設されました。
・ 現在の名古屋市北区福徳に愛知県下で初の地方競馬場『川中村競馬場=名古屋競馬場』が設置されました。
この川中村競馬場は、名古屋競馬協会が運営していました。
競馬場は、周囲約1,600m 幅約36mで、収容人員は桟敷に約7,000人、周囲の草地を含めると22,000人いう規模でした。
しかし、矢田川の治水工事の実施に伴って、昭和5年9月13日に廃止となってしまい、この競馬場ではたった6回しかレースが開催されませんでした。
その後、名古屋競馬場は、港区稲永に移動しました。

1,928年(昭和3年)~1,929年(昭和4年)
・ 北区安井町の耕地整理を行う際、山神社を同じ町内にある別小江神社に移設・統合しようとしたところ、大雨が降ったので、山神社の移設・統合は中止されました。

1,929年(昭和4年)
・ 大曽根に活動小屋=映画館「日の出館」がオープンしました。

1,930年(昭和5年)
11月7日(金)
・ 矢田川の付け替え(流路変更)工事が開始されました。
この矢田川改修事業は、川中村周辺の水害防止と周辺開発が大きな理由でした。
その当時、矢田川の上流は花崗岩地帯で瀬戸焼‥陶土の乱掘、山林の伐採などで川底に砂や砂利が堆積し、豪雨が発生すると堤防が破堤してしまう事が度々ありました。
矢田川改修事業の総工費は126万円で昭和恐慌による失業救済事業として、地元の住民及び土地立ち退きによる失業者を動員して行われ、毎日約1,500人余りの人が働いていたそうで、昭和7年11月30日に完工しました。
矢田川の付け替えの完工後、旧堤防地域には住宅や工場が作られる様になり、農家の人々は工場労働者や俸給労働者に職種が変わっていきました。

なお、旧矢田川沿いの堤防が取り壊された現在でも、数mもの高い石垣の水屋敷民家(水害に備えた建物)や寺社(成願寺、神明社、天神社、八龍社など)が所々に残っています。
ちなみに当時の川中村では、竹が多く生えており、タケノコがよく採れ、柔らかく、味も良かったと言われています。
・ 「川中耕地整理」が成立しました。

1,931年(昭和6年) 
2月11日(水)大安
・ 名古屋鉄道の小牧線が開通し、上飯田駅が開業しました。
・ 北区安井町の耕地整理工事に伴って、山神社の一部を削り取ると、大量の蛇が出てくる事件がありました。
その後、近隣の子供たちが疫病に掛かり、合計8人亡くなった事から、大蛇信仰のある静岡県浜岡市池宮神社から分霊を受け、「白龍社」が建立されました。
・ 川中村に初代「川中橋」が架けられました。 川中橋の工事費用は12,000円でした。

1,932年(昭和7年)
12月
・ 西春日井郡萩野村、大字辻村が名古展市内に編入されました。

1,933年(昭和8年)
・ 北区安井町にある「お福稲荷」の社殿が建てられました。
当時のお福稲荷は、名古屋の花柳界のはじめ役者や一般の方から多くの信仰を集めたそうです。
・ 現在の名古屋市北区城北、杉村町方面の住居地域及び、市外であった庄内町、萩野村の住居地域の指定予定地を工業地域に変更する案が提出されました。
当時の名古屋市内の工業出荷額の約5割強を占めていた紡織工業は、紡績に使用する水質と水量が豊富であった城北、杉村町あたりが紡織工業の発展に好位置であった為です。

1,934年(昭和9年)
5月
・ 大隈製鉄所(現在のオークマ)が萩野村に萩野工場(現在の辻町住宅・辻小学校)を新設しました。
大隈製鉄所萩野工場では、日本初の乗用車「あつた号」の機関と伝達装置が生産されていました。
なお、当時の量販乗用車であるフォード車の販売価格は3,000円でしたが、「あつた号」の価格は6,500円と価格設定されました。
しかも、生産コストはそれを更に上回る9,200円もかかった為、採算が全く取れずに結局、中京デトロイト化構想は中止となってしまいました。

1,935年(昭和10年)
2月1日(金)
・ 現在の北区平手町2丁目に「志賀公園」が開園しました。
志賀公園は、平手政秀宅址の保護を目的として指定された都市計画公園で、公園の設計と監理は、造園家で初代名古屋市公園課長であった狩野 力(かの つとむ 1,892年~1,934年)が携わり、名古屋市における都市計画公園のモデルケースとしての完成を目指したそうです。
・ 戦後の遊郭「城東園」のルーツである「城東新興協同組合」(206軒で構成)が設立されました。
当初城東園は、北区下飯田町、垣戸町、憧旛町、瀧ノ口、瑠璃光町周辺で栄えたそうですが、戦後近くの北区杉栄町に移して、復興を果たしました。

1,936年(昭和11年)
9月
・ 萩野村光音寺(現在の北区中丸町)に「神戸製鋼 名古屋第1工場」が設立され、金属材料や鋳物の製造が開始されました。

1,937年(昭和12年)
12月
・ 萩野村光音寺(現在の北区中丸町)に「神戸製鋼 名古屋第2工場」が設立されました。

1,938年(昭和13年)
  6月
・ 「大隈製鉄所(現在のオークマ)」が上飯田に上飯田工場を新設しました。
  現在の名古屋市北区川中町、安井2丁目に「臨時名古屋陸軍病院(収容人数1,400人)」が建設されました。
この病院は、昭和20年5月14日の空襲によって焼失してしまいました。

1,940年(昭和15年)
8月30日
・ 現在の北区成願寺に愛知県初の自動車学校である「愛知県自動車学校」(現在のあいち自動車学校)が設立されました。
当時は、運転免許試験場も併設されていたそうです。

1,941年(昭和16年)
7月14日(金)仏滅
・ 名古屋市北区田幡町(現在の城見通3丁目13番地)「名古屋市立城北病院」(病床数30の小児科・産婦人科)が開設されました。

1,943年(昭和18年)
12月24日(金)先勝

・ 北区瑠璃光町(当時の東区瑠璃光町)「愛知県城北消防署」が発足しました。
11月
・ 現在の北区猿投町に「大同メタル工業の黒川工場」が設立されました。

1,944年(昭和19年)
2月11日(金)大安
・ 名古屋市東区と西区の一部地域が併せられる事で、名古屋市北区が誕生しました。
北区の庁舎は、現在の萩野通1丁目に開設されました。
2月22日(火)仏滅
・ 当時の北区の人口は85,946人、世帯数は18,295世帯でした。
3月1日(水)友引
・ 北区光音寺町野方に「川中公園」が開園しました。
3月1日(水)友引
・ 北区福徳町七合の矢田川堤防沿いに「稲生公園」が開園しました。
5月1日(月)赤口
・ 北区役所内に「結婚相談所」が設けられました。
8月
「川中橋」が改めて竣工しました。
8月
・ 北区内の『各国民学校の集団疎開』が始まりました。
9月
「西裏保健所杉村出張所」が豆園町で業務開始されました。

1,945年(昭和20年)
1月16日(火)友引
 ・ アメリカ軍B-29爆撃夜間空襲によって、北区が被害を負いました。
3月12日(月)仏滅
 ・ アメリカ軍B-29爆撃機131機の空襲によって、清水学区が甚大な被害を負いました。
3月19日(月)先勝
 ・ アメリカ軍B-29爆撃機230機の空襲によって、飯田、大杉、杉村、清水学区が甚大な被害を負いました。
4月7日(土)友引
 ・ アメリカ軍の空襲によって、『北区大杉小学校と杉村公設市場が焼失』してしまいました。
・ 5月14日(月)赤口
・ アメリカ軍B-29爆撃機の空襲によって、北区内の約半分が炎上しました。
その中でも、金城、城北、大曽根、清水学区が甚大な被害を負いました。
その際、成願寺町の六所神社、安井の別小江神社、城北病院が空襲で焼失してしまいました。
5月17日(木)先負
・ アメリカ軍の空襲によって、下飯田公設市場が焼失してしまいました。
6月7日(木)赤口
「愛知県城北消防署」が北区萩野通2丁目1番地に移転してきました。
11月
 ・ 北区内にある各国民学校で行われていた学童疎開の帰校が始まりました。

1,946年(昭和21年)
1月
・北区の人口は、45,145人でした。
4月15日(月)(仏滅)
・ 東区から、六郷学区が北区に編入されました。
10月14日(月)(仏滅)
『北区選挙管理委員会』が設置されました。
・ 進駐軍の要請によって、名古屋の四大遊郭の一つと言われた北区杉栄周辺の『城東園』が誕生しました。
杉栄町の周辺は、戦前から住宅地として整備された地域であり、空襲の被害を受けず、建物が残っていた事から新たな立地としてGHQ等から着目された言われています。
当時の杉栄町では、商店街があった目抜き通り約250mの距離に50軒のカフェーがひしめきあったといい、勧誘する女性と男性客で大いに賑わったらしく、愛知県内で最大の規模を誇った中村遊廓として知られる名楽園に次ぐ規模だったそうです。
城東園の最盛期には、高楼150件、娼妓800人が働いていたと言われており、毎年8月には城東園祭りが開かれていました。

1,946年(昭和21年) その他、北区のできごと
・ 神戸製鋼名古屋第1工場での生産が再開されました。

1,947年(昭和22年)
1月
・ 北区の人口は、63,023人でした。
4月1日(火)
「大曽根中学校」、「若葉中学校」「志賀中学校」、「楠中学校」の4校が開校しました。
4月6日(日)
「市営 城北住宅」(木造平屋建て 30戸)の入居が開始されました。
6月1日(日)
・ 連区事務所廃止され、北区内の各学区に一ヶ所ずつ、『区役所出張所』が設置されました。
8月5日(火)
・ 北区役所に『通達員制度』が設置されました。
10月1日(水)
・ 第6回国勢調査が行われ、当時の北区は世帯数人口65,427人、14,827世帯でした。
「市営 萩野通住宅」(木造平屋建て 24戸)の入居が開始されました。
「市営 浪打住宅」(木造平屋建て 54戸)の入居が開始されました。

1,948年(昭和23年)
1月
・ 北区の人口は、67,920人でした。
2月6日(金)友引
「愛知県警察学校」が光音寺町字野方1919番地の5に開校しました。
3月7日(日)先負
「北消防署」が発足しました。
4月1日(木)大安
・ 北区辻町4丁目に「徳風幼児園」が開園しました。
4月1日(木)大安
・ 北区鳩岡町1丁目に「北保育園」が開園しました。
4月12日(月)赤口
「市営 光音寺住宅」(木造平屋建て 126戸)の入居が開始されました。
5月31日(月)友引
「市営 志賀住宅」(木造平屋建て 100戸)の入居が開始されました。
7月15日(木)友引
「市営 下飯田住宅」(木造平屋建て 9戸)の入居が開始されました。
9月
・ 城北病院が焼失場所に木造瓦葺2階建(内科、外科、眼科、耳鼻咽喉科を増設)を新たに建て、診療開始されました。
12月1日(水)大安
「北区役所」が黒川本通2丁目に庁舎が移転新築され、六郷を除く区役所出張所が廃止されました。
12月15日(水)先勝
・ 北区下飯田町に「名古屋市立 名北小学校」が開校しました。

1,948年(昭和23年)その他名古屋市北区のできごと
・ 「神戸製鋼 名古屋第2工場」での生産が再開されました。
「市営 名城東住宅」、「市営 名城西住宅」(木造平屋建て 合計298戸)の入居が開始されました。

1,949年(昭和24年)
1月
・北区の人口は、71,745人でした。
3月1日(火)先負
・ 北区萩野通1丁目の初代北区役所庁舎を改装し、『名古屋市警察の研修機関が設立』されました。
4月1日(金)大安
・ 北区瑠璃光町に「瑠璃光幼児園」が開園しました。
4月15日(金)先勝
・ 北区清水四丁目に「八王子中学校」が開校しました。
6月1日(水)先負
「市営 名城東住宅」、「市営 名城西住宅」の入居が開始されました。
6月15日(水)大安
「北消防署 六郷出張所」が廃止されました。
7月15日(金)先勝
『清水口~黒川間の市電が開通』しました。
「市営 鳩岡住宅」(木造平屋建て 25戸)の入居が開始されました。
「市営 東志賀住宅」(木造平屋建て 108戸)の入居が開始されました。

・1,950年(昭和25年)
1月
・北区の人口は、76,745人でした。
4月1日(土)
「市立女子短期大学」が志賀町に開校しました。
4月1日(土)
 ・ 『北区体育振興会』が設立されました。
8月15日(火)
・ 北区役所内に「北区社会福祉事務所」が設置されました。
10月1日(日)
・ 第7回国勢調査が行われ、当時北区は人口78,242人、世帯数が17,131世帯でした。
10月2日(月)
・ 北保健所が志賀町(現在の黒川本通2丁目)に移転しました。
10月31日(火)
・ 「西陵高校分校」が光音寺町に移転してきました。
「市営 成願寺住宅」(木造平屋建て 103戸)の入居が開始されました。

1,951年(昭和26年)
1月
・北区の人口は、79,517人でした。
1月12日(金)
・ 中区上名古屋町字北野が北区に編入されました。
3月1日(木)
・ 西陵高校分校の工芸高校が、当時光音寺町にあった神戸製鋼所の敷地内に開校しました。
しかし、工場の騒音問題や運動場が狭く、体育祭を隣接する志賀公園で開催しなければならなかった事‥が理由で、翌年に東区へ移転しました。
4月
・ 名古屋市立女子短期大学のキャンパスが北区志賀町2丁目(現在の名古屋市立北陵中学校敷地)へ移転してきました。
5月1日(火)
「市営 成願寺住宅」の入居が開始されました。
9月15日(土)
『北区社会教育協力委員制度』が設置されました。

1,952年(昭和27年)
1月
・北区の人口は、88,302人でした。
・ 4月1日(火)先負
「六郷幼稚園」が開園しました。
なお、この六郷幼稚園は昭和43年に閉園しました。
4月1日(火)先負
 ・ 北区城見通3丁目2番地に「名古屋市消防学校」が開校しました。
その後、名古屋市消防学校は1,968年(昭和43年)8月に守山区下志段味字長廻間2280-12に移転しました。
4月1日(火)先負
 ・ 工芸高校が、東区へ移転されました。
8月30日(土)仏滅 
 ・ 愛知工業高校の校舎の一部が焼失しました。
「市営 味鋺住宅」(木造平屋建て 20戸)の入居が開始されました。

1,953年(昭和28年)
1月
・北区の人口は、91,717人でした。
2月20日(金)先勝 ・ 「市営 福徳住宅」(木造平屋建て 96戸)の入居が開始されました。
4月1日(水)先勝・ 北区成願寺町1に「中切百貨市場」がオープンしました。
4月28日(火)大安 ・ 北区安井町に「お福市場」がオープンしました。
7月4日(土)仏滅 ・ 北区東味鋺三丁目の『味鋺保育園』(現在のオアシスあじま保育園)が開園しました。
9月25日(金)先勝 ・ 台風13号によって、北区内で甚大な被害が生じました。

1,954年(昭和29年)
1月
・北区の人口は、97,577人でした。
2月11日(木)友引
・ 第1回北区設置記念駅伝大会が開催されました。(優勝は、昭和陶磁器でした)
4月1日(木)大安
・ 名古屋市広報紙「広報なごや」が北区全戸で配布開始されました。
4月1日(木)大安
・ 北区光音寺2丁目に「萩野保育園」が開園しました。
4月2日(金)赤口
・ 北区福徳町に「庄内川カントリークラブ(設計 佐野利男氏)」がオープンしました。
7月6日(火)赤口
・ 北区福徳町の『福徳公園』が開園しました。
・7月20日(火)友引
『北区農業委員会』が設置されました。
10月27日(水)仏滅
 ・ 北警察署が黒川本通に庁舎新築移転されました。

その他 1,954年(昭和29年)のできごと
・ 「県営 味鋺東住宅」(簡易2階建て住宅 50戸)の入居が開始されました。
・ 北区大曽根一丁目の歓楽街「鈴蘭通商店街」中程を南側に入った場所に鈴蘭南座(すずらんみなみざ)が開館しました。
旧国道41号線(名古屋~犬山線)の「防衛道路」(昭和7年計画 長さ1.8km・幅24.54m・コンクリート舗装・厚み20㎝)が完成しました。
この防衛道路という名前の由来は、戦後米軍が小牧基地を接収した際、他の道路に先駆けてこの道路の舗装を優先し、国庫の防衛分担金6,000万円(昭和28年当時)が投入され、作られた事が由来となっています。
・ 「県営 成願寺住宅」(簡易2階建て住宅 50戸)の入居が開始されました。

1,955年(昭和30年)
1月
・北区の人口は、101,733人でした。
8月28日(日)大安
・ 北区光音寺2丁目2-10にあった「不二市場」がオープンしました。
10月1日(土)大安
「西春日井郡楠村」が北区に編入されました。
・ 第8回国勢調査が行われ、当時の北区は人口111,711人、世帯数24,107世帯数でした。
・ 清水小学校で放火による火災が発生し、校舎の一部が焼失しました。
12月24日(土)先負
・ 三軒町に「如意保育園」が開園しました。

1,956年(昭和31年)
1月
・北区の人口は、112,505人でした。
5月21日(月)先負
「名古屋市水道局北業務所」が黒川本通で業務を開始しました。
7月25日(水)大安
・ 北区と守山をつなぐ「天神橋」の架け替え工事が完成しました。(工事費用は4,440万円でした。)
8月17日(金)
「住宅公団 志賀団地」(中層耐火構造 1,180戸)の入居が開始されました。
志賀団地は、中部地域初の公団住宅でした。
当地は、第二次世界大戦の前から、神戸製鋼所名古屋製作所がありましたが、空襲によって工場が焼失した為、その後名古屋市が敷地を確保し、設計を東京の設計事務所に発注していたものの、日本住宅公団名古屋支社の初仕事として譲り受け、造られたという経緯があったそうです。
その後、志賀団地は1,989年(平成元年)より、住棟の老朽化を理由として建て替えが行われ、現在は「アーバンラフレ志賀」となっています。
9月
・ 「中部朝鮮中高等学校」が現在の柳原三丁目6番地に移転してきました。
それと同時に愛知朝鮮中高等級学校と改称されました。
その後の昭和36年5月、愛知県豊明市栄町南舘55に移転しました。
9月5日(水)友引
・ 北区中富町に米軍ジェット機が墜落し、住宅5戸が全半焼する事故が発生しました。

その他、1,956年(昭和31年) 北区のできごと
・ 北区光音寺町野方に「光音寺公園」が開園しました。

1,957年(昭和32年)
1月
・ 北区の人口は、119,344人でした。
5月28日(火)
『楠町の上水道敷設』が完成しました。
9月1日(日)
「北区役所六郷出張所」が廃止されました。
10月21日(月)
「市営 あじま北住宅」(木造平屋建て 422戸)と「市営 あじま荘」(簡易耐火平屋建て 300戸)の入居が開始されました。
12月2日(月)
「金城小学校分校」が開校しました。

1,958年(昭和33年)
1月
・ 北区の人口は、124,811人でした。
4月10日(木)大安・ 『黒川~黒川本通4丁目間の市電が開通』しました。
5月15日(木)大安
・ 北区平手町にあった(現在のクオリティライフ21城北敷地内)名古屋工業技術試験場の本館が完成しました。
5月26日(月)大安
「北自動車運輸事務所」が鳩岡町1丁目に設置されました。
7月18日(金)先勝
・ 六郷小学校で集団赤痢が発生しました。約600人が罹患しました。
7月21日(月)仏滅
・ 六郷小学校で発注した集団赤痢によって、六郷小学校は臨時隔離されました。
9月1日(月)赤口
・ 城北小学校分校が「光城小学校」として独立し、開校しました。
9月1日(月)赤口
「楠小学校分校」が開校しました。

1,959年(昭和34年)
1月
・ 北区の人口は、130,593人でした。
6月8日
・ 北区黒川本通りに「黒川センター」が開設されました。
6月11日
・ 『名北小学校で放火事件』が発生しました。
6月21日
・ 杉村小学校の敷地内で、『太平洋戦争中の不発弾が発見』されました。
8月5日
・ 北消防署が改築され、完成しました。
9月21日
・ 北区内で、『北朝鮮への帰還申請が開始』されました。
12月23日
・ 清水小学校で放火事件が発生し、校舎の一部が焼失しました。
12月23日
・ 北区成願寺にある「成願寺公園」と「成願寺猿塚公園」が開園しました。

1,960年(昭和35年)
1月
・ 北区の人口は、134,383人でした。
8月27日(日)
 「市営 上飯田荘」の入居が開始されました。
10月1日(土)
・ 第9回国勢調査が行われ、当時の北区は人口146,799人、世帯数34,188世帯でした。
3月24日(木)
「市営 如意住宅」(木造平屋建て 301戸)の入居が開始されました。

1,960~1,972年(昭和35年~昭和47年)
10月20日
・ 北区名城2丁目、3丁目に「市営住宅 城北荘」(中層耐火構造・高層耐火構造 合計1,302戸)が造られ竣工し、入居開始がされました。

1,961年(昭和36年)
1月
・ 北区の人口は、148,030人でした。
3月24日(金)先負
・ 災害者住宅「市営 如意住宅」(木造平屋建て 301戸)の入居が開始されました。
3月28日(火)先勝
「市営 喜惣治住宅」、「市営 喜惣治荘」(簡易耐火平屋建て 172戸 木造平屋建て 261戸)の入居が開始されました。
4月1日(土)大安
・ 金城小学校分校が「東志賀小学校」として開校しました。
5月1日(月)先勝
・ 「新川中橋」の工事が着工されました。
5月29日(月)赤口
・ 志賀中学校分校が「北陵中学校」として開校しました。
9月1日(金)仏滅
・ 楠小学校分校が「味鋺小学校」として開校しました。
10月20日(金)先勝
「市営住宅 城北荘」の入居が開始されました。
10月17日(火)仏滅
『大曽根電報・電話局』が北区若葉通2丁目に開局しました。

1,962年(昭和37年)
1月
・ 北区の人口は、157,936人でした。
1月6日(土)赤口
「住宅公団 鳩岡団地」(中層耐火構造 556戸)の入居が開始されました。
4月1日(日)仏滅
「市営 北喜惣治荘」(簡易2階建て住宅 116戸)の入居が開始されました。
4月26日(木)赤口
『北区交通安全連絡協議会』が設立がされました。
5月
・北区の人口は163,791人、世帯数が39,338世帯でした。
5月7日(月)先勝
『北区子ども会指導者連絡協議会』が設立がされました。
9月14日(金)大安
・ 北警察署の跡地に愛知県警音楽隊、機動隊の合同庁舎が新築され、落成式が行われました。
10月21日(日)先勝
・ 「柳原商店街 振興組合」が設立されました。
12月5日(水)先勝
・ 「大曽根上通商店街 振興組合」が設立されました。
12月12日(水)友引
・ 「大曽根上通商店街 振興組合」が設立されました。
12月18日(火)友引
・ 「大杉町商店街 振興組合」が設立されました。

1,963年(昭和38年)
1月
・ 北区の人口は、167,140人でした。
1月25日(金)先勝
・ 「市営 第2城北荘」の入居が開始されました。
3月25日(月)先負
・ 「味鋺商店街 振興組合」が設立されました。
3月31日(日)先負
・ 北区志賀町2丁目にあった「市立女子短期大学」が中区に移転しました。
4月1日(月)仏滅
・ 北区如来町に「名古屋市立北高校」が開校しました。
立北高校は、急な設立で校舎が建設中だったため、第1回の入学式は工芸高校で行い、始業式は運動場で行ったそうです。
授業は、4月8日(月)から始まったそうです。
4月9日(火)赤口
・ 「大曽根商店街 振興組合」が設立されました。
4月11日(木)友引
・ 「大曽根本通 振興組合」が設立されました。
4月27日(土)先勝
・ 「鈴蘭通 振興組合」が設立されました。
5月
・ 北区の人口は170,687人、世帯数が41,259世帯でした。
6月8日(土)友引
・ 「光音寺商店街 振興組合」が設立されました。
9月1日(日)友引
・ 志賀中学校の分校だった「北陵中学校」が独立開校しました。

その他 1,963年(昭和38年)のできごと
・ 北区御成通にUR住宅「御成通」(中層耐火構造 42戸)が造られ、竣工しました。
・ 北土木出張所が金作町3丁目(現在の清水・柳原周辺)に設置されました。

1,964年(昭和39年)
1月
・北区の人口は、173,449人でした。世帯数は41,799世帯でした。
1月31日(火)先勝
・ 「城東町通り商店街 振興組合」が設立されました。
4月1日(水)友引
・ 『大曽根都市改造事務所』が設置されました。
4月1日(水)友引
・ 『国鉄中央本線 大曽根~高蔵寺間の複線化工事が完成』しました。
6月23日(火)赤口
・ 北区役所庁舎の新築(黒川本通2丁目、旧庁舎跡)が完成しました。
7月1日(水)友引
・ 名城公園の北側に「名城プール」がオープンしました。
8月1日(土)大安
・ 北区の矢田川で「第1回名古屋大花火大会」が開催されました。
なお、この名古屋大花火大会は、2,005年の愛知万博開催による警備上の問題を理由として休止され、翌年の2,006年に廃止が決定されました。(地元住民としては、復活してほしいです‥‥。)
9月15日(火)大安
・ 北区の「新川中橋」が完成しました。

その他 1,964年(昭和39年)のできごと
・ 名古屋北税務署が金作町4丁目(現在の北区清水五丁目)に設置されました。

1,965年(昭和40年)
6月28日(月)
・ 大雨によって、北区内で約2,000戸が床下浸水しました。
7月19日(月)
「城北県税事務所」が金作町4丁目(現在の清水五丁目)に設置されました。
10月1日(金)
・ 『大曽根~東大曽根間の市電が廃止』されました。

その他 1,965年(昭和40年)のできごと
・ 第10回国勢調査が行われ、当時の北区は、人口176,650人、世帯数45,306世帯でした。
・ 北区大杉三丁目の「久国寺」に芸術家の岡本太郎氏(おかもと たろう 1,911年2月26日~1,996年1月7日)が製作した梵鐘「歓喜の鐘」が設置されました。

この歓喜の鐘は当時、住職が知人から岡本太郎氏を紹介してもらい、製作を依頼したそうです。
歓喜の鐘の形状は、鐘の上部に角の様な無数の突起がある個性的な鐘で、下部には魚や仏など様々な生き物が浮き彫りにされ、鐘そのものが曼荼羅の様な姿になっています。
・ 大曽根本通の商店街区域にアーケードが完成し、大須商店街・円頓寺商店街と共に名古屋の3大アーケードの商業地点として発展しました。
・ 北区黒川本通2丁目に「市営住宅 黒川荘」(中層耐火構造 35戸)が造られ、竣工しました。

1,966年(昭和41年)
2月5日(土)
・ 北区上飯田通に住宅公団「上飯田団地」(高層耐火構造 1,048戸)の入居が開始されました。
2月21日(月)
・ 名古屋市内で初めて『勤労少年文庫が北区役所に開設』されました。
4月1日(金)
北区名城一丁目に「名城庭球場」がオープンしました。
4月5日(火)
「北消防署楠出張所」が楠町大字味鋺字斉宮司に設置されました。
7月1日(金)
「名古屋北郵便局」が辻本通2丁目に開局しました。
・ 北区上飯田通にUR住宅「上飯田」が造られ、竣工しました。

1,967年(昭和42年)
2月1日(水)
・ 『黒川本通~城北小学校間の市電が廃止』されました。
2月15日(水)
・ 楠小学校に名古屋市内初の防音校舎が完成しました。
6月15日(木)
「北図書館」が志賀町2丁目に開館しました。
9月29日(金)
・ 北区米ヶ瀬に「名古屋市米ヶ瀬土地区画整理組合」が設立されました。
昭和20年代は、米ヶ瀬地区の大半が農耕地でしたが、昭和30年代には米ヶ瀬地区の多くが耕作放棄地になってしまい、昭和40年頃には家屋が点在する様になった為、組合が設立されました。
その後、地区画整理組合が資金難となった為、「守山下水処理場」を誘致しました。

昭和41年 名古屋市北区 その他のできごと
・ 北区金城町に味噌煮込みうどん専門店の「早本」が創業しました。
創業者である先代が出身地である大分県の郷土料理「だんご汁」と似ていると思い、味噌煮込み作りに取り組んで、九州と名古屋の味を融合させた独自の味噌煮込みうどんができたといわれています。

 

1.968年(昭和43年)
3月30日(土)
・ 味鋺電話局(NTT西日本味鋺ビル)が楠町大字味鋺字神出に開局しました。
4月1日(月)・ 「味鋺小学校分校」が開校しました。
6月1日(土)
『北区政協力委員制度』が発足しました。
9月3日(火)
「名古屋市消防学校」が守山区へ移転しました。
・ 北区大杉三丁目に「市営住宅 大杉荘」(34戸)が造られ、竣工しました。
 

昭和43年 名古屋市北区 その他のできごと。
・ 北区成願寺町にある河川敷緑地「水分橋緑地」が開園しました。
現在、水分橋緑地は芝生広場やビオトープが整備された環境なので、北区の水遊び、隠れバーベキュースポットです。

 

1,969年(昭和44年)
4月1日(火)
・ 市交通局如意自動車運輸事務所が楠町大字如意字如来(現在の丸新町)に設置されました。
9月13日(土)
・ 同年5月頃にはじまった『北区セロハン公害反対運動』に伴って、北区セロハン公害対策協議会が発足しました。
その後70年代の初頭、北区内にあった2つのセロハン工場は廃業しました。
・ ステーキハウス「ブロンコビリー」のルーツ「喫茶トミヤマ」が名古屋市北区にオープンしました。

1,970年(昭和45年)
3月9日(月)
・ 北区の住宅公団(現在のUR)「上飯田第二団地」が入居開始されました。
3月23日(月)
・ 「城北病院」が北区金田町2丁目に移転し、診療開始しました。
6月30日(火)
・ 「楠学習センター」が楠町大字如意字池之堤(現在の如意一丁目)に設置されました。
10月1日(木)
・ 第11回国勢調査が行われ、当時の北区は、世帯数51,717世帯、人口179,803人でした。
・ 黒川の辻栄橋が架け替えられました。
・ 北区上飯田東町4丁目に「市営住宅 上飯田東荘」(110戸)が造られ、竣工しました。

 

1,971年(昭和46年)
4月1日(木)
・ 「六郷小学校分校」と「楠小学校分校」が開校しました。
5月28日(金)
・ 「北区成人学校」が開設されました。
7月9日(金)
・ 雷を伴った大雨で、上飯田北町内の矢田川堤防が決壊してしまいました。
8月1日(日)
・ 西区と北区にまたがる「洗堰緑地」が開園しました。
なお、洗堰の左岸堤防には、1,955年(昭和30年)に西春日井郡山田村が名古屋市に編入されたのを記念して桜の樹が植樹され、「蛇池千本桜」として桜の名所となっています。
8月
・ 北土木出張所が北土木事務所と改称されました。
10月15日(金)
・ 北区志賀町5丁目に「市営住宅 東志賀荘」(383戸)の入居が開始されました。
12月20日(月)
『市役所~大曽根間で地下鉄が開通』しました。
・ 北区福徳町3丁目に「市営住宅 福徳荘」(384戸)が造られ、竣工しました。
「市営住宅 黒川住宅」(高層耐火構造 150戸)が造られ、竣工しました。

1,971~1,973年(昭和46年~昭和48年)
・ 北区安井2丁目、3丁目に「市営住宅 成願寺荘」(中層耐火構造 130戸 高層耐火構造 300戸)が造られ、竣工しました。

1,972年(昭和47年) 
4月1日(土)
・ 味鋺小学校分校が独立し、「西味鋺小学校」として開校しました。
5月1日(月)
・ 北区名城町1丁目に(現在の名城一丁目)「愛知県スポーツ会館」が開館しました。
5月12日(金)
「愛知県公害調査センター」及び「衛生研究所」が北区辻町字流に設置されました。
5月28日(日)
・ 北青年の家が柳原町4丁目(現在の柳原三丁目)に設置されました。
6月17日(土)
「上飯田福祉会館・児童館」が上飯田南町1丁目に設置されました。
9月1日(金)
・ 名古屋市内初の乳児専門の「東志賀保育園」が開園しました。
・ 名古屋市北区八代町にラーメン専門店「陽龍」がオープンしました。
塗装職人の間でも、有名なラーメン屋さんで特製ラーメン(チャーシューメン)が絶対のおすすめです。
・ 北区上飯田通1丁目に「市営住宅 西上飯田荘」(高層耐火構造 144戸)が造られ、竣工しました。

 

1,973年(昭和48年)
4月1日(日)
・ 楠小学校分校が独立し、「楠西小学校」として開校しました。
4月1日(日)
「北児童交通遊園」が上飯田南町1丁目に設置されました。
4月27日(金)
・ 「上飯田ダイエー」(地上3階 店舗床11,222㎡)がオープンしました。
(店主小林ゆずは、小学生だった昭和60~62年頃、2階にあった本屋さん併設のアニメショップやおもちゃ屋さんによく行きました。)
5月
・ 北区金城1丁目の大規模分譲マンション「中富住宅」(574戸)の入居が開始されました。
7月1日(日)
・ 北区楠町喜惣治新田と西区山田町比良を結ぶ「喜惣治橋」が完成しました。
8月5日(日)
・ 前日の8月4日(土)夜からの雷雨によって、北区内で浸水被害が多数発生しました。
その際、地下鉄構内にも浸水し、大規模な運休となりました。
・ 北区清水にある天ぷらの人気店「天ぷらの光村」が創業しました。

1,974年(昭和49年)
2月28日(木)
・ 北区中丸町にあった東洋製機の跡地に住宅公団(現在のUR)「中丸団地」(高層耐火構造 733戸)が完成し、入居が開始されました。
3月28日(木)
・ 北区の黒川沿いに「御用水跡街園」ができました。
御用水跡街園は、黒川の夫婦橋から猿投橋までの左岸、約1.6kmを昭和47年から約2年掛けて整備し、設けられたもので、1,663年(寛文3年)に名古屋城のお堀の水源として開削された「御用水」が由来です。
3月29日(金)
「北消防署飯田出張所」が北区芦辺町3丁目に新築移転されました。
3月31日(日)
「北区休日急病診療所」が北区下飯田町3丁目に開設されました。
4月1日(月)
・ 北区会所町に「楠西幼稚園」が開園しました。
6月1日(土)
・ 北区福徳町に「光城小学校分校」が開校しました。
7月23日(火)
・ 北区尾上町にあった大東紡織の跡地に住宅公団(現在のUR)「尾上団地」(高層耐火構造 1,368戸)の入居が開始されました。
北区山田4丁目に「市営住宅 宮前シティ住宅」(225戸)が造られ、竣工しました。
12月20日(金)
・ 北警察署旧庁舎跡地に「北警察署 新庁舎」が竣工されました。
12月27日(金)
・ 『庄内川水系を汚す、全ての汚染源に対し、きれいで快適な生活環境を取り戻し、次代へ引きつぐ』事を目的とした、「矢田・庄内川をきれいにする会」が結成されました。
・ 北区中丸町にUR住宅「中丸」が造られ、竣工しました。

1,975年(昭和50年)
5月24日( )
・ 「矢田・庄内川をきれいにする会」が任意団体として設立され、「川の汚れは心の汚れ」と書いた看板の設置活動を開始しました。
現在、矢田・庄内川をきれいにする会では、庄内川魚道調査、庄内川まつり魚釣り大会(毎年11月)、庄内川アユ遡上調査などの活動を行っています。
6月4日(水)
「市営 自転車駐車場」が地下鉄黒川駅東口に完成しました。
・6月29日
・ 北区水分橋周辺の庄内川で「第1回食べられない魚釣り大会」が矢田・庄内川をきれいにする会によって開催されました。 ・ 北区山田四丁目に「市営住宅 新山田北荘」(高層耐火構造 216戸)が造られ、竣工しました。

1,975年~1,976年(昭和50~51年)
3月10日(月)仏滅
・ 北区楠町大字味鋺字北斉宮司に「楠支所」が新築移転されました。
3月15日(土)仏滅
・ 大曽根中学校にある体育施設の夜間開放が開始されました。
10月1日(水)先負
・ 第12回国勢調査が行われ、当時の北区は、世帯数57,017世帯、人口182,610人でした。
12月11日(木)先勝
・ 北区金城町に「名古屋障害者歯科医療センター」が開設されました。(現在は、北区総合庁舎名古屋歯科医療センター内にあります。) ・ 北区尾上町にあった大東紡織の跡地にUR住宅「尾上」が造られ、竣工しました。
・ 北区上飯田南町4丁目に北区最大規模の市営住宅「上飯田南荘」(1,612戸)が造られ、竣工しました。

 

1,976年(昭和51年)
4月1日(木)仏滅
・ 北区上飯田南町にあった「飯田小学校分校」、北区楠2丁目にあった「楠中学校分校」の2校が開校しました。
6月16日(水)大安
『北区身体障害者福祉街づくり事業』が開始されました。
9月15日(水)大安
・ 北区 国道41号線の「新川中橋」が完成しました。
11月24日(水)赤口
・ 地下鉄大曽根駅で「集改札自動化」が開始されました。
11月29日(月)大安
・ 北区上飯田南町の「市営 上飯田南荘」が入居開始されました。
12月23日(木)先勝
・ 「北環境事業所」が辻本通1丁目に移転しました。

その他 1,976年(昭和51年)北区のできごと
・ 北区東味鋺に「県営 味鋺住宅」が竣工しました。
・ 名古屋カレーうどんの元祖「本店 鯱乃家」(ほんてん しゃちのや)が名古屋市北区田幡にオープンしました。

・ 北区東味鋺1丁目に「県営住宅 味鋺A」が造られ、竣工しました。

1,977年(昭和52年)
4月1日(金)友引
・ 北区池花町の「楠小学校分校」、中味鋺の「北中学校」(楠中学校分校が独立)の2校が開校しました。
6月16日(木)先負
『北区身体障害者福祉街づくり事業』が開始されました。
12月23日(金)大安
「北環境事業所」が辻本通1丁目に移転しました。

その他 1,977年(昭和52年)北区のできごと
・ 北区萩野通1丁目に「市営住宅 萩野荘」(12戸)が造られ、竣工しました。

 

1,978年(昭和53年)
8月
・ 名鉄瀬戸線が栄駅に乗り入れ開始されました。
10月1日(日)赤口
・ 萩野通1丁目に「鳩岡作業所」が開設されました。
11月4日(土)先負
・ 北区水草町にあった大日本セロファンの跡地に住宅公団(現在のUR)「水草団地」が造られ、竣工しました。

1,979年(昭和54年)
1月24日(水)
・ 地下鉄の北区大曽根駅、千種区星ヶ丘駅で「集改札自動化」が開始されました。
4月1日(土)
・ 北区織部町の「県営 織部住宅」(409戸)が入居開始されました。
・ 飯田小学校分校が独立し、「宮前小学校」として開校しました。
「愛知県母子福祉会館」が北区金田町3丁目に開館しました。
9月1日(土)仏滅
「三階橋ポンプ場」が北区辻町字古新田に設置されました。
11月9日(金)仏滅
・ 北区水草町にUR住宅「水草」(高層耐火構造 761戸)が造られ、竣工しました。
・ 北区中切町5丁目にあった(中層耐火構造 30戸 高層耐火構造 238戸)が造られ、竣工しました。

1,980年(昭和55年)
4月1日(火)
・ 北区福徳町にあった光城小学校分校が「川中小学校」として独立開校しました。
・ 北区辻町に「県営住宅 辻町KC」 (中層耐火構造 104戸 高層耐火構造 915戸)が造られ、竣工しました。
(個人的には、かなり近代的なデザインの高層住宅だと思います。・・・・)
5月15日(火)大安
・ 萩野通2丁目の北消防署の旧庁舎跡地に「北消防署新庁舎」が竣工しました。
5月17日(木)先勝
・ 六郷小学校に市民教養ルームが開設されました。
10月1日(月)赤口
・ 第13回国勢調査行われ、当時の北区は、世帯数59,848世帯 人口179,266人でした。
・ 北区楠2丁目に「市営住宅 北あじま荘」(35戸)が造られ、竣工しました。

1,981年(昭和56年)
4月1日
・ 六郷小学校分校が「六郷北小学校」として独立開校しました。
5月16日(土)
・ 名城公園内の小河「せせらぎ」が完成しました。
店主小林ゆずは、完成した当時、母に連れられて名城公園によく行きました。

1,982年(昭和57年)
1月12日(火)大安
・ 北区楠町大字味鋺に「楠地区会館」が開館されました。
7月1日(木)先負
・ 北区若鶴町の「楠プール」がオープンしました。
11月1日(月)赤口
「北区総合庁舎」(区役所・保健所・市総合社会福祉会館)が清水四丁目17番1号に新築されました。)

1,983年(昭和58年)
3月
『名城公園の芝生広場が完成』しました。
3月31日(水)赤口
『北区史跡散策路』が設定されました。
4月1日(木)先勝
・ 北区辻町1丁目に「辻小学校」が開校しました。
4月1日(木)先勝
・ 北区西味鋺に「市営 西あじま荘」(799戸)の入居が開始されました。
4月6日(火)赤口
・ 名城公園に彫刻が3体設置されました。
4月27日(火)仏滅
「コミュニティセンター 如意会館」が開館しました。
8月27日(金)赤口
・ 御用水跡街園に「天然プールの碑」が設置されました。

その他 1,983年(昭和58年)のできごと
・ 北区中切町6丁目に「市営住宅 中切荘」(50戸)が造られ、竣工しました。

 

1,983~1,988年(昭和58年~昭和63年)
・ 北区桐畑町に「市営住宅 如意荘」(512戸)が造られ、竣工しました。

 

1,984年(昭和59年)
6月
・ 北区黒川本通に「北社会教育センター」が開館しました。

1,985年(昭和60年)
4月
「北自動車運輸事務所」が廃止されました。
10月1日(月)赤口
・ 第14回国勢調査が行われ、当時の北区は、人口175,827人、世帯数60,670世帯でした。

その他 1,985年(昭和60年)のできごと
・ 北区安井2丁目に「県営住宅 成願寺A」が造られ、竣工しました。
・ 同年、北区東味鋺に「県営住宅 味鋺東A」が造られ、竣工しました。
・ 北区楠味鋺4丁目に「市営住宅 東あじま荘」(71戸)が造られ、竣工しました。

1,986~1,991年(昭和61年~平成3年)
3月
・ 昭和36年7月から、4期に渡る新川中橋の工事が完了しました。新川中橋の造成、拡幅にかかった費用は総額で28億500万円となっています。

 

その他 1,986~1,991年(昭和61年~平成3年)のできごと
・ 北区喜惣治2丁目に「市営住宅 喜惣治荘」(905戸)が造られ、竣工しました。

 

1,987年(昭和62年)
4月
・ 如意自動車運輸事務所が如意営業所と改称されました。

その他 1,987年(昭和62年)のできごと
・ 北区山田4丁目に「市営住宅 天神橋シティ住宅」(18戸)が造られ、竣工しました。

1,987~1,990年(昭和62年~平成2年)
・ 北区楠2丁目、中味鋺3丁目に「市営住宅 中あじま荘」(683戸)が造られ、竣工しました。

 

1,988年(昭和63年)
2月15日(月)先負
・ 名古屋市市制百周年を記念し、公募によって『北』を象った北区のシンボルマークが制定されました。
6月3日(金)仏滅
・ 北区の木と区の花が決定しました。
7月
・ 大曽根商店街で、「さよならアーケード」の大売り出しが行われました。

その他 1,988年(昭和63年)のできごと
・ 台湾ラーメンが有名な北区大野町にある「辛龍」が創業開店しました。
(辛龍の台湾ラーメン、牛すじ、渡り蟹のから揚げ、チャーハンがおすすめです。)
・ 北区山田西町3丁目に「市営住宅 山田西シティ住宅」(25戸)が造られ、竣工しました。


 平成時代

1,989年(平成元年)
4月
・ 北区楠2丁目に「北保健所楠分室」が開設されました。
4月10日(月)先勝
・ 日本気象協会東海本部が東区白壁の庁舎から水草町に新築移転し、業務開始しました。 7月4日(火)先勝
・ 北区名城の下水道局名城処理場内に「下水道科学館」がオープンしました。
下水道科学館の館内には、「下水道バーチャルアドベンチャー」、「トイレの仕組み」などがあります。
9月29日(火)先勝
・ 大曽根商店街「オズモール」がオープンしました。

その他 1,989年(平成元年)のできごと
・ 北区山田町に「市営住宅 大曽根北シティ住宅」(25戸)が造られ、竣工しました。
・ 北区の「福徳商店街」が振興組合を解散しました。

1,990年(平成2年)
10月1日(月)友引
・ 第15回国勢調査が行われ、当時の北区は、人口172,559人、世帯数63,267世帯でした。

その他 1,990年(平成2年)のできごと
・ 名鉄瀬戸線「東大手~森下高架化」が開通しました。
・ 北区中味鋺1丁目に「市営住宅 南あじま荘」(82戸)が造られ、竣工しました。

1,991年(平成3年)
12月1日(日)大安
・ 東海交通事業が運営する「城北線」が開通しました。
ちなみに城北線は、味美駅~比良駅間で北区を通過しますが、北区に駅はありません。

その他 1,991年(平成3年)のできごと
・ 北区志賀町に「北区文化小劇場」「北図書館」が開館しました。

1,992年(平成4年)
7月
・ 北区成願寺1丁目に「北スポーツセンター」が開館しました。

その他 1,992年(平成4年)のできごと
・ 北区上飯田北町3丁目に「市営住宅 上飯田北シティ住宅」(6戸)が造られ、竣工しました。

1,992~1,994年(平成4年~6年)
・ 北区上飯田東町5丁目に「市営住宅 上飯田荘」(266戸)が造られ、竣工しました。

1,993年(平成5年)
3月31日(水)大安
・ 北区黒川地区、昭和区緑町の『地区優良再開発建築物整備促進事業』が完了しました。
11月
・ 北区志賀本通1丁目に「アンビックス志賀ストリートタワー」が竣工しました。

その他 1,993年(平成5年)のできごと
・ 北区の矢田川と庄内川に掛かる「ふれあい橋(西味鋺 人道橋)」(長さ約360m、幅4m 総工費約17億円)が完成しました。
・ 福徳ポンプ所や福徳雨水調整池の完成によって「三郷悪水」が下水幹線になる際に作られた、「三郷水路せせらぎ道路」が完成しました。

1,994年(平成6年)
5月22日(日)先負
・ 庄内橋ゴルフ場で『第2回 ふれ愛フェスタ』が開催されました。
7月19日(火)仏滅
・ 北区のふれあい橋と新川中橋の間にある『矢田川の河川噴水』が完成しました。
矢田川の河川噴水は、矢田川の水を取水口から取り入れて 河川敷の地下にあるポンプで圧力をかけ、 川の中のノズルから最大50mの高さまで噴き上げています。
なお、矢田川噴水の操作は、北スポーツセンター内の電気室で自動制御されています。

1,991~1,996年(平成3~8年)
・ 北区大野町にUR住宅「アーバンラフレ志賀」が造られ、竣工しました。

1,995年(平成7年)
9月19日(火)友引
『名古屋高速 楠より、南』が開通しました。
10月1日(日)友引
・ 第16回国勢調査行われ、当時の北区は、人口171,582人、世帯数66,983世帯でした。
  12月22日(金)大安
・ 北区喜惣治の大山川、合瀬川に架かる「喜惣治大橋」が開通しました。

その他 1,995年(平成7年)のできごと
・ 名古屋市北区にラーメン「唐変木」がオープンしました。
店主ゆずがよく訪れるラーメン屋さんです。
深い味わいのラーメンや唐変木巻きがおすすめです。
『名古屋高速 楠より、南』が開通しました。

1,996年(平成8年)
4月9日(火)大安
・ 北区黒川本通に『黒川親水広場』が完成しました。
5月
・ 北区の超高層マンション「ザ・シーン城北」が完成しました。
建設された当時、ザ・シーン城北は日本一高いマンションとして話題となりました。
ちなみに、現在(令和1年)でも、名古屋市内では2位の超高層マンションで、今でも北区のランドマークと言えるマンションです。

その他 1,996年(平成8年)のできごと
「六が池親水公園(北区六が池町)」、黒川沿いの「北清水親水公園(北区黒川本通1丁目)」が完成しました。

1,997年(平成9年)
7月10日(木)大安
・ 北区楠2丁目に「名古屋市楠図書館」が開館しました。
9月10日(水)仏滅
・ 北区喜惣治1丁目に「喜惣治ポンプ所」の運転が開始されました。
10月13日(月)友引
・ 都市高速道路高速2号「黒川出入口」が開通しました。
10月13日(月)友引
・ 北区清水4丁目に「名古屋高速道路公社・広報資料センター」(ネックス プラザ)がオープンしました。
アネックス プラザでは、名古屋高速道路の建設や管理について、楽しみながら学ぶ事ができます。

その他 1,997年(平成9年)のできごと
・ 北区上飯田東町2丁目に「市営住宅 宮前シティ住宅」(15戸)が造られ、竣工しました。

1,998年(平成10年)
3月21日(土)赤口
・ 北区辻町に「アピタ名古屋北店」(アピタと40の専門店)がオープンしました。
(店主ゆずが買い物に出かけてます。)
9月27日(日)友引
・ 上飯田連絡線工事の地下水を黒川へ放水開始しました。

その他 1,998年(平成10年)のできごと
・ 北区上飯田東町1丁目に「市営住宅 上飯田東シティ住宅」(16戸)が造られ、竣工しました。

1,998~2,002年(平成10~14年)
・ 北区中丸町にUR住宅「アーバニア志賀公園」が造られ、竣工しました。

1,999年(平成11年)
9月2日(木)大安~3日(金)赤口
・ 庄内川から黒川への導水試験が行われました。

2,000年(平成12年)
1月19日(水)赤口
・ 地下鉄「大曽根~砂田橋」(約1.7km)が完成しました。
6月30日(金)先負
「北図書館」が東志賀公園の西隣に移転改築されました。
7月17日(月)先負
「北文化小劇場」が開館しました。
9月11日(月)先負
・ 東海豪雨で、北区味鋺周辺で浸水被害が発生しました。 (床上浸水2,221棟、床下浸水,172棟)
また、地下鉄平安通駅が冠水してしまいました。
10月1日(日)赤口・ 第17回国勢調査行われ、当時の北区は、世帯数69,101世帯 人口167,640人

2,000年~2,002年(平成12~14年)
・ 北区鳩岡町にUR住宅「アーバンラフレ鳩岡」が建てられ、竣工しました。

2,001年(平成13年)
3月10日(土)大安
・ 名古屋高速道路「楠ジャンクション~小牧南」 (約5.5km)が開通しました。
3月23日(金)赤口
・ 大曽根~志段味間の「ゆとりーとライン」が運行開始されました。
7月23日(月)友引
・ 庄内川から堀川へ通水が開始されました。

2,003年(平成15年)
3月27日(木)友引
・ 名古屋地下鉄の上飯田線「平安通駅~上飯田駅」 (約0.8㎞)が開通しました。
6月30日(月)赤口
・ 北区辻本通1丁目の北環境事業所が改築竣工されました。

その他 2,003年(平成15年)のできごと
・ 北区上飯田東町2丁目に「市営住宅 宮前北シティ住宅」(24戸)が造られ、竣工しました。
・ 北区大曽根にUR住宅「アーバニア大曽根駅前」が造られ、竣工しました。
・ 北区上飯田北町にUR住宅「アーバニア上飯田北町」が造られ、竣工しました。

2,005年(平成17年)
10月1日(土)大安
・ 第18回国勢調査行われ、当時の北区は、人口166,441人、世帯数71,782世帯でした。

2,006年(平成18年)
12月20日(水)大安
「大曽根地下街オズガーデン」(おおぞねちかがいオズガーデン)がオープンしました。

その他 2,006年(平成18年)のできごと
・ 大曽根本通商店街「オゾンアベニュー」がオープンしました。

2,007年(平成19年)
7月7日(土)先負
・ 北区柳原に「ユースクエア(青少年交流プラザ)」が開設されました。
11月1日(木)赤口
・ 名古屋市北区に「小林塗料産業」の名古屋営業所が開設されました。

その他 2,007年(平成19年)のできごと
「洗堰緑地公園」の改修整備が完成しました。
なお、洗堰緑地公園改修が行われた際には、野球場他のスポーツ施設やビオトープが新たに設置されました。

2,008年(平成20年)
・ 北区玄馬町に「ドン・キホーテ 名古屋本店」がオープンしました。

2,009年(平成21年)
10月18日(日)先負
・ 北区黒川で行われている「黒川友禅流し」が都市景観賞まちづくり部門で受賞されました。

2,010年(平成22年)
3月22日(月)友引
・ 木曽川から黒川への導水試験が終了しました。
10月1日(金)先勝
・ 第19回国勢調査が行われ、当時の北区は、人口165,785人、世帯数74,641世帯でした。

その他 2,010年(平成22年)のできごと
『庄内用水の通年通水』が開始されました。

2,011年(平成23年)
5月1日(日)先勝
・ クオリティライフ21城北に「西部医療センター」が開院しました。
9月20日(火)赤口
・ 台風15号接近に伴い、北区内で避難指示が発令されました。

2,013年(平成25年)
10月11日(金)先負
・ 愛知学院大学と連携協力に関する協定書が締結されました。

2,014年(平成26年)
4月
・ 北区名城3丁目「愛知学院大学名城公園キャンパス」が開校しました。

その他 2,014年(平成26年)のできごと
・ 北区柳原3丁目に「市営住宅 柳原荘」(152戸)が造られ、竣工しました。

2,016年(平成28年)
12月8日(木)友引
・ 独立行政法人都市再生機構と連携協力に関する包括協定書が締結されました。

2,017年(平成29年)
4月 
・ 北区福徳にあった旧愛知県立愛知工業高等学校の跡地に「愛知県立城北つばさ高等学校」が開校しました。
4月27日(木)大安
・ 名城公園の北園に名古屋初の公園内複合商業施設 「TONARINO」がオープンしました。
TONARINOのコンセプトは、「公園の利用者と共に育みながら成長していく名城公園」です。

その他 2,017年(平成29年)のできごと
・ 交通渋滞解消などを目的とした「三階橋立体交差」が完成しました。

2,019年(平成31年)
3月29日(金)赤口
・ 名鉄瀬戸線「尼ヶ坂〜清水」駅間の高架下に、新たな商業施設「SAKUMACHI商店街」がオープンしました。
6月11日(火)先勝
・ 名城公園北園に「愛知県体育館」を移設する愛知県の計画が発表されました。










内容は、 随時更新していきます。まだ、工事中ですので『名古屋市北区の歴史・文化年表』完成まで、もうしばらくお待ちください。







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