1. 名古屋市の外壁塗装店【小林塗装】トップ
  2. 色には、その時代の空気がしっかり映し出されます
明治から令和までの流行色と時代背景|外壁塗装の色選びに活かす日本の色彩史 イメージ 明治から令和までの流行色と時代背景|外壁塗装の色選びに活かす日本の色彩史 イメージ

明治から令和までの流行色と時代背景|外壁の色選びに活かす日本の色彩史

色を辿ると、その時代の価値観が浮かび上がってきます。
人々がどんな暮らしを理想とし、何に憧れ、何を慎んできたのか――その答えは、意外なほど素直に「色」に表れてきました。

明治の日本は、西洋文化への憧れと戸惑いの中で、色に「新しさ」や「文明」の象徴を託しました。
大正には、自由と個性を楽しむ空気が生まれ、色は装うためのものへと広がっていきます。
昭和に入ると、戦争と復興、高度成長という激しい時代の波の中で、色は抑制され、そして再び解き放たれていきました。
平成は多様性と選択の時代。流行色は一つに定まらず「自分らしさ」を映す存在へと変わります。
そして令和。色は主張するものから、暮らしや環境に静かに寄り添うものへと役割を移しつつあります。

このコラムは、「名古屋の塗装店」小林塗装が、明治から令和までの流行色の流れを「住まいの色選び」という視点でまとめたものです。

外壁塗装の色は、カタログや色見本の中だけで決めると「無難」にはなりますが、「その色がどんな時代に愛され、どんな価値観と結びついてきたのか」というルーツや時代観を知ると、同じ色でも見え方が一段変わります。

これから、流行色の変遷を手がかりに、日本人の美意識と暮らしの感覚を読み解きながら、今の住宅に自然に馴染み、なおかつ「~らしさ」が残る色の選び方へつなげていきます。

このコラム「色には、その時代の空気がしっかり映し出されます」で分かること
  • ■ 明治〜令和まで、流行色が「なぜそうなったのか」を時代背景ごとに整理できる
  • ■ 流行色の「空気感」を、外壁に落とし込むときの考え方が分かる
  • ■ 今の住宅で「浮かないのに、らしさが残る」外壁色の選び方と、避けたい色の傾向

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1. どうして、色は時代を映すのか?

どうして、色は時代を映すのか?イメージ

色が時代を映す理由は、単に「その頃に流行った色があった」という話ではなく、当時の人々がどんな社会の空気の中で暮らし、何を良しとし、何を慎むべきだと感じていたか――その『価値観の輪郭』が、日々の選択の中で少しずつ色ににじみ出ていき、やがて「選ばれやすい色」、「選びにくい色」という共通感覚として広がり、流行色という形にまとまっていくからです。

また、流行色は単なる「おしゃれの流行」ではありません。
むしろそれは、その時代を生きた人たちが、無意識のうちに共有していた価値観の集合体です。

たとえば、社会が明るく前向きな空気に包まれている時代は、自然と「軽やかさ」や「清潔感」を感じさせる色が選ばれやすくなります。
反対に、不安や緊張が高まる時代は、目立つ色が敬遠され、落ち着いた色・控えめな色へと人の好みが寄っていきます。

これは誰かが命令したからというより、「この色なら安心」、「この色なら浮かない」という感覚が、社会全体の空気として共有されていくからです。

つまり流行色とは

「今の時代は、どう見られるのが心地いいのか?」
「どんな暮らし方が良いとされているのか?」
「何を贅沢と感じ、何を慎みと感じるのか?」

そうした「人の目に見えない判断基準」が、いちばん分かりやすく表面化したものだと言えます。

そして面白いのは、流行色が広がるプロセスが、決して派手なブームだけではないことです。
流行の中心にいる人が決めるというより、むしろ多くの人が日常の中で少しずつ選び、無意識に揃っていくことで「気づいたら、街全体がその色の空気になっている」
流行色とは、そういう静かな同調の結果として生まれます。

だからこそ、流行色をたどると、その時代の「正しさ」や「美しさ」の基準が見えてきます。
色は、当時の人々の気分や憧れだけでなく、社会が求めた振る舞いまでも映し出す。

流行色とは、時代が人に求めた価値観が、最も分かりやすい形で凝縮されたものなのです。

2. 明治時代の流行色|文明開化と「新しさ」を象徴する色

明治時代の流行色|文明開化と「新しさ」を象徴する色イメージ

明治時代(1868〜1912年)は、日本の色彩史において「価値観そのものが大きく切り替わった時代」です。

江戸まで続いてきた和の美意識に、西洋文化が一気に流れ込み、色は単なる装飾ではなく、新しさ・進歩・文明を示す象徴として扱われるようになりました。

明治時代の主な流行色
海老茶・葡萄茶
(えびちゃ・ぶどうちゃ)
明治時代中期以降、女学生の袴(はいからさんスタイル)として大流行した
紫みをおびた暗めの赤色。
紫・藤色
(むらさき・ふじいろ)
江戸時代の「粋」を受け継ぎ、明治時代全般にわたり女性の衣類に好まれた高貴な色。
アニリン染料による鮮やかな赤・紫 明治の錦絵(赤絵)や着物に使われた、化学染料による毒々しいほどの鮮明な色合い。
金春色(こんぱるいろ) 明治後期に新橋の芸者衆を中心に流行した、鮮やかな青緑色。
西洋からの「ハイカラ」な色として認識されました。
洗朱(あらいしゅ) 明治後期に登場した、洗ったような淡い朱色。
鉄色(くろがねいろ) 明治中期〜大正にかけて流行した、暗くにぶい青緑色。
建築と街並みの色
赤煉瓦(あかれんが) 東京駅や銀座の街並みに代表される、西洋建築の普及とともに「都会の象徴」となった色です。
明治時代 流行色の時代背景

文明開化のもと、人々が色に求めたのは「これまでと違うこと」でした。

江戸時代までの日本では、草木染めや素材感に根ざした、渋みと余白のある色――いわゆる「粋(いき)」なトーンが尊ばれてきましたが、明治に入ると状況が大きく変わります。

西洋から輸入された合成染料の普及によって、色彩表現そのものが一気に拡張され、これまで出せなかった鮮やかさや発色が、『新しい時代の象徴』として歓迎されるようになったのです。

そのため明治の流行色は、「美しいかどうか」以上に、「新しいかどうか」、「近代的に見えるかどうか」で選ばれていきました。

一方で、洋装や洋風建築の広がりとともに、黒・濃紺・深緑・えんじ色といった重厚な濃色も、「西洋的」、「近代的」な色として強い価値を持ちました。
それらの色には、権威や格式、知性といった意味が重ねられていきます。

明治の色には、鮮やかなロマンと同時に、どこか緊張感と誇らしさが同居しています。
それは、日本が「近代国家としてどう見られたいか」を必死に模索していた時代の空気が、そのまま色に映し出されているからです。

色は自由に楽しむものというより、文明開化という新しい規範に適応しているかを示すサインでもありました。
明治の流行色とは、まさに「新しさそのものを身にまとう」ための色だったのです。

3. 昭和元年〜10年の流行色|モダンから渋さへ移り変わる昭和初期の色

昭和元年(1926年)から昭和10年(1935年)にかけては、日本の色彩感覚が大きな転換期を迎えた時代です。

大正時代に花開いた自由で華やかなモダンカラーの余韻を残しつつも、昭和に入ると社会には徐々に緊張感と不安が広がり、色のトーンもまた、その空気を敏感に映し始めます。

昭和元年〜10年の主な流行色
洗朱(あらいしゅ) 洗ったような淡い赤色。
青磁色(せいじいろ) 淡い緑青色。
蘇芳色(すおういろ) 濃い赤色。
杏色(あんずいろ) 淡いオレンジ色。
葡萄鼠(ぶどうねず) 紫がかったグレー。
金泥色(きんでいいろ) 華やかなゴールド系。
赤・青・黄の純色 昭和10年前後、刹那的な享楽やモダンな感覚を反映した派手な色も流行。
流線形デザインと連動した色 1930年代に入ると、欧米の影響で「スピード感」を象徴するシルバーや、体にフィットするロングドレスに合う滑らかな光沢色が注目されました。
昭和元年〜10年 流行色の時代背景

昭和元年(1926年)から10年(1935年)にかけての流行色は、ひとつの方向にまとまることなく、モダンへの憧れと社会不安が交錯する中で揺れ動いた色だったと言えます。

昭和元年〜5年頃|モダン・エレガントの時代

昭和初期の前半は、都市部を中心に大正時代のモダン文化が色濃く引き継がれていました。

赤や緑、紫、青といった色も用いられていましたが、いずれもどこかくすみを含んだ洒落た色合いで、大正ほどの軽やかさや開放感はなく、彩度を抑えた落ち着きが加わるのが特徴です。

この時期の色選びは、「目立つため」ではなく、「洗練されて見えるため」です。
派手さよりも、都会的で知的に見えることが重視され、色は装飾というより品格やセンスを表す要素として扱われるようになっていきました。

昭和5年〜10年頃|不安と享楽が同居する時代

一方、昭和恐慌の影響が広がり、社会不安が強まるにつれて、暮らしの現場では茶・鼠・紺といった渋く実用的な色が増えていきます。
堅実さや慎みが求められる空気の中で、華やかさは次第に影を潜めていきました。

しかし同時に、都市部ではまったく逆の動きも見られます。
「モダンガール(モガ)」と呼ばれる女性たちが登場し、派手な色や大胆な配色を取り入れたファッションを楽しむようになりました。
社会が不安定になるほど、あえて原色や刺激的な色をまとうという、刹那的で享楽的なムードが広がっていったのです。

この背景には、「エロ・グロ・ナンセンス」と呼ばれる文化潮流もありました。
先の見えない時代だからこそ、理性よりも感覚を優先し、強い色で自己を表現する、そんな心情が、色選びにも色濃く反映されていました。
和装においても、渋めの色一辺倒から、より鮮やかな色へと振れ幅が広がっていったのが、この時期の特徴です。

はざまの時代が生んだ色

昭和元年〜10年の流行色は、「自由なモダン」と「これから訪れる統制の時代」のちょうどはざまで生まれた色でした。
洗練を求める気持ちと、社会の空気を読む慎み。堅実さと、あえて派手に振り切る衝動感。

明るすぎず、暗すぎない――どこか緊張をはらんだ中間色が多いのも、このせめぎ合いの結果です。
昭和初期の色とは、まだおしゃれを楽しみたいという願いと、時代の不穏さを察知する感覚が同時に存在していたことを、最も正直に映し出した存在だったと言えるでしょう。

4. 昭和10年〜13年の流行色|モダンの終焉と統制へ向かう色の変化

昭和10年(1935年)から13年(1938年)にかけての流行色は、昭和初期に残っていたモダンな感覚が次第に後退し、社会の緊張感と統制の気配が色に現れ始めた時代を象徴しています。

日中戦争が本格化する前は、モダンガール(モガ)の影響が残り、明るく洗練された色彩が人気でしたが、戦争の長期化に伴い、派手な色が敬遠され始め、落ち着いた色調が好まれるようになりました。

社会は実用・節約・規律へと舵を切ります。
衣食住の場面でも「目立たないこと」が正解になり、色は趣味より態度を表すものになっていきました。

いわゆる「派手な色は非国民」といった同調圧力が強まり、明るい色は生活の表舞台から引いていきます。

昭和10年〜15年の主な流行色
昭和10年代前半
(1935年〜1937年頃)
明るいベージュ、ブラウン、グリーン
ネイビーブルー(知的な印象の紺色)
ペールカラー(薄いパステルカラー)
昭和10年代中盤
(1938年〜1940年頃)
スモーキーカラー(灰色がかったくすんだ色)
ボトルグリーン(深みのある緑)
昭和10年〜13年 流行色の時代背景

この頃になると、都市部で見られた派手なモダンカラーや刹那的な享楽の色は影を潜め、生活全体に「控えめであること」、そして「目立たないこと」が求められる空気が強まっていきます。
色はおしゃれを楽しむためのものから、周囲と調和し、空気を乱さないための要素へと役割を変えていきました。

好まれたのは、茶・鼠・紺・墨・くすんだ緑といった、彩度を抑えた実用的な色でした。
これらは派手さを避けつつも、だらしなく見えない「きちんとした印象」を与える色として選ばれていきます。
明るい色が減ったというより、色数そのものが絞られていったと言った方が近いでしょう。

またこの時代の「渋さ」は、現在イメージされがちな「昭和レトロの味わい」とは少し違います。
経年変化によるくすみではなく、最初から意図的に抑えられた色調であり、そこには時代に適応しようとする人々の意識が色濃く反映されています。

昭和10年〜15年の流行色は、自由に色を楽しんだ昭和初期と、完全な戦時体制へ入っていく昭和後期との境界線に位置する色。
それは、「華やかさを控えること」が美徳へと変わっていく過程を、静かに、しかし確実に映し出した色彩だったのです。

5. 昭和13年〜20年の流行色|戦時体制が生んだ「抑制された色」

昭和13年(1938年)から昭和20年(1945年)にかけての流行色は、日本の色彩史の中でも、最も統制と制限が色に及んだ時代を象徴しています。
昭和12年に始まった日中戦争は、当初短期決戦と見られていたものの長期化し、国民生活への影響が拡大。昭和16年には太平洋戦争へと突入し、日本全体が戦時体制へと本格的に移行しました。

物資や資源の不足により、日常品の配給制や標準化が進められたこの時期、衣服や住まい、広告にいたるまで、色彩表現にも国家による統制が及びました。
「おしゃれ」や「装い」といった娯楽的側面は抑えられ、色は「質素・実用・規律」を体現するものとして扱われるようになります。くすんだカーキ色、濃紺、灰色、茶色といった地味で沈んだ色が主流となり、華美な色彩や装飾は「非国民的」として社会的な批判の対象となることもありました。

このように、色は単なる流行ではなく、国家と社会の思想を反映する存在となっていたのです。光を失い、沈黙を強いられた色彩──それは、自由を奪われた人々の暮らしと心情を物語っていました。

カーキ色(国防色) 軍服や衣服の定番色。
茶・灰色・黒・紺 地味で汚れが目立たない「沈んだ色」が中心。
「贅沢色」の禁止 明るい赤や派手な色は禁じられ、隠れて着用されるか、染め替えられました。
昭和13年〜20年 流行色の時代背景

この時代に好まれたというより、結果的に残った色は、鼠色、灰色、焦げ茶、濃紺、墨色、カーキ系など、彩度と明度を極限まで抑えた色ばかりです。
派手な色や明るい色は贅沢とみなされ、「目立たないこと」、そして「周囲と同化すること」が当時の価値観となっていきました。

また、物資不足や染料の制限により、そもそも色を選ぶ余地が少なかったことも、この時代の大きな特徴です。
流行色とはいえ、実態としては統制と不足が生み出した必然の色であり、デザインや好み以前の問題だったともいえます。

戦争末期になると、空襲や焼け跡の影響も重なり、街の景色は埃と煤に覆われた「灰色の風景」へと変わっていきます。
この頃の色は、もはや流行という概念すらなく、生活そのものの厳しさが、そのまま色として可視化された状態でした。

そして昭和20年8月、終戦。
長く続いた戦争の時代が終わると、人々の心には反動のように「明るさ」への渇望が芽生え、戦後の色彩感覚へと一気に舵が切られていきます。
昭和16年〜20年の流行色は、その後のパステルカラーや明るい色の流行を理解するうえで欠かせない起点となる時代だったのです。

6. 昭和20年〜25年の流行色|終戦から復興へ向かう「色の回復期」

昭和20年(1945年)から25年(1950年)にかけての流行色は、日本の色彩史において、最も大きな破壊と最も大きな再生が起きた時代を象徴しています。

終戦直後の日本は、焼け跡と瓦礫、煤に覆われた景色が広がり、街全体が灰色に沈んでいました。
この時代、色は流行以前に、そもそも存在すること自体が難しいものだったと言えます。

>昭和20年〜25年の主な流行色
終戦直後(昭和20年~22年頃):モノトーンと地味な色
モノトーン
(黒、白、グレー)
混乱期で衣料不足の中、手持ちの服を染め直したり、米軍の放出品などを利用していたので、黒やグレーなどのモノトーンが主流でした。
モンペの色彩 戦中からの流れで、藍色、茶色、カーキなど、目立たない地味な色の衣服が日常でした。
復興期(昭和23年~25年頃):明るい色への転換
パステルカラー
(パステル調)
1950年(昭和25年)前後、生活に少し余裕が出始め、戦後アメリカの明るい色調が受け入れられ、パステルカラーが流行しました。
赤と黒
(スクリーンモード)
映画の影響が大きく、イギリス映画『赤い靴』やアメリカ映画のファッションが注目されました。
特に、赤がファッションのアクセントとして取り入れられるようになりました。
戦中からの流れで、藍色、茶色、カーキなど、目立たない地味な色の衣服が日常でした。
モーニングスターブルー 1950年代の流行色として、アメリカ映画から派生した明るい緑がかった青(明るいグリーンブルー)が流行しました。
明るい色・華やかな色 戦争のイメージを払拭するような、黄色、ピンク、薄緑などの明るい色彩が、少しずつ洋服に取り入れられるようになりました。
昭和20年〜25年 流行色の時代背景

終戦直後の日本では、物資不足が深刻で、暮らしの中で選ばれた色は、鼠色、灰色、くすんだ茶色といった、戦時の名残を色濃く引きずった抑制的なものが中心でした。
ただし、これらは「好まれて選ばれた色」ではありません

この時代は、国内で使える材料や染料が限られていたため、色選びの自由がほとんどなかった時代の現実を映しています。

しかし、混乱と不足の中でも、人々の意識は少しずつ変わり始めます。
人々の価値観は「生き延びること」から、「暮らしを立て直すこと」へ。
その変化と歩調を合わせるように、白に近い色、明るいベージュ、生成りといった、わずかな明るさを感じさせる色が、日常の中に戻り始めました。

この頃、日本は占領下にあり、社会にはアメリカ文化が流れ込みます。
いわゆるアプレゲール(戦後派)やアメリカンルックと呼ばれる明るくカジュアルなファッションは、戦後の人々にとって「新しい生活の見本」でもありました。
それまでの抑制された色使いとは対照的な、軽やかで明るい色調は、戦後日本が向かおうとする未来像を視覚的に示していたのです。

また、当時「パンパン(街娼)」と呼ばれた女性たちの華やかな服装も、戦後の街に色彩を呼び戻すきっかけのひとつでした。
彼女たちの着ていた明るいドレスやファッションカラーは賛否を伴いながらも、結果的に色が再び街に現れる象徴的な存在となっていきます。

7. 昭和25年〜30年の流行色|明るさが「特別」から「日常」へ変わった時代

昭和25年(1950年)から昭和30年(1955年)にかけての流行色は、日本が戦後の混乱期を乗り越え、徐々に安定と成長を取り戻していく時代の空気を色彩に映し出しています。特に1950年の朝鮮戦争に伴う「朝鮮特需」によって、経済は急速に回復し、人々の暮らしにも希望と活気が戻り始めました。
それまでの色彩は、戦後の「暗さからの回復」を象徴するものでしたが、この時期を境に人々の心に芽生えた前向きな気持ちを映すように「明るさを楽しむ色」へと大きく転換していきました。

昭和25年〜30年 主な流行色<
復興初期
(昭和25〜26年頃):
色の明るさを探し始める
・明るめの 生成り・アイボリー ・薄い ベージュ・薄茶 ・やや明度を上げた ライトグレー
復興期(昭和28〜29年頃):
パステルカラーの芽生え
・パステルピンク ・ミントグリーン ・水色 ・レモンイエロー
昭和25年〜30年 流行色の時代背景

日本の主権回復や朝鮮戦争特需などを背景に、生活には少しずつ余裕が生まれ、色彩にも軽やかさが戻ります。
好まれたのは、パステルピンク、ミントグリーン、水色、レモンイエローといった、やさしく明るい色合いでした。
また、白やベージュといった淡色も清潔感や新しさを感じさせる色として定着していきました。

この時代の色の特徴は、「明るい=派手」ではないことです。
彩度を抑えた柔らかな色調が中心で、生活に溶け込む安心感のある明るさが重視されました。
色はもはや、特別な気分転換ではなく、日常の風景の一部として受け入れられていきます。

昭和25年〜30年の流行色は、その後の高度経済成長期に広がる「明るく清潔な住まい像」や「無難で失敗しにくい色」の原型ともいえます。
ですから、この時代を知ることは、どうして日本の住宅で淡い色や白系が長く支持されてきたのかを理解するうえで、大きなヒントになります。

標準塗装色の推移
  • ■ 昭和29年(1954年) 塗料用標準色第1版(初版)156色
ポイント

標準塗装色が発行された1954年以前は、色づくりのほとんどが「現場調色」で行われていた時代で、色の仕上がりはどうしても現場職人の経験や感覚に左右されやすく、同じ色を毎回きっちり再現するのは、今よりずっと難しい世界でした。

そもそも現場で混ぜて色を作る前提だったため、完成色そのものよりも、混ぜ合わせて目的の色に近づけるための原材料として、混色の元になる鮮やかな原色(ベースカラー=黄色、赤色、青色、赤錆、緑、オレンジ、紫、黒、白)が特に重視されていました。

また当時の色のラインナップは、暮らしの好みを反映した色というより、工場・設備・車両・船舶などの用途にそのまま使える実用的な色が多く、結果として工業用途の色や、軍用規格から転用されやすい色が目立つ構成になっていました。

8. 昭和30年〜35年の流行色|「豊かさ」が色として表れ始めた時代

昭和30年(1955年)から昭和35年(1960年)にかけての流行色は、日本が戦後の復興を経て、本格的な高度経済成長期へと突入したことを象徴するものでした。
この時期、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫といった「三種の神器」と呼ばれる家電製品が一般家庭に広まり、団地や新興住宅地が次々に誕生するなど、家庭の風景は一変しました。

暮らしの在り方も、「生きるための再建」から「生活を楽しむ」方向へとシフト。
人々の価値観の変化は、日常に彩りを添える明るく洗練された色彩として、衣服やインテリア、広告デザインなどに鮮やかに現れ始めたのです。

昭和30年〜35年 主な流行色
  • ■ パステルカラー(ソフトな色調)
  • ■ ピンク・薄いブルー・ミントグリーン
  • ■ ペールグリーン
  • ■ ホワイト(白)
  • ■ 赤・青・黄色などの明るい色
  • ■ ネイビー(紺)
昭和30年〜35年 流行色の時代背景

この時代、色に求められたのは「我慢」や「回復」ではなく、豊かさや近代的な生活感でした。
そのため、明るく清潔感のある色が一気に広がっていきます。

白、クリーム、ライトブルー、ミントグリーン、淡いピンクといった軽やかな色合いは、派手さを競うものではなく、毎日の生活を心地よく見せるための「安心できる明るさ」として受け入れられていきました。

昭和30年代前半から中頃にかけては、パステルカラーの台頭が顕著になります。
欧米映画やファッション誌の影響を受け、淡く明るい色は、若い世代を中心に支持を集めました。
色はもはや特別な憧れではなく、「こんな暮らしをしてみたい」という日常像そのものを形づくる存在になっていったのです。

同時に、映画の影響も色彩感覚に大きな役割を果たしました。
いわゆるシネモードの流れの中で、赤・白・黒を基調としたモノトーンや、都会的で洗練された配色が人気を集め、色に「モダンで知的な印象」を求める意識も強まっていきます。

さらに昭和35年(1960年)前後になると、「黄金の60年代」と呼ばれる消費拡大期を迎え、家電や日用品にも本格的に色が与えられるようになります。
冷蔵庫やキッチン用品には、黄緑色(アボカドグリーン)やパステル系の色が採用され、生活空間そのものが少しずつカラフルになっていきました。

昭和30年〜35年の最大の特徴は、色が「憧れの象徴」から「生活の標準」へと役割を変えたことです。
特別な日のための色ではなく、毎日目にする空間を整え、前向きな気持ちにさせる色が、この時代に定着していきました。

この時期に固まった「日本の家は明るい色」という価値観は、その後も長く受け継がれていきます。
昭和30年〜35年の流行色を知ることは、なぜ今も淡色系が住宅外観や暮らしの定番であり続けているのか、その背景を理解するための重要な手がかりになります。

標準塗装色の推移
  • ■ 昭和31年(1956年) 塗料用標準色 第2版 168色
  • ■ 昭和33年(1958年) 塗料用標準色 第3版 188色
ポイント

1950年代に入って、大規模な工場やビルの建設が増え、工事の規模が一気に拡大したことで、業者間の共通仕様が求められるようになりました。

9. 昭和35年〜40年の流行色|色が「豊かさ」を主張し始めた時代

昭和35年(1960年)から40年(1965年)にかけての流行色は、日本の暮らしが量的な豊かさを獲得し、色そのものが前向きに主張し始めた時代を象徴しています。
「黄金の60年代」と呼ばれるこの時期、日本社会には自信と勢いが満ち、色彩にもその空気がはっきりと表れました。

昭和35年〜40年 主な流行色
昭和35年(1960年) ゴールド・イエロー、ビビッドカラー
昭和36〜37年(1961〜62年) シャーベットトーン(薄いパステル調)
昭和38〜39年(1963〜64年) フルーツカラー(オレンジ、イエロー、グリーンなど)
昭和40年(1965年) チェリーピンク
昭和35年〜40年 流行色の時代背景

昭和35年(1960年)から40年(1965年)にかけて、日本の流行色は、昭和30年代前半まで主流だった淡いパステル調を土台にしながら、そこへ次第に彩度の高い色が加わっていきます。
オレンジ、ターコイズブルー、レモンイエロー、アボカドグリーンといった明るくはっきりした色は、若い世代を中心に支持され、ファッションにとどまらず、家電やインテリアへと広がっていきました。

この時代を象徴するのが、カラーテレビの普及と、万国博覧会を意識した未来志向のデザインです。
色はもはや単なる装飾ではなく、「いま、新しい時代に生きている」という実感を視覚的に伝える要素として機能し始めます。
特に家電製品に用いられた色は、従来の白一色から解放され、家庭そのものを明るく、楽しい空間へと変えていきました。

またこの頃、日本の若者文化にも大きな変化が訪れます。1960年代、石津謙介氏によって紹介されたアイビー・スタイルが、若者の間で爆発的なブームとなりました。
その中心となったのが、銀座のみゆき通り周辺に集まった「みゆき族」と呼ばれる若者たちです。
彼らは、アメリカのカジュアルで知的なアイビー・スタイルを堅苦しく着るのではなく、自己流に解釈し、あえて着崩すことで新しい感覚として楽しみました。

この影響は色彩感覚にも表れます。
それまで重視されていた「清潔感」や「無難さ」に加え、若々しさ・軽快さ・楽しさを色で表現する意識が芽生え、配色はより大胆に、より自由になっていきました。
ファッションで培われたこの感覚は、やがて住まいの色使いにも波及し、選択肢を大きく広げていきます。

昭和35年〜40年の流行色は、その後の東京オリンピックや万博へと続く、日本の「明るい未来像」を先取りした色もありました。
色がただ生活に溶け込む存在から、暮らしを鼓舞し、前へ進ませる力を持つ存在へと変わった――この時代ならではの高揚感を帯びた色彩だったと言えるでしょう。

標準塗装色の推移
  • ■ 昭和35年(1960年) 塗料用標準色 第3版規格改正 188色
  • ■ 昭和37年(1962年) 塗料用標準色 第4版    198色
  • ■ 昭和39年(1964年) 塗料用標準色 第5版    211色
ポイント

1964年の東京オリンピックに向けたインフラ整備は、塗料業界にも大きな影響を与えました。
東海道新幹線の「青(青20号)」や「白(クリーム10号)」など、鉄道や公共交通機関の標準色がこの時期に整えられ、日塗工の番号でも指定される流れが強まっていきます。

また1960年代は、日本住宅公団による団地建設が全盛期でした。
大量の建物を効率よく塗る必要があったため、実務上の「公団標準色」に相当する考え方が広がり、結果として日塗工の色数が押し上げられていきます。
現在「落ち着く」と感じるベージュ系のカラーバリエーションは、こうした団地建築の現場で磨かれていった側面があります。

さらに、パステルカラーの登場もこの時代の象徴です。
1960年代に一般家庭へ「カラー」の概念が浸透し、淡いピンクやブルー、イエローといったパステル調の塗料が、建材や家電用途を中心に増えていきました。
色は、気分転換のためのものから、暮らしの標準装備へと変わり始めたのです。

10. 昭和40年〜45年の流行色|豊かさの中で、「色の選択肢」が広がった時代

昭和40年(1965年)から45年(1970年)にかけての流行色は、日本が高度経済成長の頂点に差しかかり、暮らしの豊かさが当たり前になり始めた時代を色で表したものでした。
東京オリンピック後の高揚感が社会に残る一方で、人々の意識は「みんな同じ」から「自分たちらしさ」へと、少しずつ移り始めます。

昭和40年〜45年 主な流行色
昭和40年〜42年頃
(1965〜1967年)
サイケデリック・ポップ(ビビッド/強コントラスト)
昭和43年〜45年頃
(1968〜1970年)
サイケ・エレガンスから自然派へ(くすみ・深みトーン)
昭和40年〜42年頃(1965〜1967年):サイケデリック・ポップ

ビビッドカラー(真っ赤、鮮やかなイエロー、明るいブルー)や、蛍光色に近いサイケデリック・カラー、白・黒の幾何学模様(モノトーン)が注目されました。

昭和42年(1967年)のツイッギー来日に象徴されるモッズ・ファッションの台頭とともに、鮮やかな原色対比の強い組み合わせが「新しい時代の顔」として受け入れられていきます。

昭和43年〜45年頃(1968〜1970年):サイケ・エレガンスから自然派へ

ネオンカラーやメタリックのような近未来的なムードが残る一方で、暖色系(オレンジ、イエロー、ブラウン)やグリーン系(アボカドグリーン)といった、生活空間に入りやすい色が広がります。

さらに後半は、マスタード、モスグリーン、テラコッタ(レンガ色)、ベージュ、ブラウンなど、自然界にある落ち着いたトーンが主流になりました。
万博(1970年)に向けて未来的なデザインが盛り上がりながらも、暮らしの現場では「派手さ一辺倒」から一歩引いた、深みのある色が支持されていったのです。

昭和40年〜45年 流行色の時代背景

昭和40年代の前半には、昭和35〜40年に広がった明るく、はっきりとした60年代的な色調が引き継がれます。
オレンジ、イエロー、グリーンといった快活な色は、家電やインテリア、ファッションに広く用いられ、「豊かさ」や「前向きさ」を象徴する存在となりました。
カラーテレビの普及や未来志向のデザインは、色を単なる装飾から、「新しい時代に生きていること」を実感させる視覚記号へと押し上げていきます。

しかし後半に向かうにつれ、色のトーンは変化します。
彩度を抑えた深みのある色、少しくすみを含んだトーンが目立ち始め、ブラウン、カーキ、ワインレッド、マスタードといった、落ち着きと個性を併せ持つ色が支持されるようになりました。
これは単なる流行の移り変わりではなく、社会の空気が単純な明るさだけでは語れなくなってきたことの表れでもあります。

背景には、政治と社会の緊張があります。
高度経済成長の裏側で、ベトナム戦争をめぐる国際情勢、日米関係への違和感、学生運動や市民運動の広がりなど、政治への距離感が変わり始めていました。
表向きは豊かな社会でありながら、「このままでいいのか」という疑問が確実に広がっていました。

こうした空気は、若者文化にも色濃く反映されます。
モッズ文化が象徴するように、色は派手に目立つためのものではなく、自分の輪郭をシャープに見せるための道具として使われる一方、60年代後半にはサイケデリックのように、強烈な原色や流動的な模様で既存の価値観に揺さぶりをかける表現も登場します。
色は「新しいから良い」ものから、「どう生きたいかを示す」ものへと役割を変えていきました。

住まいやインテリアの色使いも同様です。
白を基調とした均一な明るさから、色の組み合わせによって空間に表情を持たせる考え方が広がり、色は未来を誇示する記号ではなく、生活の中で選び取る価値観へと変わっていきました。

昭和40年〜45年の流行色は、勢いのある高度経済成長の終盤で、「みんな同じ明るさ」から「それぞれの選び方」へと価値観が分岐し始めたことを示す色です。
この時代の色を知ることは、なぜ日本の色彩感覚がその後、多様性へと向かっていったのかを理解するための、重要な手がかりになると言えるでしょう。

標準塗装色の推移
  • ■ 昭和42年(1967年) 塗料用標準色 C版 212色
  • ■ 昭和45年(1970年) 塗料用標準色 D版 231色
ポイント

・昭和40年代に日塗工の色見本帳の発行サイクルが「2年→約3年」に延びた背景には、色の流行そのものというより、社会や産業の足元が揺れ始めた時代状況がありました。
大量生産・大量消費の加速の一方で、国際情勢や社会の緊張が高まり、現場の計画や調達も「読み切れない要素」を抱えやすくなっていきます。

・また、それまでは「保護(錆止め)」が主目的だった塗料の世界に、暮らしの豊かさと歩調を合わせるように、「装飾(流行色)」の概念が本格的に入り込んできます。
外観は守るだけでなく、選び、語るものになっていったわけです。

・さらに60年代後半には、アメリカのファッションやサイケデリック文化の影響を受けた鮮やかな原色が、看板やガソリンスタンド、商業施設などの街の景観で多用されるようになりました。
街がカラフルになることで、人々の「色の許容範囲」も広がり、住まいの色選びにも、少しずつ多様性の芽が生まれていきます。

11. 昭和45年〜50年の流行色|派手さから「落ち着き」へ向かった転換期

昭和45年(1970年)から50年(1975年)にかけての流行色は、日本社会が勢い一辺倒の高度経済成長から、立ち止まりを意識し始めた時代を色で映し出しています。
1970年の大阪万博が象徴した未来志向と高揚感は、この時期を境に徐々に落ち着きへと向かい、色の選ばれ方にも明確な変化が現れました。

昭和45年〜50年 主な流行色

■ グリーン系(アボカドグリーン)は1970年代を代表する色として、家電や家具、ファッションに広く使われました。

■ ブラウンベージュ系(アーモンド)は、大地や木の温かみを感じさせるナチュラルな色として定着します。

■ オレンジイエローといった暖色系は、派手さを抑えつつも、生活に明るさを添える色として選ばれました。

■ デニムのブルーは自然素材志向の高まりとともにファッションで定番化していきます。

■ これらを総称する形で、茶・緑・カーキなどの「アースカラー」が、この時代の象徴的な色調となりました。

昭和45年〜50年 流行色の時代背景

昭和45年(1970年)前後、日本は大きな転換点を迎えます。

大阪万博が象徴した未来的で華やかなイメージが話題を集める一方で、高度経済成長はピークを迎え、やがてオイルショックへと向かっていきました。
社会全体は「もっと速く、もっと新しく」という拡張の価値観から、自然や暮らしの足元を見つめ直す方向へと、徐々に舵を切り始めます。

それまで街を彩っていた原色や強い色使いは次第に影を潜め、ブラウン、ベージュ、カーキ、オリーブ、マスタードといった、土や自然を連想させる色が主流になっていきました。
これらの色は、派手さを抑えながらも温かみがあり、安心感や落ち着きを感じさせる色として、多くの人に受け入れられていきます。

背景には、1973年の第1次オイルショックに代表される経済的不安、そして資源・環境問題への意識の高まりがあります。
「どんどん新しくする」「目立つほど良い」という価値観は見直され、色にもまた、控えめで、長く使えることが求められるようになりました。
流行色は、消費を煽るための記号ではなく、生活に馴染み、安心して使い続けられる存在へと役割を変えていったのです。

1970年代前半(昭和46年〜50年)になると、その傾向はさらに明確になります。
黄緑やアースカラーが定着し、派手さよりも、空間や暮らしと調和する色が好まれるようになりました。
冷蔵庫などの家電製品にもアボカドグリーンやブラウンが採用され、インテリア全体と色を揃えるという発想が広がっていきます。色は単体で目立つものではなく、「部屋の一部」として考えられるようになったのです。

ファッションの分野でも価値観の変化は顕著でした。
ボヘミアンやフォークロアといった自然素材を活かしたスタイルが支持され、生成りやくすみ色、土の色に近いトーンが好まれます。
ここでも色は、自己主張のためではなく、心地よく生きるための背景として選ばれていました。

昭和45年〜50年の流行色は、豊かさを誇示するための色ではありません。
それは、暮らしを整え、安心して過ごすための色です。
この時代を知ることは、日本の色彩感覚が「派手さ」から「持続性」へと軸足を移した、その決定的な分岐点を理解することにつながります。

アースカラーが今もなお、住まいや外観で「落ち着く色」、「失敗しにくい色」として選ばれ続けている理由は、すでにこの時代に形づくられていたのです。

標準塗装色の推移

・昭和48年(1973年)に制定された塗料用標準色E版では、掲載色数が129色へと大きく整理されました。
第1次オイルショックの影響で、塗料の原材料(樹脂・溶剤・一部顔料など)の確保が不安定になり、安定供給が難しい色を中心に見直しが進められたためです。
結果として102色が削除され、当時の社会情勢や経済状況が、そのまま「色のラインナップ」に反映された形となりました。

12. 昭和50年〜55年の流行色|「控えめ」が美意識になった時代

昭和50年(1975年)から55年(1980年)にかけての流行色は、日本社会が高度経済成長の余熱を落ち着かせ、生活の質や心地よさを見つめ直し始めた時代を映し出しています。

オイルショックを経験したことで、「豊かさ=派手さ」という価値観は後退し、色にもまた、慎みや実用性が強く求められるようになりました。

昭和50年〜55年 主な流行色

■ 昭和50〜52年(1975〜1977年)頃は、カーキ、ブラウン、明るいベージュなどの自然な色合いが主流となり、アースカラーの流行がピークを迎えます。

■ 続く昭和53〜55年(1978〜1980年)頃には、カジュアル感の強いオレンジや、少しトーンを上げたグリーンなどが加わり、落ち着きの中に「軽さ」を差し込むような色使いも見られるようになりました。

この時期のカラーは、現在の「ナチュラル・レトロ」なファッションやインテリアの原点とも言えます。

昭和50年〜55年 流行色の時代背景

昭和50年(1975年)から55年(1980年)にかけて支持されたのは、ブラウン、ベージュ、カーキ、グレー、くすみブルーといった、目に刺激を与えすぎない中間色でした。
昭和45〜50年に広がったアースカラー志向を引き継ぎながらも、より洗練され、ややクールで知的なトーンへと変化していくのがこの時代の特徴です。
色は「自然っぽさ」を前面に出す段階から一歩進み、落ち着いた生活感そのものを表す存在へと役割を移していきました。

その背景には、70年代前半のビビッドカラー全盛期からの反動に加え、1973年の第一次オイルショック以降の政治・経済状況があります。
エネルギー価格の急騰を受け、日本政府は省エネルギー政策を本格化させ、産業界だけでなく、家庭レベルでも「無駄を省く」「長く使う」という姿勢が強く求められるようになりました。
物価上昇や景気停滞への不安が続く中で、派手な消費や過剰な装飾は次第に敬遠され、「堅実であること」「生活に無理がないこと」が、社会全体の暗黙の価値基準になっていきます。

また、公害問題への対応もこの時代の重要な政治課題でした。
高度成長期に顕在化した大気汚染や水質汚濁を背景に、環境行政が整備され、「自然と共存する社会」という考え方が、政策レベルでも語られるようになります。
こうした流れは人々の意識にも影響を与え、色に対しても「目立つかどうか」より、環境や暮らしに馴染むかどうかが重視されるようになりました。

ファッションの分野でも、この価値観の変化ははっきりと表れます。フォークロアやボヘミアンの要素は次第に落ち着き、装いはシンプルで機能的な方向へ。
生成りやくすみ色、彩度を抑えた配色が中心となり「長く着られること」、「流行に振り回されないこと」が重視されるようになります。

その象徴が、1970年代半ばから広がったニュートラ(ニュー・トラディショナル)ファッションです。
海外ハイブランドを取り入れつつも、控えめで品のある着こなしは「見せびらかす豊かさ」ではなく、安定した生活感を表現するものでした。
ここでも色は、主張するためではなく、信頼感や知性を支える背景として機能しています。

一方で、この時代にはもう一つの顔もありました。
ディスコという非日常の空間では、白いスーツや光を反射する素材、スパンコールや大胆な色柄が楽しまれます。
しかしそれは、日常生活とは明確に切り分けられた「特別な場」での色でした。
昭和50〜55年は、日常は抑制と持続性、非日常は解放と華やかさという、色の役割分担がはっきりした時代でもあったのです。

住まいやインテリアにおいても、政治・経済の空気は色濃く反映されます。
白一色や強いアクセントカラーは減り、色数を抑えた穏やかな配色が好まれ、家具や内装と調和し、長く使っても違和感の出にくい色が選ばれるようになりました。
色は自己主張のためのものではなく、暮らしを安定させ、安心して使い続けるための基盤へと位置づけられていきます。

昭和50年〜55年の流行色は、成長を誇示する時代が終わり、政治・経済・環境という現実を踏まえたうえで、「どう無理なく、どう長く暮らすか」を考え始めた日本人の美意識が形になった色です。
この時代を知ることは、なぜ今もなお、落ち着いた中間色が「安心できる色」「信頼感のある色」として選ばれ続けているのか――その理由を、時代の文脈から理解するための重要な手がかりになると言えるでしょう。

標準塗装色の推移

昭和50年(1975年)に塗料用標準色(F版)が130色、昭和53年(1978年)に塗料用標準色(G版)が132色と、色数は大きく増やすのではなく、現場の実態に合わせて整えられていきました。
この頃から日塗工では、「実際に現場で使われる色だけを厳選する」という基本方針が、より明確な形で定着していきます。

13. 昭和55年〜60年の流行色|「控えめ」から「洗練」へ向かう過渡期

昭和55年(1980年)から60年(1985年)にかけての流行色は、オイルショック後の慎重さを引き継ぎつつも、日本社会が再び前向きに動き出す兆しを見せた過渡期の色でした。
急激な成長ではなく、安定と自信を取り戻していく中で、色の役割も静かに変化していきます。

昭和55年〜60年 主な流行色

■ パステルカラー(1980年頃〜)
昭和55年(1980年)頃は、シャーベットトーン(薄いピンク、薄いブルー、クリームなど)が支持されました。
70年代からのニュートラ・ハマトラファッションの流れを受け、やさしく清潔感のある色が継続して人気だったことが背景にあります。
また、ペパーミントグリーンは80年代ファッションを象徴する代表色のひとつとして定着していきます。

■ モノトーン(黒・白・グレー)
80年代に入るにつれ、黒・白・グレーを軸にした引き締まった配色が存在感を増していきました。

■ ビビッドカラー・原色(昭和58年〜昭和62年頃)
昭和60年(1985年)に近づくにつれ、バブル景気の気配も重なり、赤や黄色といった原色(ビビッドカラー)が、鮮やかなトレンド色として再び注目されるようになります。

昭和55年〜60年 流行色の時代背景

この時代の前半には、ニュートラやハマトラに代表されるような、やさしいパステルカラーや上品な中間色が生活に馴染みます。
派手さではなく、清潔感や好感度、きちんとした印象が価値として強く、色は「目立つため」ではなく「整って見えるため」に選ばれていきました。
社会全体が堅実さを重視していた空気の中で、色もまた無理のない範囲で『きれいにまとめる』方向へ寄っていたのです。

ところが昭和57年(1982年)前後から、流れがはっきり変わり始めます。
景気は徐々に回復し、街には「抑える」だけではない気分が戻ってきます。
ここで登場するのが、80年代を予感させるモノトーン配色やシャープなコントラスト、ポイントとして効かせる赤やブルーなど、抑制された中に緊張感を含む色使いです。
落ち着きの中にも「個性」や「都会性」を求める意識が芽生え、色は再び『思想』を帯び始めます

この変化を後押ししたのが、テクノポップの流行を背景にしたテクノ・ファッションです。
人工的でソリッドな印象、機械的な美しさ、研ぎ澄まされた無彩色。
色は「自然に馴染む」よりも、「意志を持って切り替える」方向へ。
ここに、70年代のナチュラル志向とは異なる、80年代的な感覚がはっきり現れます。

そして決定打となったのが、1982年に川久保玲と山本耀司がパリ・コレクションで発表した黒を基調とした世界観、いわゆる「黒の衝撃」です。
穴あき、切りっぱなし、ゆったりとしたシルエット――従来の「可愛らしく整える」価値観とは逆方向の美学が登場し、黒は単なる無難色ではなく、既成概念への距離感や自立の象徴として支持されていきました。
この潮流の中で、DCブランドを全身黒で纏う「カラス族」と呼ばれるスタイルも生まれ、色が「流行というよりスタイル」として語られる時代が到来します。

結果として昭和55〜60年は、短い期間の中で、優しいパステル(ニュートラ/ハマトラ)→ モードなモノトーン(テクノ・DC・黒の衝撃)→ 次の時代を予感させるビビッドの気配というように、色のトレンドが大きく振れた時代でした。
ここには、景気回復と都市文化の加速、そして「女性はこうあるべき」という価値観への違和感が同時に進んでいたことが映っています。

住まいやインテリアにおいても、色数を抑えた配色を基本としながら、直線的なデザインや無彩色を活かした空間づくりが進み、後のモダン住宅・デザイナーズ志向につながる下地が整っていきました。
この時代の色は、穏やかな安心感と、次の時代への緊張感が同居した色――まさに「80年代の入口」そのものだったのです。

標準塗装色の推移

・昭和56年(1981年)に塗料用標準色(H版)が150色、昭和58年(1983年)に塗料用標準色(J版)が180色へと、色数は回復基調へ向かいます。

・安定成長期に入ると、原材料や生産体制も徐々に落ち着きを取り戻し、塗料の供給が安定してきました。
それに伴い、色見本帳に収録される色数も少しずつ回復し、再び選択肢を広げていく流れが生まれていきます。

・暮らしにゆとりが生まれるにつれ、住まいを「ただ使うもの」から「心地よく整えるもの」と捉える意識が広がり、インテリアや外装デザインへの関心も徐々に高まっていきました。

14. 昭和60年〜平成元年の流行色|色が「過度な自信」と「欲望」を映した時代

昭和60年(1985年)から平成元年(1989年)にかけての流行色は、日本が本格的にバブル景気へ突入していく高揚感を、そのまま色にしたような時代でした。

プラザ合意以降の円高をきっかけに景気は拡大し、社会全体に「攻めてもいい」、「目立っていい」という空気が広がっていきます。
色は再び、抑制ではなく『主張のための存在』へと役割を大きく変えていきました。

昭和60年〜平成元年 主な流行色
(昭和60年)1985年 スポーティな要素が取り入れられ、シンプルながらも原色を使った鮮やかな色が流行。
(昭和61年)1986年 メタリックカラーやアニマルプリントなど、光る素材や派手な色彩がトレンド。
(昭和62年)1987年 モノトーン(黒、白)が主流で、グラフィカルなプリントも人気。
(昭和63年)1988年 ホワイトベースのソフトなカラーと、ブラックを基調としたアクティブで鮮やかなカラーの二極化。
(平成元年)1989年 ブラックベースに南国のトロピカルな色を取り入れたデザインが主流。
昭和60年〜平成元年 流行色の時代背景

昭和60年(1985年)から平成元年(1989年)にかけての流行色は、日本が本格的にバブル景気へ突入していく高揚感を、そのまま色にしたような時代でした。
1985年9月のプラザ合意以降の円高をきっかけに景気は拡大し、社会全体に「攻めてもいい」、「目立っていい」、「良いものは良いと分かるように見せる」という空気が広がっていきます。
色は再び、抑制ではなく主張のための存在へと役割を大きく変えていきました。

この時代の前半では、昭和55〜60年に広がったモードなモノトーンやシャープな配色を土台にしながら、後半にかけて一気にビビッドカラーが台頭します。
原色に近い赤、ロイヤルブルー、パープル、エメラルドグリーン、ゴールドといった、存在感の強い色が好まれ、色は「洗練」よりも「強さ」や「華やかさ」を語るものへと変わっていきました。

この色彩感覚を決定づけたのが、DCブランド・ブームです。
デザイナー主導の世界観を纏う文化が広がり、「どの色を着るか」だけでなく、「どの価値観を纏うか」を選ぶ時代になります。
中でも御三家と呼ばれたコム・デ・ギャルソンヨウジヤマモトイッセイミヤケなどが牽引したモードは、色を単なる飾りではなく、スタイルやポリシーとして扱う感覚を定着させました。

そして、バブルの世相を語るなら、もう一つの象徴がボディコンです。
景気の熱気が夜の街へ流れ込み、クラブやディスコ、華やかな社交の場が見せ場になると、ファッションは一気に「遠目でも勝つ」方向へ振れます。
ボディコンは、身体のラインを強調するシルエットそのものがメッセージであり、そこに乗せる色もまた、黒一択ではなく、艶のある原色、メタリック、光を拾う素材感へ。
つまり色は「上品に馴染ませる」より、「存在を際立たせる」、「豊かさを可視化する」ための道具として選ばれていったのです。

住まいやインテリアにおいても、この高揚感は顕著でした。
大理石調、鏡面仕上げ、ガラス、メタル素材などと相性の良い白・黒・ゴールド・ワインレッドといった色が好まれ、空間は落ち着きよりも非日常性やラグジュアリー感を重視する方向へ向かいました。
色は生活に馴染むバックボーンではなく、「豊かさを演出する道具」として扱われるようになります。

昭和60年〜平成元年の流行色は、安心や持続性よりも、「いま、この瞬間をどう輝かせるか」が優先された時代の色です。
この時代を知ることは、なぜバブル期の色が今見ると強烈すぎると感じられるのか、そしてなぜ同時に強烈な記憶として残っているのか――その理由を、世相と色彩の両面から理解するための重要な手がかりになるでしょう。

標準塗装色の推移
  • ■ 昭和60年(1985年)塗料用標準色K版 222色
  • ■ 昭和62年(1987年)塗料用標準色L版 233色
ポイント

・1970年当時のピーク水準(231色)に迫る勢いで、色数は着実に増え続け、かつての上限だった水準が再び現実味を帯びてきました。

・そしてついに、黎明期に記録された「過去最高」の水準を上回り、色見本帳としての収録数は新たなステージへ進みます。
この変化は、単に「色が増えた」という話ではなく、色を標準化して運用する社会が本格化したことを象徴する転換点になった、と捉えると分かりやすいかと思います。

15. 平成元年〜5年の流行色|強さを手放し、静けさを選び始めた色

平成元年(1989年)から5年(1993年)にかけての流行色は、日本社会がバブル景気の高揚から一転し、現実と向き合い始めた空気をそのまま映し出した色でした。
平成の幕開けと同時に、地価・株価の下落が進み、社会には「攻め続けること」への迷いと疲労感が広がっていきます。

それまで街を覆っていたビビッドカラーやゴールド、強いコントラストは次第に影を潜め、グレー、ベージュ、ネイビー、くすみブラウン、チャコールといった、彩度を抑えた色が主流になっていきました。
色は再び、「目立つためのもの」ではなく、「安心できる距離感を保つためのもの」へと役割を変えていきます。

平成元年〜平成5年 主な流行色
平成元年(1989年) ビビッドカラー(真っ赤)、高級感のある黒、華やかな色
平成2年(1990年) 前半は派手な色、徐々にシックな色へ移行
平成3年(1991年) (ネイビー)、白、黒、ベージュ(紺ブレファッション、トレンディドラマのベーシックカラー)
平成4年(1992年) ナチュラルカラー、モノトーン、アースカラー
平成5年(1993年) ネイビー、黒、白(シンプル&ベーシックが定着)
平成元年〜平成5年 流行色の時代背景

この時代の色の最大の特徴は、はっきりとした「流行色」が見えにくくなったことです。

誰かに誇示するための色ではなく、空気に溶け込み、主張しすぎない色。
黒や白も引き続き使われますが、バブル期のような強さや艶は避けられ、マットで静かな表情が好まれるようになりました。
色は、目立つための記号ではなく、身を置く空気に合わせるための選択へと変わっていきます。

この変化の背景には、世界と日本社会の大きな転換があります。
冷戦構造が終わり、国際秩序が再編される中で、日本国内ではバブルの余韻と崩壊が同時に進行しました。
平成元年(1989年)末に株価は史上最高値を記録しますが、1990年の土地関連融資の総量規制をきっかけに、株価・地価は急落。
「豊かさは右肩上がりで続く」という前提が、音を立てて崩れていきます。

1991年以降、不良債権問題が深刻化し、金融機関の破綻が相次ぐ中で、日本社会は長い停滞期へ入ります。
土地や株という資産価値の低下は、「億総中流」と呼ばれた社会意識にも影を落とし、「努力すれば、みんなが豊かになれる」という感覚は、徐々に現実味を失っていきました。
色が派手であることは、もはや安心や成功の証ではなくなっていったのです。

こうした空気の変化は、ファッションにもはっきりと表れます。DCブランド全盛の熱は落ち着き、装いはシンプルで実用的な方向へ。
色もまた、個性を誇示するためではなく「無理をしていない自分」、「背伸びをしていない自分」を表現するために選ばれるようになります。
ここで色は、自己主張の道具から、自分を守るための距離感へと意味合いを変えたといえます。

この「保守的なスタイル」を象徴するのが、アメカジと渋カジです。
アメカジは、デニムやスウェット、チェックシャツといったアメリカンカジュアルを軸に、インディゴ、杢グレー、ネイビー、オフ白、カーキなど、生活の手触りに近いベーシックカラーが中心となります。
派手さよりも「長く着られること」「日常に馴染むこと」が価値となり、色は攻めではなく、定番として信頼されていきました。

一方の渋カジは、もう少し大人寄りの感覚で、ブラウン、チャコール、ベージュ、ボルドー、ダークグリーンなど、彩度を抑えた色でまとめるスタイルです。
「頑張って見せないのに、きちんと見える」。
この感覚は、バブル期のギラついた華やかさから距離を取ろうとする社会の空気と、非常によく重なっていました。

住まいやインテリアにおいても同様です。
ラグジュアリー一辺倒だった空間づくりから、落ち着きや居心地を重視した配色へと移行し、色数を抑えたナチュラルで静かなトーンが支持されていきました。
まるでアメカジの定番色や渋カジの深み色のように、空間でも「主張より馴染み」が重視され、色は再び「生活の背景」へと戻っていきます。

さらに時代が進むにつれ、社会には不安なできごとも重なっていきました。
政治の混迷による55年体制の崩れは、「安全で安定した社会」という前提を揺さぶります。
こうした経験は、色に対しても「強く語らせない」「余白を残す」方向性を、より決定的なものにしていきました。

平成元年〜5年の流行色は「いまを輝かせる色」から、「これからを慎重に生きる色」へと価値観が切り替わったことを示す色です。
その転換は、服の色にも、家の色にも、そして日本人の美意識そのものにも表れていきました。

標準塗装色の推移
  • ■ 平成元年(1989年)塗料用標準色M版 266色
  • ■ 平成3年(1991年)塗料用標準色N版 310色

16. 平成5年〜10年の流行色|「控えめ」が標準になった90年代後半

この時代の最大の特徴は、明確な流行色がほとんどないことです。
主流となったのは、グレー、ベージュ、チャコール、ネイビー、カーキ、くすみブラウンといった、無彩色〜低彩度の色。
黒も引き続き使われますが、90年代前半の張りつめた印象からさらに力が抜け、光沢やコントラストを抑えた、影のように静かな使われ方が好まれるようになりました。

平成5〜6年:シンプル&ベーシック

ネイビー・黒・白・ベージュ・アースカラー

備考:
「フレンチカジュアル」や「紺ブレ」ブームにより、清潔感のあるベーシックカラーが圧倒的人気を博しました。
バブル期の派手なビビッドカラーへの反動で、落ち着いた色が主流となりました。
エコロジー志向の高まりから、カーキやブラウンなどの自然な色合いも注目されました。

平成7〜8年(1995〜1996年): 「裏原」の台頭

・グレー

備考:
ストリートファッションの勢いが増し、個性を主張する色が混在し始め、ハイテクスニーカー(エアマックス95など)やカジュアルウェアで多用されました。
ギャル文化(アムラー)や裏原宿系の流行により、白の厚底ブーツや、青・オレンジといった主張の強い色がアクセントとして取り入れられました。

平成9〜10年(1997〜1998年):デジタル・フューチャー

・メタリック・シルバー ・スケルトン(半透明)

備考:
2000年(ミレニアム)を前に、サイバーファッションやデジタル家電の影響で、光沢感のあるシルバーやメタリックカラーが流行しました。
iMac(1998年発売)の登場やインターネットの普及により、近未来的な質感が好まれました。
iMacの「ボンダイブルー」に代表される、透き通った寒色系がプロダクトデザインからファッションまで席巻しました。

平成5年〜平成10年 流行色の時代背景

この時代の最大の特徴は、明確な『流行色』がほとんど存在しないことです。
主流となったのは、グレー、ベージュ、チャコール、ネイビー、カーキ、くすみブラウンといった、無彩色〜低彩度の色。
黒も引き続き使われますが、90年代前半の張りつめた印象からさらに力が抜け、光沢やコントラストを抑えた、影のように静かな使われ方が好まれるようになりました。

この「色が語らなくなる」傾向の背景には、社会全体を覆った不安と緊張感があります。
1995年には阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件が立て続けに発生し、日本が長く信じてきた「安全神話」は大きく揺らぎました。
さらに1997〜98年には、山一證券や北海道拓殖銀行など大手金融機関の破綻が相次ぎ、経済不安は日常の感覚として定着していきます。

政治の面でも、1993年に55年体制が崩れ、細川連立政権が誕生するなど「これまで通用していた仕組み」が次々と機能しなくなる感覚が広がっていました。
こうした状況の中で、色に強い主張や高揚感を求める空気は、自然と後退していきます。

ファッションの分野では「頑張って見せない」、「お金をかけて見せない」装いが完全に定着します。
アメカジや渋カジの感覚はさらに日常化し、ユーズド感のある色、色あせたトーン、洗いをかけた素材感が支持されました。
色は個性を語るものではなく、気持ちの温度を下げ、日常を安定させるための道具として機能していきます。

一方で、文化の表層では対照的な動きも見られました。
1996年前後にはアムラーやコギャルといった明るく記号的なファッションが注目を集め、音楽ではMr.ChildrenやDREAMS COME TRUE、小室ファミリーなどがJ-POPの黄金期を築きます。
ただし、これらの派手さは「一部の現象」として消費され、社会全体の基調色にはなりませんでした。
むしろ、日常のベースには落ち着いた色が選ばれ続けた点に、この時代の本質があります。

また、この時期は生活そのものが大きく変わり始めた時代でもあります。
Windows 95やWindows 98の登場によってパソコンが一般家庭に普及し、携帯電話やPHSが個人の持ち物となり、情報や人間関係が急速に『個人化』していきました。
画面の中の世界が広がる一方で、現実の暮らしには、刺激を抑えた色が求められるようになっていきます。

この流れを象徴するのが、無印良品に代表される装飾を削ぎ落とした思想の浸透です。
色は「選ぶ楽しさ」よりも、「選ばなくていい安心感」を与える存在となり、白・生成り・グレーといった『説明のいらない色』が、暮らしの標準になっていきました。

住まいやインテリアにおいても、アクセントカラーは極力抑えられ、色数を減らした静かな空間が支持されます。
色は自己表現ではなく、不安を刺激しないための背景として扱われるようになりました。

平成5年〜10年の流行色は、「慎重に生きる色」が完全に定着した時代の色です。
派手さを否定したのではなく、そもそも必要としなくなった——その感覚こそが、90年代後半の日本社会と色彩を最も端的に表しています。

標準塗装色の推移
  • ■ 平成7年(1995年) T版 322色
  • ■ 平成9年(1997年) U版 336色

17. 平成10年〜15年の流行色|ミニマル時代の到来

平成10年(1998年)から平成15年(2003年)にかけての流行色は、90年代後半に定着した“落ち着いた色”を引き継ぎながら、社会や生活がより合理的・機能的に整理されていく過程を映した色でした。
この時代、色は「感情を語るもの」から、「思考を邪魔しないもの」へと役割を明確に変えていきます。

平成10年〜平成15年 主な流行色
平成10年(1998年) (ホワイト)、シルバー、ライトブルー、ネオンカラー
平成11年(1999年) (ブラック)、シルバー、ネイビー、ダーク系カラー
平成12年(2000年) セルリアンブルー(青)、鮮やかなピンク・オレンジ
平成13年(2001年) フューシャローズ(鮮やかなピンク)、パステルカラー
平成14年(2002年) トゥルーレッド(鮮やかな赤)、白、ナチュラルカラー
平成15年(2003年) アクアスカイ(明るい青)、ベージュ、ソフトな中間色
平成10年〜平成15年 流行色の時代背景

主流となったのは、白、オフホワイト、ライトグレー、シルバー、淡いベージュといった明度の高い低彩度色でした。
90年代に見られた重さや陰影を含んだ色から一歩進み、空間や服を軽く・フラットに見せる色が好まれるようになります。

この背景には、90年代後半に広がった白・黒・メタリックカラーを中心とする人工的で近未来的な色彩感覚があります。
デジタル化やミレニアムを意識したこの配色は、「新しい時代」を強く意識させるものでしたが、2000年代に入ると、その緊張感は次第に和らぎ、より自然で優しい色合いへと移行していきました。
白やグレーは残りながらも、そこに淡いベージュや、青〜緑系のクールで落ち着いた色が加わり、色は『未来を誇示するもの』から『日常に馴染ませるもの』へと役割を変えていきます。

ファッションの分野では、ロゴや装飾を前面に出すスタイルが後退し、シンプルなシルエットと無彩色を基調としたミニマルな装いが広がりました。
色は主役ではなく、形や素材を引き立てるための背景となり、「無難だから白」ではなく、「合理的で、今の空気に合っているから白・グレー」という選択が一般化していきます。

一方で、この時代には対照的な色の動きも存在します。
ギャル文化の影響により、ファッションの一部では小麦色の肌に映える白や、ネオンピンク・ネオンイエローといった派手な色も根強く支持されました。
ただしこれらは社会全体の基調色というより、特定の文化圏で際立つための色であり、日常のベースカラーとは明確に切り分けられていました。
この『二極化』もまた、2000年前後の色彩の特徴といえます。

住まいやインテリアでも同様に、白い壁、明るい床、色数を抑えた空間が標準化していきます。
これは単なる流行ではなく、IT化によって情報量が一気に増えた生活の中で、視覚的ノイズを減らし、思考や感情をフラットに保ちたいという無意識の欲求が、色に反映された結果とも考えられます。

平成10年〜15年の流行色は、「不安に耐える色」から「暮らしを効率よく整える色」への移行を示す色です。
この時代を知ることで、なぜ2000年代以降、日本の住まいやファッションに白・グレーを基調としたミニマルな配色が「流行」ではなく標準として根づいたのか、その理由がより明確に見えてきます。

標準塗装色の推移
  • ■ 平成11年(1999年)塗料用標準色Y版 343色
  • ■ 平成13年(2001年)塗料用標準色A版 350色

18. 平成20年〜25年の流行色|「目立たないこと」がやさしさになった色

平成20年(2008年)から平成25年(2013年)にかけての流行色は、リーマンショックによる世界的な経済不安、そして東日本大震災という大きなできごとを経て、日本社会が「強さ」や「華やかさ」よりも、「安心」「共感」「日常」を重視するようになった時代の色です。

平成20年〜平成25年 主な流行色
平成20〜22年
(2008〜2010年)
ターコイズ
平成21年(2009年) エナジーイエロー、ミモザ
平成22年(2010年) 鳩羽鼠、ターコイズ
平成23年(2011年) ベビーピンク、ハニーサックル
平成24年(2012年) オレンジ、タンジェリンタンゴ
平成25年(2013年) エメラルド、白
平成20年〜平成25年 流行色の時代背景

平成20年(2008年)〜25年(2013年)の流行色は、ひとことで言えば「強さを競う色」から「安心できる色」へ、社会の気分が大きく切り替わった時代の色です。
ベースには白・グレーを基調とするミニマル感覚が残りつつも、冷たさや緊張感は避けられ、彩度を抑えた『やわらかい中間色』が生活の標準になっていきました。

平成20〜22年(2008〜2010年)は世界金融危機の余波で、先が読めない空気が強まりました。
そこで注目されたのが、現実の重さを一瞬だけ遠ざけてくれるような「ターコイズ」や、心を内側へ沈めて整える「ブルーアイリス」といった、癒しと内省を象徴する寒色系です。
同時にファストファッションが台頭し、トレンドを軽く取り入れる一方で、色は『盛る』より『使いやすい』方向へ傾いていきます。
派手さは「元気の証明」ではなく「疲れる要素」になりやすく、落ち着いた色が選ばれやすくなっていきました。

平成23年(2011年)は東日本大震災が起き、日本の色彩感覚に決定的な転換をもたらします。
人と人との「絆」や、寄り添う気持ちを象徴するような、柔らかく温かいピンクが支持されたのは、可愛さというよりも「張りつめた心をほどくための色」として機能したからです。
ここで色は、自己主張の道具ではなく、安心感をつくる空気へと、はっきり役割を変えます。

平成24〜25年(2012〜2013年)に入ると、景気回復への期待感が生まれ、色にも少しずつ前向きなエネルギーが戻ります。
鮮やかなオレンジや高貴なエメラルドといった『気分を上げる色』が目立ち始める一方で、「全部を新しく始める」意味合いを込めた白が、改めて強い支持を得ました。
ただし、この白は2000年前後の無機質な白ではなく、暮らしの手触りを残した白。
白を基調に、グレージュやベージュ、木の色を合わせて『やわらかく整える』方向へ落ち着いていきます。

ファッション面では、この時期に「ゆるカジ」や「森ガール」などナチュラル志向のスタイルが広がり、アースカラーが定番として親しまれました。
色はトレンドを誇示するためではなく、「いつもの自分でいられること」、「無理をしていないこと」を支えるために選ばれます。
強いコントラストやビビッドカラーは控えられ、くすみを含んだナチュラルカラー、経年変化を許容する色が支持されました。
色は自己表現の主役ではなく、安心感をつくる背景として働くようになります。

これは住まいやインテリアでも同じです。
白一色の無機質な空間から、木の色や布の色、土を思わせる色を組み合わせた、やわらかく落ち着いた配色へ。
空間を飾る色ではなく、「心を落ち着かせるための調整役」としての色が求められました。

標準塗装色の推移
  • ■ 平成21年(2009年) 塗料用標準色E版 632色
  • ■ 平成23年(2011年) 塗料用標準色F版 632色
ポイント

・カラーユニバーサルデザインの意識が社会に浸透
・東日本大震災後、省エネ・節電への意識が急増

19. 平成25年〜30年の流行色|「盛らないポジティブさが心地よかった色

平成25年(2013年)から平成30年(2018年)にかけての流行色は、平成20年代前半に定着した「安心感重視」の色彩感覚を引き継ぎながら、 そこに前向きさ・軽やかさ・日常的な楽しさが少しずつ加えられていった時代の色です。

平成25年〜平成23年 主な流行色
平成26年(2014年) ラディアント・オーキッド
平成27年(2015年) ダークレッド、プラム、マルサラ
平成28年(2016年) アースブルー、ローズクォーツ、 セレニティ
平成29年(2017年) 平成30年(2018年)ビジョナリーミント、ウルトラバイオレット
平成25年〜平成30年 流行色の時代背景

平成25年(2013年)から平成30年(2018年)にかけての流行色は、平成20年代前半に定着した「安心感重視」の色彩感覚を引き継ぎながら、そこに前向きさ・軽やかさ・日常的な楽しさが、無理のない形で少しずつ加えられていった時代の色です。

この時期は、いわば「平成という時代の終盤」です。
大きな希望や成長神話を掲げる時代ではなく、かといって強い不安に押しつぶされているわけでもない。
人々の意識は、「何かを大きく変える」よりも、今ある生活をどう心地よく続けるかへと、静かに向いていました。

主流となったのは、グレージュ、トープ、スモーキーピンク、くすみブルー、オリーブ、チャコールなど、 彩度を抑えつつも「沈みすぎない中間色です。
白やベージュを基調にしながら、差し色として柔らかな色味を足すことで、空間や装いにほどよい表情を持たせる配色が支持されました。

この時代の色の特徴は、「強いメッセージを持たないこと」そのものが価値になった点です。
景気回復への期待感はありつつも、バブル期のように成功や豊かさを誇示する空気は戻らず、「気分が上がるけれど、気負わない」色が選ばれました。
色は主張ではなく、生活のテンポを少し整えるための存在になっていきます。

ファッションの分野では、ナチュラル志向やゆるさを残しながら、トレンド感は差し色や質感でさりげなく取り入れるスタイルが定着します。
くすみカラーやニュアンスカラーが広く浸透し、色は個性を強く打ち出すものではなく「今の空気を分かっている」という合図のように使われるようになりました。
SNSの普及もあり、派手すぎず、けれど写真にするときちんと雰囲気が出る色が、自然と選ばれるようになります。

住まいやインテリアでも同様です。
白やベージュをベースに、グレー、木の色、くすみカラーを組み合わせた、整っているけれど冷たくない配色が定番化していきました。
色は空間の主役ではなく、暮らしのリズムや気分を乱さないためのバックボーンとして使われ続けます。

平成の終わりが近づくにつれ、人々の中には「次の時代がどうなるか分からない」という不安な感覚も、少しずつ共有されていきました。
だからこそ、色には極端な主張や強い意味づけを求めず、どんな変化が来ても受け止められる、ゆとりのある色が好まれたとも言えるでしょう。

平成25年〜30年の流行色は、「安心の色」に「前向きなニュアンス」を重ね合わせ、平成という長い時代を静かに締めくくっていくための色でした。

標準塗装色の推移
  • ■ 平成25年(2013年)塗料用標準色G版 624色
  • ■ 平成27年(2015年)塗料用標準色H版 624色
  • ■ 平成29年(2017年)塗料用標準色J版 654色
ポイント

・遮熱塗料用の「日射反射率」データが掲載開始。
・インフラの長寿命化に伴い、重防食用の色が整理。
・つや消し見本が本格導入。

20. 平成30年~令和5年の流行色|安心・ゆとり・自分らしさの色彩

平成30年(2018年)から令和5年(2023年)にかけての流行色は、「前向きさ」や「トレンド感」を語る色から、不確実な時代を無理なく生きるための色へと、大きく役割を変えていった時代の色です。

令和元年〜令和5年 主な流行色
令和元年(2019年) アウェイクニングオレンジ
令和2年(2020年) ゼロホワイト、レッド
令和3年(2021年) ゼロホワイト(継続)
令和4年(2022年) ジョリーコーラル(蛍光色の明るいコーラルオレンジ)
令和5年(2023年) ルミナスイエロー

平成30年(2018年)から令和5年(2023年)にかけての流行色は、「前向きさ」や「流行」を語る色から、不確実な社会をどう生き抜くかという感覚を映し出す色へと、大きく性格を変えていった時代の色です。

この期間は、社会情勢そのものが大きく揺れ続けた時代でした。
平成から令和への改元は、「新しい時代への期待」を一時的に高めた一方で、その直後に新型コロナウイルスの世界的流行が起こり、人の暮らし・働き方・人との距離感は、根本から見直されることになります。

外出自粛、リモートワーク、行動制限。
「未来を拡張する」よりも、「日常を守る」ことが最優先されたこの時代、色に求められたのは高揚感や刺激ではなく、不安を増幅させないこと、心を落ち着かせることでした。

主流となったのは、ベージュ、グレージュ、トープ、くすみブラウン、セージグリーン、スモーキーブルー、オフホワイトといった、彩度を抑えたニュートラルカラー。
平成後期に定着した中間色はさらに静かな方向へ進み、色は「印象を操作する道具」ではなく、生活環境を安定させるための要素として選ばれるようになります。

この時代の決定的な特徴は、「正解の色」、「みんなが選ぶ色」が存在しなくなったことです。
経済格差や価値観の分断が可視化され、誰かと同じであることが安心につながらなくなった社会において、色は他人に見せるためではなく、自分自身の感覚を守るための選択へと変わっていきました。

ファッションの分野では、くすみカラーやニュアンスカラーが完全に定番化し、ジェンダーや年齢を限定しない色使いが広がります。
在宅時間の増加により、「外向きに映える色」よりも長時間身につけていても疲れない色が重視されるようになりました。

住まいやインテリアにおいても同様です。
白やグレーを基調としながら、木の色、土を思わせる色、植物を連想させるグリーンを組み合わせた、やわらかく、ゆとりのある配色が主流になります。
これはデザインの流行というより、家が「外と戦う場所」ではなく、心身を回復させる拠点になったことの表れとも言えるでしょう。

また、気候変動や災害の多発、将来への漠然とした不安も背景にあります。
だからこそ色は、「新しい価値観を主張するもの」ではなく、どんな変化が起きても受け止められる、ゆとりのある存在として選ばれました。

この時代の色を知ることで、なぜ今、派手ではない色、説明を必要としない色、そして「好きだけれど、頑張っていない色」が住宅やファッションの定番になっているのか。
その理由は、流行ではなく、社会そのものの変化が色に映し出された結果だということが、よりはっきりと見えてきます。

21. 令和5年以降(現在〜これから)の色はどうなっているのか|流行色の兆しとキーワード

令和5年以降の色の最大の特徴は「大きく変わらないが、確実に質が変わっている」ことです。

コロナ禍がひと段落し、社会は再び動き出しましたが、色のトレンドが一気に派手な方向へ戻ることはありませんでした。
それは、人々の価値観が「元に戻る」のではなく、ひとつ成熟した段階へ進んだからです。

現在、色のキーワードとして見えてきているのは、次のような傾向です。

ソフトニュートラル 白・グレー・ベージュを基調にしながら、わずかに温度や色味を含ませた「やさしい中間色」
ダスティ
(粉を含んだような色)
はっきりしすぎない、空気を含んだような色。
くすみというより「柔らかさ」。
ナチュラルグリーン
アーストーン
主張しない緑、土や石を思わせる色。
自然=癒しというより、「当たり前にそこにある色」
低彩度・中明度 暗すぎず、明るすぎず、天気や時間帯によって表情が変わる色。

令和5年以降の色は、「映えるかどうか」よりも、毎日見ていて疲れないかどうかが判断基準になっています。
色は気分を上げるための道具ではなく、生活のリズムを安定させるための存在へ完全に移行しました。

今の住宅外観で「選ばれている色/避けられている色」
この色の流れは、住宅外観にも非常に分かりやすく表れています。

22. 最近、外壁塗装で選ばれている色

  • ■ グレージュ
  • ■ ウォームグレー(少しだけ茶・赤を含むグレー)
  • ■ くすみベージュ・サンドカラー
  • ■ チャコール(黒ではなく、少し柔らかい濃色)
  • ■ セージグリーン・オリーブグレー

これらに共通しているのは、「色として目立たないのに、印象が悪くならない」ことです。

建物そのものを主張させるのではなく、街並み・空・植栽・時間の流れに自然になじむ。
「きれい」よりも「安心する」、「落ち着く」という評価が増えています。

23. 逆に外壁塗装で避けられている色

  • ■ 真っ白(黄ばみ・汚れ・劣化が目立ちやすい)
  • ■ 真っ黒(重く、緊張感が強すぎる)
  • ■ 強い原色・高彩度色
  • ■ 流行を強く感じさせる個性的すぎる色

これらは決して「悪い色」ではありません。
ただし今は、「長く住む家に、その緊張感は必要か?」という視点で敬遠されることが増えています。
令和以降の住宅外観色は、「10年後も説明しなくていい色」、「家族の変化を受け止められる色」が選ばれる傾向にあります。

最近のお客様が口にされる「なんだか落ち着く」、「しっくりくる」という言葉には、実ははっきりした共通点があります。
それは、次の3つです。

➀ 自分が前に出すぎない色

「素敵に見せたい」、「おしゃれに見せたい」よりも、生活がすっきり整って見えることが大切になります。
色が主張しすぎないことで、家全体が穏やかに、きちんとして見える。
この安心感が「落ち着く」という感覚につながります。

➁ 経年変化を許容できる色

「今きれい」より「この先どうなるか」を自然に考え、くすみを含んだ色、中間色、自然に近い色は、汚れや色あせが『劣化』ではなく『変化』として受け取れる。
この時間に対する優しさが、無意識の安心につながります。

➂ 生活の記憶とぶつからない色

派手な色、個性的な色は、見るたびに気持ちを刺激します。
一方、落ち着いた色は、家族のできごと、日常の風景、季節の移ろいを邪魔しません。
色が記憶の主役にならない。
だからこそ「この家、好きだな」と感じ続けられるのです。

令和5年以降の色は、流行を追いかける色ではありません。

  • ■ 生活を邪魔しない
  • ■ 時間と共存できる

そんな「穏やかな強さ」を持つ色が、住宅外観でも、暮らしの中でも、確実に選ばれています。
そして多くの方が求めているのは、「ただ、おしゃれな家」ではなく、「おしゃれでなおかつ気持ちが落ち着く家」です。
色は、その感覚を左右する、とても大きな要素になっているのです。

標準塗装色の推移
  • ■ (2021年)塗料用標準色L版 654色
  • ■ (2024年)塗料用標準色P版 600色
ポイント

・ つや消し色を54色に拡充。内装需要に対応。
・ 67色を削除、13色の新色を追加し大幅整理。

昭和・平成・令和|外壁色の考え方 比較表
時代 住宅の特徴 似合う色(一例)
昭和時代 素朴・量感重視 生成り・淡ベージュ・控えめグレー
平成時代 凹凸・完成度 グレージュ・ツートン・中間色
令和時代 シンプル・直線 ニュアンスグレー・設計白・低彩度

24. 明治から令和までの流行色と時代背景|まとめ

明治から令和まで、流行色と時代背景を追っていくと、ひとつだけ、揺るがない事実が見えてきます。
それは――流行色は「時代の気まぐれ」ではなく、その時代を生きる人々の「価値観の集合体」だということです。

たとえば明治
文明開化の熱の中で、人々が色に求めたのは「これまでと違うこと」でした。
濃紺や深緑、えんじのような重厚な色は、ただ渋いからではなく、近代化へ向かう決意や、西洋に追いつこうとする緊張感をまとっていたのです。

大正になると、そこへ自由と個性が入り、色はもう少し軽やかに、モダンで洗練された気分として扱われるようになります。

昭和に入れば、時代は大きく揺れます。
明るさが許される瞬間があり、統制が進むと色は抑え込まれ、戦後は「生活を立て直す色」が求められ、復興と高度成長の中で「清潔で明るい色」が暮らしの標準になっていきました。

バブル期には、色は再び『強さ』や『成功』を語り、その後の崩壊では反動のように「頑張らない色」「静かな色」へと戻っていきます。

そして令和
ここではもう、誰かと同じ流行を追いかけるよりも、自分の暮らしを守り、整える色が選ばれるようになりました。

つまり、流行色の歴史は、日本人が何を大切にして生きてきたかを映す、いわば「価値観の履歴書」のようなものなのです。

ここで大事なのが、外壁塗装における流行色の使い方です。
住宅の色は、洋服のように毎年変えられるものではありません。

外壁は、季節も、天気も、朝と夕方も、10年後も、ずっとそこに居続けます。
しかも近くで見るだけでなく、道の向こうからも見られ、街並みの中で評価される存在です。

だからこそ、住宅外観に流行色を取り入れるとき、>私たち小林塗装が大切にしたいのは、「流行色をそのまま塗る」ことではありません。
流行色を住宅に落とし込むとは、流行を追うことではなく、流行を避けることでもなく、時代の価値観だけを、静かに取り入れることです。

令和5年以降の流行色が教えてくれているのは、まさにそこです。
「頑張らない美しさ」、「長く付き合える安心感」、「説明しなくていい色」この思想を住宅外観へ翻訳すると、色選びは「派手か地味か」ではなく、もっと実務的な設計へと変わります。

たとえば、流行のくすみをそのまま使うのではなく、彩度を少し落として、汚れや色あせが劣化に見えないようにする。
流行の『ニュートラル』を真っ白のまま使うのではなく、わずかに温度を含ませ、季節の光でも冷たく見えないようにする。
流行の『自然色』をそのまま緑で塗るのではなく、木目や植栽、周辺環境とぶつからないトーンへ整え、家が街に馴染む方向へ導く。

こうした「少しの調整」が、住宅では決定的に効いてきます。
流行色の名前を採用するのではなく、流行色の『空気』を設計に使う。
これが、外壁塗装で失敗しにくい取り入れ方です。

そして、ここが一番お伝えしたいところですが、外壁の色は、完成直後よりも、数年後に評価されます。
住み始めた日よりも、生活が馴染んだ頃に、「やっぱり好きだな」と思えるかどうか。
だからこそ小林塗装では、色を「映え」で選ぶのではなく、時間に強い色として選ぶことを大切にしています。

住宅外観も、その思想で設計することで、「完成した瞬間」よりも、「住み続けるほど好きになる家」になります。
流行色は、家を派手にするための道具ではありません。
むしろ、時代の空気を読み取りながら、家族の暮らしを穏やかに整えるためのヒントです。

明治から令和まで、色がずっとそうしてきたように、外壁の色もまた、住まいの気分と安心をつくる、とても大切な要素なのです。

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