塗料と塗装の歴史 名古屋市 小林塗装

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塗料・塗装の歴史

塗料や塗装に関する歴史年表を、名古屋の「住まいの塗り替え専門店」小林塗装の店主小林ゆずが塗装工事を行う毎日の中で、もっと塗料が身近に感じたり、塗料のルーツ事を知ったりする為に興味本位で塗料や塗装に関する歴史年表を作成してまとめました。

この年表は、塗料や塗装に関する歴史(かなり、掘り下げて調べました。)と日本の歴史(愛知県や名古屋市周辺の歴史、流行、その他、どうでもいい事もかなり含まれています。)を照らし合わせながら、現在使われているシリコン塗料、フッ素塗料、無機塗料、遮熱塗料、断熱塗料などといった建築塗料、塗装方法、刷毛やローラーなど塗装の道具が一体どのような経緯で誕生して、どう発展してきたのか、など歴史年表を見ながらお楽しみください。

年号塗装の歴史について日本の歴史について
紀元前7,000年前

北海道南芽部町にある
「垣の島B遺跡」で塗料のルーツである黒漆と赤漆で塗られた椀が作られました。
(日本国内初の塗装であり、塗料と言えるのではないのでしょうか?)

紀元前5,000年~

日本国内では、紀元前5,000年頃から「漆」が使われてきました。能登半島の七尾市三引町三引遺跡から出土した漆塗りの竪櫛や矢尻と矢柄を漆で固めて、紐が解けない様にしている矢や、土器や木の蔓で編んだ籠に漆が塗った容器があります。(現在でも困難な「漆」の取り扱いを縄文人は、すでに塗料として使いこなす高い技術を持っていました。ちなみに当時の日本国内での漆生産地は、主に東北地方でした。)
「漆」に関する最古の文献
日本において記録として、一番古いものは、約2,400年前の考安天皇の時代に、三見宿弥(みつみのしゃくや)という人が器に「漆=ラッカー塗料の一種」を塗って、宮中に献上したという事が残っています。

日本では縄文時代前期
人口が大幅に増加し、竪穴式住居や貝塚が盛んに作られました。
丸木舟による漁労活動や公益が盛んに行われるようになりました。

縄文時代~古墳時代
紀元前300年頃 ~ 592年頃

三重県の「森添遺跡 38」には、縄文時代の朱精製の工房遺跡があり、三重県勢和村日の「谷遺跡 39」には、縄文時代の草創期から、古墳時代に及ぶ「辰砂(しんしゃ)=硫化水銀」の採掘、「朱」の顔料精製が行われた遺跡があります。
ちなみに日本地質学会は、平成28年(2016年)5月に辰砂を「三重県の鉱物」に選定しました。

 
景初2年(238年)

魏王から、倭王の卑弥呼への賜り物の一部に「鉛丹(えんたん)」が含まれていました。
なお、当時日本の男子は 「皆顔と身体に大小の入れ墨をしている」と魏志倭人伝に記録されています。
入れ墨に使用する色料の赤色は、弁柄(べんがら) ・朱、青色は墨 ・藍、黄色は茅色(かやいろ)が使われていたと考えられています。

 
安康天皇3年~ 雄略天皇23年
456年~479年

雄略天皇の代に「鉛白」が初めて化粧として使われました。

 
推古天皇~ 推古天皇32年
593年~ 628年

推古天皇の代に高麗から、彩色(塗装の概念)が伝わりました。

 
607年

法隆寺の堂塔木部に『丹塗り』が施されました。

 
和銅3年頃(710年頃)

平城京跡の漆器工房から、『漆刷毛』の原型かと思われるものが発見されています。漆塗りは、日本独自の発展を遂げ、8 世紀(聖武天皇時代)には現代技術に劣らないレベル塗装技術に達していたと考えられます。

元明天皇によって、平城京(奈良)に都が置かれました。

天平勝宝4年(752年)

奈良の大仏の歩廊160問の塗装に使用した人工顔料「緑青」は、1740斤と記録されています。
なお、 大和では「緑青(ろくしょう)」が作られ、摂津の多田銀銅山では「紺青(こんじょう)と緑青」、長門の長登銅山では「緑青」の生産が行われた事が記録されています。

 
奈良~鎌倉時代
(710~1333年)

奈良、平安、鎌倉時代に建立された社寺建築には、土壌顔料が多く塗装で使用されました。
また、仏教文化の伝来や貴族文化の隆盛によって、空青(あお) ・丹(あか)・白青 (しらあお)・緑青(りょくせい)・ 雌黄(しおう)・紫土(しど) ・金墨(きんぼく)・金泥(きんでい) ・銀泥(ぎんでい)・白土(しらつち)・紫鉱(しこう)・精鉄( せいてつ)・藍花(あいばな) ・胡粉(ごふん) ・赤土(あかつち)‥といった顔料も作られる様になりました。

 
天平宝字(757年)

麻柱(あななひ)という言葉が、「高い所に登るあしがかり=足場」という最古の言葉として記録されています。

養老律令(ようろうりつりょう)が施行されました。

延長5年(927年)

動物・魚の骨、皮革を煮て作られる粗製ゼラチン(膠)の水溶液(有機タンパク質でコラーゲンが母体)に弁柄、鉛丹、朱、黄土、緑青、胡粉(貝殻の粉)を混ぜる事で木部に塗っても塗料が剥がれづらく、膨れ等も生じにくい塗料の記録「延喜式」(古代法典)には、膠を用いた塗料配合が記録されており、これが日本最古の塗料が配合された記録と言われています。

承平年間
(931年~- 938年)

和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)=平安時代の百科事典に記載されている顔料として、「藍( あい)・黄櫨(こうろ) ・楯子(くちなし)・茜(あかね)・紫草 (むらさき)・紅藍 (べにあい)・黄草(きぐさ)・鴨頭草(つきくさ) ・赤菟(せきと) ・橡(つるばみ)」等がありました。

 
鎌倉時代から室町時代(1200~1400年代)

襖、障子、番傘の布貼り、紙貼り用として『糊刷毛』(鹿毛・猪毛)が使われ始めました。

 
1586年(天正14年)~1592 (文禄元年)

豊臣秀吉により、聚楽第(じゅらくてい) ・大坂城 ・伏見城等が築造されました。
城内殿舎は、狩野永徳、山楽らが斬新さに溢れる濃絵(だみえ)と言われる緑青(ろくしょう),丹等の岩絵具や金銀泥を厚く塗り,余白に金箔(きんぱく)を貼った濃彩主義の金碧画で装飾されました。

 
1590 年頃

豊臣秀吉によって、全国統一される頃には、長崎に輸入された顔料は、大阪(大阪道修町)の絵具屋、薬種商の元に集約され、日本全国に送られました。

 
江戸時代(1636年)

漆塗りの象徴ともいえる「日光東照宮」が創られました。

 
江戸時代(1600~1800年代)

江戸時代には、絵具に使われる丹砂、水銀朱、緑青、鉛丹、丹土(紅土、酸化第二鉄)‥と言った顔料が輸入されはじめました。
また、江戸時代には、京で塗装に使われる刷毛を作る職人集団が現れました。
後に江戸でも、刷毛が多く作られる様になってきました。
そういった経緯で刷毛の需要が増大化し、塗装に使われる刷毛づくりも専業化されていきました。

 
宝永4年(1707年)

岡山県の吹屋地区で人工顔料の「弁柄」が作られる様になりました。
江戸時代には、「鉛白、鉛丹、朱 」‥の人工顔料の製造が行われる様になりました。(人工顔料の誕生によって、色味のある色彩が身近で表現できるようになりました。)

 
享保3年(1718年)

徳川将軍家お抱えの刷毛師だった初代・利兵衛が将軍家から「江戸屋」の屋号を賜り、「江戸刷毛」専門店として、東京の日本橋に開業しました。
この江戸刷毛によって、江戸時代の塗装技術が発展する事になりました。

徳川吉宗によって、「町火消し」の制度が定められました。

天保12年(1841年) 

天保の改革が始まりました。
幕府各所に綱紀粛正と奢侈禁止を命じました。

安政元年(1854年)

アメリカのペリー特使が、幕府役人と会見する際、江戸の漆職人、町田辰五郎氏がアメリカ艦タンダリア号に赴き、油性塗料を貰い受け、談判所(横浜 本覚寺境内)を日本で初めて塗装しました。
後に町田辰五郎氏は、塗銀初代(現在の塗装会社桜井・横浜)となりました。

ペリー神奈川沖に再来の時、乗員が横浜本牧海岸通称八王寺鼻下の岩面に白ペンキで落書きした事が「かわら」版に大事件として報道されました。日本最初の「ペンキ落書き」といえます。
同年、英国人のパークス氏がニトロセルロースを塗料として使用しました。

アメリカのペリー特使が黒船で江戸(東京湾)に来航し、江戸幕府に開国を要求しました。
ちなみに黒船に使われた塗装は、木から抽出した木タールやピッチが主成分の塗料が使われていました。
タール系の塗料は防腐剤や防錆材としても優れた性能をっています。(日本が開国するにあたって、塗料や塗装が大きく関わっていた。と言っても過言ではありません。)
翌年1,854年には、日本とアメリカの間で、日米和親条約が締結されました。

安政2年(1856年)

英国人・パーキン氏が染料モーブを合成しました。

 
安政4年(1858年) 

福沢諭吉が蘭学塾(慶應義塾の前身)を創立させました。

江戸幕府の大老、井伊直弼が尊王攘夷派に対して過酷な弾圧を加えました。
(安政の大獄)

安政5年~安政7年にかけてコレラが大流行しました。

安政5年(1859年)

8月10日 町田辰五郎が、小普請奉行の遠山隼人正よって、ペンキなど材料購入を許されました。

 
慶応2年(1866年)

外国商館による、塗料の販売が始まりました。
横須賀造船所を建築する際に「塗師所」が設けられました。
横須賀造船所の「塗師所」は、日本国内で最初の塗装工場と言えます。

英国人の「リス」がペンキ塗り請負業を横浜で開きました。

薩長同盟が成立されました。

明治元年(1868年)

「築地ホテル館」が開業しました。木部に緑色のペンキが塗られました。

江戸幕府に対する倒幕連動から、明治維新が起こりました。

江戸が東京府になりました。

入鹿池の堤防が決壊しました。

明治時代初頭

外国人の持参した『金巻のペンキ刷毛』を見本に東京の刷毛屋がペンキ刷毛の製造を始めました。
その当時、工夫を凝らし作ったのが、馬毛で作られた一寸六分の『寸筒刷毛』でした。

 
明治元年(1868年)

11月19日 築地ホテル館が開業しました。(着工慶応3年7月、設計・ジェンス外事作事方、施工・清水店)、木部緑色ペンキ塗り仕上げが施されました。

 
明治2年(1869年)

横須賀造船所に「塗粧職工教育学校」日本最初の塗装工員養成所でした。

尾張藩を名古屋藩に改称されました。

東京が都として定められました。

戊辰戦争が終了しました。

明治3年(1870年) 

接着剤、シーリング材メーカーであるコニシが「小西屋」の屋号で薬種業を営み始めました。
の後、現在のアサヒビールの前身となる「アサヒ印ビール」を製造しました。

東京・横浜間で電信が開通されました。

明治4年(1871年)

「ペンキ」という単語が、日本で初めて横浜毎日新聞に登場しました。

廃藩置県により、名古屋藩が名古屋県になりました。

明治5年(1872年)

新橋駅・横浜駅を輸入塗料で塗装しました。

明治5年当時の白ペンキ1缶(28 ポンド入(12.7Kg))は、3円25銭で大工の日給37銭と比較すると、約9倍もする大変高価なものでした。

4月ペンキ塗り仕上げの「小便所」が横浜・東京に設置されました。

横浜海岸通りの渋亀こと、伊藤幸太郎氏が停留所の塗装工事を請け負いました。

渋鉄こと、桜井鉄五郎がイギリス領事館の塗装工事を請け負いました。

名古屋県が愛知県に改称されました。県庁所在地の郡名「愛知郡」から採られました。

現在の品川駅近くで、レンガの機械生産が始まりました。

額田県が愛知県に合併されました。

日本国内で初めて、色彩に関する小学校4年生用の教科書「色図問答」が発行されました。

明治6年(1873年) 

オーストリアのウィーンで開かれた万国博覧会で、日本が初めて博覧会に参加しました。

年中の祝祭日(8日間)が決まりました。

神武天皇の即位日を2月11日に改めました。かつての祝祭日の中の四大節の一つです。
後に、1948年(昭和23年)に占領軍 (GHQ)の意向で廃止されましたが、さらにその後1966年(昭和41年)に、2月11日は「建国記念の日」として国民の祝日となりました。

明治7年(1874年)

塗料が日本国内で研究開始されました。
東京開成学校(現在の東京大学)に、ドイツ人のワグネル博士が招かれ、ワグネル博士の助手であった、茂木春太氏と彼の弟重次郎氏を指導して、顔料及び、塗料の研究を開始しました。
その後、茂木春太氏は、白粉用亜鉛華製造の組合を作り、開成学校で顔料や塗料を学び、塗料開発に興味を抱いていた弟の重次郎氏に塗料の開発を任せ、春太氏は白粉用亜鉛華製造の指導に当たりました。

板垣退助・後藤象二郎らが、政府に対して民選議院設立建白書を提出しました。

明治8年(1875年)

横浜毎日新聞に「安全火留メ石炭油」と「ペンキ油」の広告が掲載されました。

11月 横浜海岸の三番商会が「ペンキ類」の販売を広告しました。

樺太・千島交換条約が発効されました。

名古屋市にガラス製造所ができました。

明治9~10年頃(1876年~1877年)

明治9~10年頃は、日本人による洋式塗装の勃興期と言えます。
しかし、当時ペンキは、東京で販売されておらず、横浜の貿易商社が輸入して扱い、イギリスのハバックス社製のペンキがその代表でした。

 
明治9年(1876年)

横須賀造船所にて「含浸瀝青綱具」が発売されました。

飯田街道(現在の国道153号線)ができました。

官庁が、日曜休日・土曜半休の実施をしました。

         
明治10年(1877年)

国産の「セラックニス」=酒精ニス(アルコールを用いたニス)、仲万兵衛氏(熊野屋)・川上保太郎氏(後、川上塗料の創業者)により、製造開始されました。

熊本・宮崎・大分・鹿児島において、西郷隆盛を盟主に、西南戦争が起こりました。

明治11年(1878年)

酒精ワニスが国産化されました。
明治11年のペンキ28ポンド入り(12.7Kg)国産の「セラックニス」=酒精ニスが販売開始されました。
明治11年当時、のペンキ28ポンド入り(12.7Kg)缶が約3円でした。
ちなみにその当時、品川の土地価格が1坪あたり約2円でした。

「クロム緑、鏑青、テラデシエンナ、代赭色(たいしゃいろ)」等の人口顔料が作られました。

日本最初の電燈が点火されました。

大久保利通が東京で不平士族に暗殺されました。「紀尾井坂の変」

東京株式取引所が設立されました。

東京神田にある昌平橋でアスファルト舗装工事が行われました。

郡区町村編制法による新行政区「名古屋区」ができました。

神田猿楽町に亜鉛華製造の精錬所を設けました。

明治12年(1879年)

中国人のペンキ業者が組合を結成し、三菱造船所の仕事を独占しました。

芙蓉園が「無害おしろい」の新聞広告を出しました。

明治13年(1880年)

5月27日 大和屋の藤田重次郎氏がペンキの国産化に成功、東京日日新聞で広告しました。

6月7日 カルルローデ社(横浜12番館)、「船底用ラージンペンキ」を広告しました。

茂木兄弟によって、国産原料による塗装現場で希釈する必要がないペンキ=洋式塗料「ペンキ(油顔色)」が完成しました。(おめでとうございます。)
このでき事が日本国内で塗料が普及する大きなきっかけとなりました。

東京日日新聞に大和屋のペンキが広告掲載されました。

大蔵省印刷局が人工顔料を製造し始めました。
人工顔料が開発され始めた理由は、従来からある天然顔料は、生産量が少なく、しかも高価であった為です。

名古屋市内で初めてとされる塗装業者 竹島ペンキ店(創業者 竹島覚三郎氏)が創業しました。

日本国歌「君が代」が完成しました。

奈良公園が開園しました。

小笠原諸島が東京府に編入されました。

鹿島建設株式会社のルーツ「鹿島組」が創立されました。

明治14年(1881年)

5月16日 文明社の松尾一衛氏が防火油(防火塗料)を発売しました。

日本国内初の塗料工業が誕生しました。
茂木重次郎氏が、海軍塗工長中川平吉氏の協力を得て、「共同組合光明社」(現在の日本ペイント)を東京の三田で設立させ、光明丹(鉛丹)、亜鉛華、堅練りペイント(顔料にボイル油を混入した糊状の塗料)の製造を始めました。

茂木兄弟によって作られた国産原料のペンキが東京上野公園で開かれた第二回内国勧業博覧会に亜鉛華と堅練り塗料並びに色見本額(日本最古の塗板見本額)を展示し、褒状を受けました。
その結果、ペンキというモノとペンキの国産化が日本国内に広く知られる様となって、学校建築や商店の看板にペンキが使用され始めました。

東京・三田に現在の日本ペイントの前身「共同組合光明社」設立されました。

大蔵省印刷局、ペンキの製造を再開しましたが、ペンキの品質が悪く、明治15年の11月に製造中止になりました。

中川平吉氏が光明社から「艦船営需用塗具見本一覧」を作成しました。

光明社と岩戸顔料が「黄鉛」の人口顔料を開発しました。

日本の紙幣に使われる朱肉用顔料として、光明社の亜鉛華が使用されました。
しかし、それと同時に印刷インキ用として人工顔料の研究が急速に進められ、これらの研究によって日本に顔料工業が誕生しました。
顔料の自給、高価な天然顔料からの転換、数量確保の安定化などの日本政府方針もあって、民間企業も顔料生産を開始しました。
こうした国内顔料メーカーによって、黄鉛、紺青、亜鉛華、群青、銀朱、その他有機顔料や染料の量産を日本国内で開始されました。

明治生命が創業しました。(日本初の生命保険会社)

小野田セメント(現 太平洋セメント)が日本最初の民間セメント会社として設立され、セメントの製造が始まりました。

地方の町や村で靴を履く人が出てきました。

東京で粉ミルクやバターの製造が始まりました。

明治15年(1882年)

3月 白鉛興業社が(白鉛ペンキメーカー)秋田で設立されました。

8月23日 土瀝青商会(アスファルト採掘業)秋田で設立されました。

日本銀行が開業しました。

名古屋銀行が開業しました。

上野動物園が開園しました。

明治16年(1883年)

調合ペイントが開発されました。(調合ペイントとは、外部の木部や鉄部の塗装に用いられる不透明仕上げの油性塗料の事です。)

東京気象台(後の中央気象台)が日本で初めて天気図を作製しました。

明治16年の5月26日に日本初の暴風警報が発令されました。

鹿鳴館が開館しました。

明治18年(1885年)

日本の特許第1号は、塗料及び塗装でした。漆工芸の大家、堀田瑞松氏が、光明社で作られた油性さび止め塗料に対抗して、漆を利用して作り、出願した「堀田さび止め塗料及び、塗装」が特許第1号として登録されています。
同年に漆特殊塗料工場(現在の日本化工塗料(株))を創業し、「堀田さび止め塗料」の販売を開始しました。
因みに8月14日は、専売特許の日です。日本で最初に特許が付与された日制定された記念日です。
(どうでもいい事だけど、小林塗装の店主小林ゆずの誕生日です。)

伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任しました。(第1次伊藤内閣)

宇都宮駅で日本初の駅弁が販売されました。

現在、日本国内で最も伝統と権威がある学会の一つである造家学会(後の日本建築学会)が発会されました。

明治19年(1886年)

光明社(現在の日本ペイント)が「石油エンジン動力ミル」を購入しました。

皇居の造営に光明社の白ペンキが献納されました。

和歌山県紀州沖でノルマントン号事件が起こりました。

名古屋駅が『名護屋駅』として、開業されました。
(なお、明治20年に名古屋駅へ改称されました。)

武豊 – 熱田間に鉄道が新設開業しました。
熱田 – 清洲(現・枇杷島)間に鉄道が新設開業しました。

明治21年(1888年)

大阪で大日本塗料の前進となる阿部ペイント製造所が創立され、阿部ペイント製造所は、海外から塗料製造機械を輸入してペイント類の製造を始めました。

塗料の民需増加に伴い、製造品目が増えてきました。

市制・町村制が公布されました。

新愛知新聞が(現在の中日新聞)創刊しました。

明治22年(1889年) 

大日本帝国憲法が発布され、翌年に施工されました。

名古屋区が「名古屋市」になりました。

名古屋電灯(現中部電力)送電開始

明治23年(1890年)

堀田瑞松が漆に亜砒酸水銀、亜砒酸銅など各種重金属塩類などを配合した特許第 918 号「介藻防止漆」を取得しました。

彩光社で油ワニス製造が開始されました。

日本国内最初の資本主義恐慌が本格化しました。

明治25年(1892年) 

大林芳五郎が大阪で土木建築請負業「大林店」(現在の株式会社大林組)を創業させました。

大阪麦酒会社から「アサヒビール」が発売されました。

アイスクリームが庶民の間で食べられる様になりました。

明治27(1894年) 

日清戦争が勃発しました。

愛知馬車鉄道(現名古屋鉄道)設立

明治27~37年(1894~1904年)

日清戦争・日露戦争の後、ボイル油・固練りペイント(亜麻仁油が主成分)・油ワニス・船底塗料が普及しました。

ドイツの木部用塗料メーカー「オスモ」が創業しました。(1899年)

その頃、塗料の技術発展が著しくなり、塗料の需要も急拡大しました。

朝鮮国の甲牛農民戦争をきっかけに、日清戦争が起こりました。(1894~1895年)

明治28年(1895年)

光明社(日本ペイント)の市中売「売価取極簿」(定価表)に「商人中買人割引」、「大阪販売店価格」等の用語が用いられ、現在の商習慣のルーツとなるもの言えます。

下関条約が調印されました。

鉄筋コンクリート工法が採用開始されました。

明治29年(1896年)

光明社「改定価格」の(市中売値改訂)―定価格表に「特約販売店には、割引、1缶以下、1割増」が用いられました。

大阪・中之島でアサヒビールがビアガーデンの前身のスタイル営業を開始しました。

明治31年(1898年)

「日本ペイント製造株式会社」が設立されました。その際に、商標「小槌」を制定しました。

名古屋市に全国2番目となる市電が開通しました。
(久屋~名駅間)市民の間からは、「チンチン電車」の愛称で親しまれました。

名古屋で電話が初めて開通しました。

豊田織機が操業開始しました。

明治33年(1900年)

国内外約100種のワニスの比較テストを日本ペイントで実施しました。

人造スレート瓦が、オーストリアで発明されました。

銭湯で12歳以上の男女の混浴を禁止する布達が内務省より出されました。

東京・京橋に初の公衆電話ボックスが登場しました。

明治34年(1901年)

建築用・工業用塗料メーカー「神東塗料」の母体である「神戸ボイル油株式会社」が神戸市灘区に塗料製造所として創業されました。

川上保太郎氏(後の川上塗料製造所、現在の川上塗料創業者)によって、エナメル塗料が開発されました。

大日本帝国とロシア帝国との間で日露戦争が勃発しました。
両国はアメリカ合衆国の仲介の下で終戦交渉に臨み、1905年9月5日に締結されたポーツマス条約により講和ししました。

赤い郵便ポストが初めてつくられました。

明治36年(1903年)

日本ペイントが大阪の天王寺で開かれた第5回内国勧業博覧会に塗料・塗料用顔料を出品し、1等賞を受賞しました。

明治36年1月に「紫色レーキ」の人口有機顔料が製造成功しました。

日本初の「ビアガーデン」が隅田吾妻橋に開設されました。

名古屋市千種区の覚王山「日泰寺」が日暹寺(にっせんじ)として創建されました。
(昭和24年、日泰寺に改名されました。)

明治37年(1904年)

日本ペイントの茂木重次郎が「塗料用鉛丹」の特許を出願しました。

日露戦争が始まりました。

明治38年(1905年)

日本国内で初めて、大阪瓦斯本社ビル屋根にアスファルト防水が施工されました。

堀田瑞松が渡米して、約6 年半を米国で過ごしました。この間、 米国海軍や鉄骨ドームなどの塗装で好結果を収める事で、 滞米中に米国特許 2 件を取得しました。
(特許 No.916869、916870 防汚・防食用組成物、及び金属防食用組成物 1,903 年 3 月 30 日登録)
これは日本人による最初の塗料に関する米国特許取得と考えられています。

日露講和条約(ポーツマス条約)が締結されました。

夏目漱石が「吾輩は猫である」を発表しました。

明治39年(1906年)

日本ペイントが船底防汚塗料の研究を開始しました。

関税が改正され、輸入塗料の課税が倍加されました。

富士山の山頂に郵便局が開設されました。

明治40年(1907年)

日露戦争後の印刷インキ及び塗料の生産増大によって、民間における黄鉛、紺青、その他の人工顔料の製造もようやく定着してきました。
しかし、当時の塗料業界、印刷インキ業界は共に、依然として輸入品が多く使用されており、また塗料及び印刷インキ自体の輸入もかなりの量に達する状態でした。

ベニヤ合板が生産開始されました。

名古屋港が開港しました。

東邦ガスのルーツとなる名古屋瓦斯が創業しました。

竹中工務店が設立されました。

明治41年(1908年)

DICの前身「川村インキ製造所」が川村喜十郎氏により、創業されました。

塗料や印刷インキの白色顔料に使われる酸化チタンがイルメナイト鉱から、抽出精製に成功しました。

名古屋市が四区制(東・西・中・南)となりました。

「亀の子たわし」が発売されました。

イギリスでコンクリート瓦の機械化製造が始まりました。

第八高等学校(現名古屋大学)設立

明治42年(1909年)

大宝化学工業(株)が創業されました。

日本ペイントが東京品川に建設油・ワニス工場を造りました。
(現存する建物は、明治記念館として昭和56年に開館しました。)

鶴舞公園ができました。
(名古屋で最初に整備された公園です。)

明治43年(1910年)

川上保太郎氏によって、「川上塗料製造所」が大阪市西成区で創業されました。

日本ペイントの茂木重次郎氏は、安価な家庭用調合ペイントを供給する目的でエマルションぺイント「もてきペイント」を開発しました。

洋菓子メーカー「不二家」が創業されました。

明治44年(1911年)

壁用水性塗料(ミルクカゼインバインダー)が製造されました。

三精塗料工業株式会社が「三精舎化学製品所」として設立されました。設立当初は、油性ワニス、酒精ワニスの製造を行っていました。

日本ペイントが船底防汚塗料の国産化に成功しました。

日本国内の塗料メーカーが 28 社となりました。

兵庫県の余部鉄橋が完成しました。

小林由三氏が、名古屋市で「小林瓦斯電気器具製作所」(現在のパロマ)を創業させました。

山陰本線の余部鉄橋が作られました。
ちなみに、橋梁塗装は、第二次世界大戦前まで錆止め塗料(鉛系、鉄系顔料)2 回、上塗りの 3 回塗りが一般的でした。
当時の塗装職人は、「塗師」と「ペンキ師」が明確に別れており、塗師は日本伝統の塗装材料による施工を担当し、ペンキ師は西洋のペンキを使って塗装していました。

日本国内の小学校の就学率が98%となって、日本の義務教育制度がほぼ定着しました。

明治45年・大正元年(1912年)

東京・神田猿楽町にあった「キカイ湯」という銭湯の創業者である東由松氏が、銭湯の増築をする際、壁に絵が書いてあったら、子どもが喜ぶに違いないとペンキ絵を描く事を思いついて、川越広四郎氏という画家に壁画を依頼しました。

キトサン等の天然物の高機能塗料を開発している大村塗料株式会社が塗料染料店として鳥取県にて創業しました。

堀田瑞松氏の息子堀田賢三氏によって、日本漆業研究所(後の日本化工塗料)が創業されました。

日本ペイントから、「日本船底塗料」が発売されました。

日本橋倶楽部で「第1回塗料会」が開催されました。

鋼製建具が日本国内で生産開始されました。

5月5日、日本がオリンピックに初参加しました。
(ストックホルム五輪)

明治天皇が崩御し、7月30日から明治から、大正へと改元しました。

大正2年(1913年)

日立製作所が 電気絶縁塗料仕上げワニスを開発しました。 (電気絶縁ワニスは、電気の流れを遮る為の樹脂で酸化を防止し、耐熱性にも優れる等の特徴があります。) 塗料の国内生産量が2,000トンを超えました。

「森永ミルクキャラメル」が発売されました。
(キャラメルの販売自体は明治32年ごろから行われてきました。)

日本で初めて東京の世田谷に高級別荘用地「新町分譲地」が完成しました。

大正3年(1914年)

大塚鐡五郎氏が塗装用品総合商社の大塚刷毛製造株式会社の前身である「大塚鐡五郎商店」を創業しました。
後のマルテー大塚(大塚刷毛)です。

川上塗料が「鳥印エナメル」の商標で中国、東南アジアヘの輸出を始めました。

第一次世界大戦が勃発しました。

東京駅が開業しました。

名古屋で上水道が供給開始されました。

三越呉服店が日本初の「デパートメントストア」宣言を行い、エレベーター・エスカレーター付きの近代的な店舗を建築しました。

大正4年(1915年)

東亜ペイント(現在のトウペ)が創業されました。

ノザワから厚型 スレート瓦「ロッコー瓦」が発売されました。

あま市甚目寺地区は、建築塗装に使われる刷毛の産地として有名です。
山崎政三郎氏つた夫婦が、大阪で技術を学び、持ち帰った事が始まりと言われています。

大正5年(1916年) 

長崎の軍艦島に旧三菱高島炭坑端島アパートが建てられました。

大正6年(1917年)

仲西他七氏により、「日本特殊塗料」が創業されました。

石材塗料メーカー「山本窯業化工株式会社」が大阪市北区に煉瓦タイル販売店「山本窯業商店」として創業されました。

エステルゴム系塗料が開発されました。

鈴川巌氏が中国塗料の前身である「中国化学工業合資会社」が広島市で創業されました。

 
大正7年(1918年)

玉水弘氏によって、尼崎市西宮町に、関西ペイント工業所(現在の関西ペイント株式会社)が創業されました。

塗料の国内生産量が2 万トンを超えました。

森下元良氏が人工硫酸鉄によるベンガラ(赤色酸化鉄)製造法を開発し、「森下舎密工場」(現在の森下弁柄工業株式会社)を創業させました。

シベリア出兵を開始しました。

松下電器が設立されました。

名古屋で米騒動起きました。

あま市(甚目寺町)で山崎政三郎によって、刷毛の製造が始まりました。
現在、愛知県下の刷毛製造業者は、塗装工事用の刷毛1,000種類以上を製造しています。

大正8年(1919年)

日本特殊塗料が酢酸繊維素系羽布塗料を開発し、航空機用塗料と して軍部の指定を受けました。
以後、日本特殊塗料は航空機分野を事業の主力として、「零戦」などにも塗装されました。

大正8年7月7日に「カルピス」が発売されました。
(水、湯または牛乳で、カルピスの原液を2.5倍~5倍程度に希釈して飲む事を推奨しています。)

エステルゴム系塗料が開発されました。

大正9年(1920年)

米国人・キーンルによって、塗料用アルキド樹脂が開発されました。

東亜ペイント(現在のトウペ)から、防錆塗料「ガルヴァー」が発売開始されました。

関西ペイントの酒見恒太郎氏によって、支那桐油とエステルガムを主成分とするスパーワニスを完成させ、「ジャパナイト」として発売しました。
この技術は、大正10年「仮漆製造法」として特許化(特許第39623号)されました。

エアスプレーガンがアメリカより、輸入されました。

島津源藏氏が亞酸化鉛粉を易反応性鉛粉製造法として、世界11 か国の特許を取得しました。

「石川ペイント」が創業されました。

良質な酸化チタンが経済的な製品として作られる様になりました。

明治神宮造営工事が施工されました。

日立製作所が設立されました。

第一次世界大戦後の大恐慌で倒産や事業を整理する会社が続出しました。

鈴木式織機(現 スズキ)が設立されました。

大正10年(1921年)

酢酸繊維素塗料(航空機用塗料)が開発されました。

塗装用刷毛「宇宙」でおなじみの好川産業株式会社が創業されました。

「グリコ」が大阪の三越で販売開始されました。

大正11年(1922年)

「水系ナノコンポジットw」、「水系ナノシリコン」等、屋根用塗料やナノテクノロジー塗料でおなじみの「水谷ペイント」が創業されました。

佐久間建材工業所(現在の日新工業)が設立され、マルエス印ルーフィングの製造、販売を開始しました。

「グリコ」が大阪の三越で販売開始されました。

東邦ガスが設立されました。

ワシントン海軍軍縮条約が締結されました。

大正12年(1923年)

トタンペイントが開発されました。

日本ペイントが、家庭用ペイント「セーブ」を三越で販売しました。

中国塗料の国船底塗料1号・2号、中国ゴールドベネジヤン船底塗料1号・2号、空気清浄剤・酸素発生装置が、広島を代表する工業製品として広島県商品陳列所(後の広島県産業奨励館)の展示品となりました。
同陳列所は、1945年に原子爆弾で被災し、「原爆ドーム」として現存しています。
中国塗料の製品は、被爆時まで展示されていました。

縮緬ワニス、結晶ワニスが開発されました。

関東大震災が起こりました。

関東大震災でトタンが不足。石綿スレート屋根の需要が拡大しました。

塗装用マスキングテープでおなじみの「カモ井加工紙」が創業されました。

東京駅前に丸の内ビルヂング、通称「丸ビル」が完成しました。

「セメダイン」の創業者今村善次郎氏が、東京で接着剤類の製造販売を開始しました。

大正13年(1924年)

木部用塗料メーカー「和信化学工業」(旧長島化学製品所)創業されました。

塗料メーカー「久保孝ペイント株式会社」が久保孝太郎氏によって、大阪市西区靭に久保孝商店を設立され、塗料用原料の販売が始められました。

久保孝ペイントが、ニトロセルロースラッカーの国産化に成功させました。

川上塗料が自動小缶充填機を導入しました。それによって塗料小缶の缶詰め合理化が進みました。

児玉正雄氏ら(後の関西ペイント)が本格的にニトロセルロー スラッカーの研究に着手しました。

甲子園球場が完成しました。

メートル法が実施されました。

塗装機器メーカー明治機械製作所の前進、「合資会社明治商会」が設立されました。

大正14年(1925年)

DICの前身「川村インキ製造所」が有機顔料の自給生産を開始しました。

塗料メーカー「株式会社佑光社」が創業しました。

商工省大阪工業試験所が音頭取りを行い、「阪神塗料製造技術員懇談会」が設置され、塗料原料規格案や塗料規格案を作成し、塗料の日本標準規格の原案が作られました。
また、主に調合ペイント、さび止めペイント塗料の屋外暴露試験が行われました。日本で塗料技術者が共同研究を行った最初です。以後 1,942 年(昭和 17 年)まで続けられました。

田島ルーフィングが(当時は、応用化学研究所が)防水材料「ギルソイドルーフィング」の特許公告を出しました。

治安維持法と普通選挙法が制定されました。

日本国内でラジオ放送が始まりました。

名古屋名物の味噌煮込みうどん店「山本屋総本家」が創業しました。

山手線の環状運転が開始しました。

大正15年(1926年)

グラファイド塗料が開発されました。
(黒鉛が主成分の耐候性に優れた塗料)

硝化綿ラッカー塗料が開発されました。

ドイツから輸入していた左官用掻き落とし材「リシン」を浅野理化学工業が国産化し、「ソリジットスタイン」と名付けました。

「文化住宅」と呼ばれたドイツ租界であった青島の影響を受けた和洋折衷住宅が流行するに伴い、セメントモルタル刷き付け 仕上げ=「ドイツ壁」が流行しました。

関西ペイントが国産初のラッカー「セルバ」 を発売しました。セルバの発売(乾燥が速く、耐水性が良い揮発系塗料)がきっかけで日本国内のスプレー塗装が発達し、昭和の工業塗装に大きく貢献しました。

社団法人日本放送協会(現在のNHK)が発足しました。

ノザワからロッコー瓦の改良品・六甲スレート(厚型スレート)が製造開始されました。

明治製菓から、「明治ミルクチョコレート」発売(10月)されました。

豊田佐吉氏が現在のトヨタ自動車の母体である豊田自動織機製作所を設立をしました。

浜松高等工業学校の高柳健次郎氏、電子式テレビ受像機(ブラウン管式)を開発しました。

塗装機器メーカーアネスト岩田株式会社の前進である「岩田製作所」が創立されました。

昭和元年(1926年)

エアースプレーガンが国産化されました。

大正天皇が崩御し、12月25日から大正から、昭和と改元しました。

昭和金融恐慌が発生しました。

モボ・モガが流行しました。

浜松高等工業学校の高柳健次郎氏、日本国内初の電子式テレビ受像機(ブラウン管式)を開発しました。
この時使われた映像はカタカナの「イ」です。

塗装機器メーカーアネスト岩田株式会社の前進である「岩田製作所」が創立されました。

昭和2年(1927年)

2月10日 関西ペイントから、ラッカー「セルバ」No.500が発売されました。

関西ペイントから、油性錆止塗料「サビナイト」が発売されました。

東亜ペイント(現在のトウペ)の「ホットベネジァン船底塗料」を使った実艦塗装試験を潜水母艦である迅鯨に実施しました。

塗料の国内生産量が2,000トンを超えました。

日本ペイントがラッカー塗料を発売開始しました。

アルミニウムペイント (塗料に含まれるアルミニウム粉末によって、熱を反射し、耐熱性に優れる銀色塗料) が開発されました。

北村勇氏が大阪市福島区に自動車補修用塗料・汎用建築用塗料メーカーであるイサムペイントの前進となる個人商店「北村溶剤化学製品所」を設立創業されました。

建築用塗料・社寺仏閣用塗料メーカー「中央ペイント」が設立されました。

亜酸化鉛粉を使用した錆止め塗料「ズボイド」が鉛粉塗料株式会社(のちの大日本塗料)から発売されました。

木工用塗料メーカー「斎藤塗料株式会社」が創業しました。

旭硝子(株)塗料部門として「旭ラッカー製造所」が設立されました。同社にて電気絶縁塗料「旭ラッカー」の製造を開始しました。

FRP塗料、木部用塗料を主に取り扱う 九州塗料工業株式会社の前進である「志岐塗料製造所」が、創業しました。

大阪の堂島大橋が鉛粉塗料株式会社の「ズボイド」で塗装されました。

色材に関わる技術者が「色材協会」の元となる「顔料・塗料・ 印刷インキ協会」を発足させました。

地下鉄上野-浅草間が開通しました。

日本大相撲協会が発足しました。

大正製薬から、風邪薬「パブロン」が発売開始されました。

昭和3年(1928年)

白色顔料である「アナターゼ型酸化チタン」が市販される様になりました。
アナターゼ型酸化チタンは、強力な光触媒効果があり、塗膜を常に破壊し続けるので、内装用塗料に使われています。
但し、アメリカなどでは、この強力な光触媒効果を利用して、塗膜を常にチョーキングさせて塗装の白色度を保たせ、燃料用タンク内部の温度上昇を防ぐため、燃料タンク用外装塗料‥として使われています。

日本建築学会から、「建築塗料に就いて」(昭和初期の塗料製造技術、塗料業界について記載)、「コンクリート外壁の表面仕上げ」が発行されました。

大橋焼付漆工業所(現、大橋化学工業株式会社)が設立され、大橋式特許焼付漆の製造販売及び塗装を始めました。

キリンビールから「キリンレモン」が販売されます。

昭和4年(1929年)

フェノール樹脂塗料が開発されました。
(耐酸性、耐水性に優れています。)
日本ペイントより、フェノール系塗料「コラーゲン」が発売されました。

総合塗料メーカー「大日本塗料」日本電池(株)より分離独立し「鉛粉塗料株式会社」として創業されました。

中国塗料が電気分解槽等の設備を導入し、防汚剤として使用される高純度亜酸化銅の自家製造を開始しました。また、フェノール樹脂や酸化鉄顔料(ベンガラ)の製造など、原材料の国産化も積極的に進めました。

近鉄花園ラグビー場が開場されました。

「名古屋ゴルフ倶楽部・和合コース」が開設されました。

マンセルブックの初版が発行されました。

昭和5~9年(1930~1934年)

当時隆盛していた繊維産業と関連して合成繊維工業が発展しました。
しかし、やがて軍事産業化が進み、第二次世界大戦へと移行するに伴って、原料の入手難が深刻化し、日本の化学工業の進歩は大きく停滞しました。

昭和恐慌が起きました。東北・北海道で農業恐慌が起きました。

昭和5年(1930年)

鉛丹防錆塗料が開発されました。

日本ペイントから、「ヘルゴン」(防錆塗料)発売されました。

日本建築学会から、「漆喰壁の知識」が発行されました。

第1回サッカー・ワールドカップ が開催されました。
(参加国13か国 優勝=パラグアイ)

塗装用マスキングテープが有名なカモ井加工紙から、ハエを捕獲する「ハイトリリボン」が発売されました。

東京日本橋の三越食堂にお子様ランチが登場しました。

名古屋市千種区で「東山給水塔」が竣工しました。

名古屋市公会堂が開館しました。

エロ・グロ・ナンセンスの語が流行しました。

昭和6年(1931年)

4月 関西ペイントから、家庭用ラッカー「セルベット」が発売されました。

旭ラッカーがプリモレヂン(フタル酸樹脂塗料)製造販売開始しました。

フタル酸樹脂塗料「ボデラック」(日本ペイント)、「フタリット」(関西ペイント)が発売されました。

日本ペイント「ボデラック」、関西ペイント「フタリット」トウペ「グリプトン」大日本塗料「タイコー」が発売されました。
また、家庭用ラッカー塗料が販売され始めました。
総合塗料メーカー「ロックペイント」創業者の辻 巖氏がラッカー塗料の製造を始めました。

左官の久保田由太郎が白色セメントを噴霧状に吹付ける工法を考案し、日本初のセメント吹き付け工事の会社「ウォーガン工業所」を設立させました。
初仕事である横浜市にある横浜市大倉山記念館(大倉精神文化研究所)の新築工事で日本初となる3色からなる「斑(ふ)入り」白セメント吹付けに成功しました。それによって、吹付け工事は大いに発展しました。
これには、ウォーガン工業所のスポンサーである岩永氏、島村氏らの協力があった事は勿論ですが、郷里である熊本の第五高等学校(現在の熊本大学)や東京帝国大学を通じて岩永氏と知人が諸官庁に多数おり、(元総理大臣・池田勇人、佐藤栄作は第五高等学校の同期生)官公庁から特命指定される工事が急増した事が大きな要因です。
その後セメント吹付工事は、関東はもとより日本全国に広がり、昭和12年には満州まで広まりました。

日本建築学会から、「ヴァーニッシ(ワニス)塗装法」、「漆塗装の雑作及家具」(東京美術大学 松田権六の論説)が発行されました。

犬養毅内閣が成立しました。

ノザワから「波型スレート」・「太平板」が製造開始されました。

東北や北海道で深刻な冷害が発生しました。

名城公園ができました。

接着剤「セメダイン」が商標登録されました。

昭和7年(1932年)

3月 国産初の本格的乗用車「アツタ」号が関西ペイントのセルバで塗装されました。

「プールコート」等、特殊塗料・床用塗料で有名な「大同塗料」吉治仁代次氏によって、大阪市大正区で創業されました。

船舶用、工業用、建材用塗料を主力としたカナヱ塗料株式会社の前身である株式会社カナヱ商会として創業されました。

大日本塗料の前身である旭ラッカーから、プリモレヂン(フタル酸樹脂塗料)が製造販売開始されました。
また、硝化綿塗料の工業化に成功、「A1ラッカー」、「A2ラッカー」として発売、その他絶縁ワニス、コンパウンド類を生産開始しました。

日本車輌製造、愛知時計電機、大隈鉄工所の共同開発で、初の国産大型乗用車「アツタ号」が誕生しました。

名古屋市の中川運河が全通しました。

昭和8年(1933年)

4月10日 関西ペイントから、塩化ゴム塗料「エンガ」が発売されました。

東亜ペイントのホットベネジァン船底塗料を戦艦日向・金剛・航空母艦加賀に塗装しました。

塩化ゴム系塗料が開発されました。

「神戸ボイル油株式会社」が「東洋塗料製造株式会社」と合併し「神東塗料株式会社」を設立しました。

昭和8年以降、日本ペイント、関西ペイント、神東塗料、トウペ等といった日本の主要メーカーが、中国大陸へ企業進出しました。

大阪市立工業研究所と日本ペイントの共同研究で、尿素ホルマリン樹脂塗料が開発されました。

日本ペイントから建築用クリヤー塗料「トーメイ」、「みやび」が発売されました。

東亜合成の母体となった「矢作工業株式会社」を福澤桃介が名古屋で設立させました。

建築用塗料、合成樹脂、その他特殊樹脂を製造販売する「亜細亜工業」が創業しました。

大日本塗料の前身である旭ラッカーが、塩化ゴム塗料、外部用オイルラッカー「ペルコ」、電気絶縁塗料「アトゴーP」及び「アトゴーPS」を開発発売しました。

日本が国際連合を脱退しました。

「ロングスカート」や「ヨーヨー」が流行しました。

名古屋市市役所が竣工しました。
(名古屋市市役所は、名古屋城との調和を意識した外観です。2014年、愛知県庁と共に国の重要文化財に登録されました。)

昭和9年(1934年)

5月10日 関西ペイントから、耐酸塗料「アクノン」が発売されました。

12月25日 関西ペイントから、ドープ塗料・迷彩塗料発売が発売されました。

耐酸塗料が開発されました。

耐熱塗料・光触媒塗料メーカーである「オキツモ株式会社」(旧社名三重油脂化工株式会社)が創業されました。

大日本塗料から「タイコー」が発売されました。

東亜ペイントから、フタル酸樹脂塗料「グリプトン」が発売されました。

澤田鉄治が東京都荒川区尾久町に個人経営のイマダ商店(現、荒川塗料工業株式会社)を設立させ、酒精塗料の製造、販売を開始しました。

水谷ペイントが「電気絶縁塗料」を製造開始しました。

日本国内の各社で油変性アルキド樹脂塗料の自社製造が開始されました。

名古屋市の人口が100万人を突破しました。

現在のマンションの原型となる「同潤会江戸川アパート」が完成しました。

昭和10年(1935年)

「大信ペイント株式会社」が創業しました。

大日本塗料の前身である旭ラッカーが、「セルボンラッカー」を開発発売しました。

愛知県の溶剤メーカー「服部塗料工業所」が創業しました。

日本ペイントから電気絶縁塗料「日の丸絶縁塗料」が発売されました。

日本特殊塗料が「金属プロペラ用塗料」を開発され、陸軍航空本部より、実用に適するものと認められました。

日本国内で初めて静電塗装方式が考えられました 。
しかし、当時は適用する塗料もなく、実用化には至りませんでした。

名古屋市北区の志賀公園が開園されました。

名岐鉄道と愛知鉄道が合併して「名古屋鉄道=メイテツ」が設立されました。

女性の間で「ロングスカート」や「パーマ」が流行しました。

日進工業がセロハンテープを発売しました。

藤倉工業が海軍特注品として塗装用マスキングテープのセロハンテープを納品しました。

「鉛白」が鉛中毒の弊害によって、化粧品関係で使用する事が禁止されました。

昭和11年(1936年)

「水系VATONプラス」等が有名な、木工用塗料メーカー「大谷塗料」が創業されました。

砂壁調塗材「ジョリパット」でおなじみのアイカ工業が「愛知化学工業株式会社」として設立されました。

両手式ノズルガンを開発した塩谷洋二氏が骨材入りの厚吹き「ラフリシン」を開発しました。
現在使われている「吹付スタッコ」の先駆けと言える吹付塗材です。

名古屋金鯱軍と東京巨人軍で国内初のプロ野球試合が緑区の鳴海球場で行われました。

前畑秀子(名古屋・椙山女学校)が「ベルリンオリンピック」で金メダルを取りました。
「前畑ガンバレ!前畑ガンバレ!」というフレーズのラジオ放送は現在でも語り草となっています。

昭和12年(1937年)

3月28日 関西ペイントが岩城塗料製造(株)を合併し、水性塗料「カセイン」が製造・販売開始されました。

8月1日 海軍航空本部が航空機用迷彩塗料第1種として、関西ペイントのラッカー塗料「セルバ」を単独指名しました。

日本特殊塗料の「航空機用水密塗料」「油密塗料」「航空機用鉄鋼防錆ペイント」が海軍購買名簿に登録されました。

大日本塗料が夜光塗料の生産を開始させました。

「顔料・塗料・ 印刷インキ協会」が「色材協会」と改名しました。

アメリカのジョンマンビル社が、「カラーベスト」の市販を開始しました。

東山動植物園が開園しました。

名古屋市熱田区にて「名古屋汎太平洋平和博覧会」が開かれました。

名古屋城の金シャチの鱗が盗まれました。

新名古屋駅が竣工されました。

国鉄名古屋駅舎が新装開業しました。名古屋駅の地下には公衆浴場、理髪店や美味いもの横丁などが入居していました。地上7階建ては、当時の国会議事堂よりも大きな建物でした。

株式会社清水組、(現在の清水建設)が設立されました。清水建設の創業は文化4年(1804年)です。

名古屋の「ういろう」が全国的に発売されました。

アイカから、ユリア樹脂接着剤「愛知無敵糊」が発売されました。

商工省が日本の標準色規格を検討しましたが、結論が出ませんでした。

昭和13年(1938年)

藤倉化学工業が藤倉工業「現藤倉ゴム工業株式会社」から分離独立し、会社設立されました。
創業当時は、航空機用風防ガラス(メチルメタクリレート)、航空機用塗料等を主に生産していました。

木材塗料メーカー「大谷塗料株式会社」が創業されました。

アトミクス株式会社「西川商会」が東京都千代田区で創立されました。

岐阜県笠松町に隕石が落下しました。
笠松隕石とは、1938年(昭和13年)3月31日午後3時頃、岐阜県羽島郡笠松町の箕浦氏宅に落下してきた隕石です。
調査の結果、0.4~1.2mmの球粒を持つ古銅輝石カンラン石球粒隕石で、約50億年前のものと判明しました。

愛知県庁が竣工しました。
(帝冠洋式で有名な建物です。)

昭和14年(1939年)

塗料の生産量が10万トンを突破しました。

物価停止令が制定され、自由に塗料販売ができなくなりました。

静電塗装機が開発されました。
(戦後の家電塗装で普及し始めます。)

カナヱ化学工業株式会社が大阪市西区にてタンニン材ならびに各種染料の販売目的で、『鼎商店』として設立として設立されました。

株式会社UPG ホールディングスが「下千葉化学工業所」として創業しました。

石綿配給停止により、屋根材の強度保持の為、「厚型スレート屋根」が誕生しました。

ノモンハン事件が起きました。

NHKが有線によるテレビ実験放送を公開しました。

名古屋帝国大学(現名古屋大学)が設立されました。

無筋、竹筋コンクリートの研究が行われ始めました。

昭和15年(1940年)

電動工具(2種ケレン)の確立
人力で行われていた素地調整が、電動のワイヤーホイール・カッター等の電動工具のよる2種ケレン工法が確立しました。

東京芝浦電気(東芝)がシリコン樹脂の研究に着手しました。

家庭用塗料メーカー「アサヒペン」が「大和塗料工業所」として創業されました。

日本ペイントから防火塗料「タイカリット」(防火塗料)が発売されました。

カナダのノーマン・ブレイキーが塗装用ローラー発明し、リチャーズ・C・アダムス氏というアメリカ人の発明者がデザインを微調整し、塗装用ローラーとして、最初の特許を提出しました。

日独伊三国軍事同盟が成立されました。

昭和16年(1941年)

太平洋戦争の影響によって、能性塗料の先駆けであるラテックス・ゴムをベースとした探信防止塗装(ヘラで約8mm厚に塗装)これにより ・機偽装・迷彩塗装等が研究され始めます。

建築塗料のパテ、フィラー、シーラー類を主に取り扱うメーコー株式会社が「昭和特殊塗料(株)」として創立しました。横須賀海軍工廠専管工場として、擬装塗料の製造を開始しました。

東京芝浦電気(=現在の東芝)がシリコーン樹脂の研究を始めました。

大日本塗料が航空機用ベルヂルセルローズ塗料の研究を開始しました。

塗料に使われる白色顔料の一つ「ルチル型酸化チタン」が市販されました。
ルチル型チタンは、アナターゼ型チタンの様に、屋外暴露によって チョーキング現象(白亜化)を起こさないので、 屋外用の白色顔料にも安心して使用できる様になりました。

太平洋戦争が開戦しました。

「ぜいたくは敵だ」という言葉が流行しました。

東海銀行(愛知銀行・名古屋銀行・伊藤銀行が合併)が設立されました。

戦艦「大和」が、呉海軍工廠で竣工しました。

東京、大阪、名古屋など6都市で米の配給制度が始まりました。

歌橋製薬所(現在のニチバン株式会社)がセロハンテープを海軍の軍用航空機用(ゼロ戦)塗装マスキングテープとして納品しました。

昭和17年(1942年)

不燃塗料(亜鉛末75%に水ガラス加えたもの)が開発されました。

名古屋市西区に木部用塗料メーカー「玄々化学工業株式会社」が設立されました。

中部日本新聞(後の中日新聞)創刊されました。
(「新愛知」と「名古屋新聞」が合併)

昭和18年(1943年)

太平洋戦争の直前から始まった政府による産業統制政策によって、工場整理が行われ、日本の塗料製造工場の411カ所のうち305工場が廃止されました。
また、戦時下により、塗料の配給統制が行われました。
(昭和20年10月まで)

 
昭和19年(1944年)

建築用塗膜防水材、建築用仕上材メーカーの東日本塗料株式会社の前身である「東日本酒精塗料株式会社」が創立されました。

日本ペイント、関西ペイント、大日本塗料、東亜ペイント、日本油脂、神東塗料、6社の間で「非常災害時共助救援に関する締約」が行われました。

名古屋市中区、東区、西区から「栄区」が区分されました。

名古屋市の北区、栄区、瑞穂区が増区されました。

東京・名古屋に疎開命令がでました。

北海道洞爺湖南岸の大噴火によって「昭和新山」ができました。

昭和20年(1945年)

太平洋戦争によるアメリカの空襲によって、日本国内の塗料工場数は69カ所だけになってしまいました。
終戦後に焦土の中で再開された塗料の生産量は、わずかに1万トンでした。

東京大空襲がありました。

名古屋城が空襲により焼失しました。

太平洋戦争が終戦しました。

栄区が中区に編入されました。

名古屋市が十二区制となりました。

終戦後、ぬくもり屋が流行しました。
(焚き火の火を貸す商売・煙草の火50銭、一晩中暖まると10円)

「国民服・GHQ軍服のカーキ色」が流行しました。

昭和21年(1946年)

木工・建築木部用塗料メーカー「大阪塗料工業株式会社」が大阪にて創業され、創業者である津田正雄氏が酒精ニス製造販売業を始めました。

絵の具の総合メーカー「ターナー色彩株式会社」の前身である丸大産業株式会社が設立されました。

株式会社 塗料報知新聞社が設立されました。

酢酸ビニルエマル ション塗料、酢酸ビニル溶液重合型塗料、酢酸ビニル アクリル共重合型塗料、ビニルブチラール樹脂塗料、 塩化ビニル重合型塗料などの研究開発が始まりました。

進駐軍の造営工事が始まりました。進駐軍の造営工事では、輸入品塗材のアメリカ製「アーマーコート」、英国製「スノーセム」の刷毛塗りによる塗装工事が行われました。

無機系外壁塗材の製造・販売メーカー「恒和化学工業」が創業しました。(恒和化学工業は、2,007年にダイフレックスの子会社になりました。)

大日本塗料が蛍光サインを生産着手しました。

大日本塗料が蛍光サインを生産着手しました。

NHKラジオで「のど自慢素人音楽会」が放送開始されました。

第一次吉田茂内閣が成立されました。

たばこの「ピース」が新発売されました。

上野駅前に、外地引揚者マーケット『アメ横』が誕生しました。

大倉土木株式会社が「大成建設株式会社」に改称しました。社名に『~建設』と付けた先駆けとされています。

昭和天皇が、人間宣言を行いました。

昭和22年(1947年)

辻 巖氏(ロックペイント創業者)が個人経営にて、ラッカー性塗料の製造を再開しました。

「ABC商会」が設立されました。

「カナエ塗料」が設立されました。

塗膜剥離剤・防錆剤の製造メーカー「三彩化工株式会社」が創業しました。

愛知県の塗料メーカー「富士塗料工業所」が創業しました。

調色材「ユニラント・ハイコンク」、「ユニラント・水性コンク」が有名な横浜化成が産業用塗料の専門販売店「横浜塗料株式会社」として創立しました。

教育基本法・学校教育法が公布されました。

6・3・3学制が発足されました。

日本国新憲法が施行されました。

古橋広之進氏が、水泳「400m自由型」で、当時の世界新記録を樹立させました。

「労働基準法」・「独占禁止法」が公布・施行されました。

日本の新憲法が施行されました。

古橋広之進氏が水泳400m自由型で世界新記録を樹立させました。(フジヤマのトビウオ)

甲子園球場にラッキーゾーンが設置されました。

歌橋製薬所(現在のニチバン株式会社)がセロハン粘着テープ[登録商標「セロテープ」]、紙粘着テープ、その他工業用粘着テープの製造を開始しました。

手塚治虫氏が描き下ろし単行本『新宝島』出版しました。
40万部のベストセラーになりました。
コマ運びや物静性重視で現代マンガの原点とされています。

名古屋市千種区に平和公園が建設されました。

昭和23年(1948年)

4月、塗料業界の親睦、調査を目的とし た「日本塗料工業協会」が発足されました。
日本塗料工業協会の活動内容は、塗料工業 5 カ年計画の発表、塗料白書、 統制撤廃運動などがあり、戦後の塗料工業再建に尽力しました。

10月 社団法人日本塗料倶楽部が設立されました。

11月 塗料の統制撤廃をGHQ、政府、政党に陳情しました。

酢酸ビニルエマルション系塗料が、京都大学の岡村誠三教授の指導の下で、関西ペイントが開発しました。
(酢酸ビニルエマルション系塗料は、耐久性と耐水性に優れた壁用塗料です。)

メラミンアルキド樹脂塗料が開発されました。

漆系塗料メーカー「カシュー株式会社」(日本漆塗料株式会社)が設立されました。「カシュー」とは、食用のカシュー・ナッツの実の殻から抽出されるカシュー・ナッツ・シェル・オイルを主成分とした漆系の合成樹脂塗料の事です。漆の代用として使用されています。

建築用塗料メーカー「スズカファイン」(鈴鹿塗料)が創業されました。
鈴鹿塗料から、木工用速乾ニス「チヨライト」が発売されました。

名古屋市(現在の本社は豊明市)にて、シンナー・工業用塗料製造メーカーの「エーエスペイント株式会社」(旧朝日商会)創業されました。

ラッカー・合成樹脂塗料メーカーであるナトコ(名古屋塗料)が名古屋市瑞穂区高田町にて創業しました。

合成樹脂塗料・ラッカー等の製造メーカー「日亜ペイント」が大阪で「日亜ペイント工業所」として創業されました。

アイカ(愛知化学工業株式会社)がユリア樹脂塗料「ユーラッカー」生産開始・発売しました。

恒和化学が「ダイヤペイント」を開発しました。

名古屋市(現在の本社は豊明市)にて、シンナー・工業用塗料製造メーカーの「エーエスペイント株式会社」(旧朝日商会)が創業されました。

建設省が設立されました。

大日本塗料から、蓄光塗料及び、夜光塗料が発売されました。

日本のサマータイムが実施されました。

第1回NHK「のど自慢」が始まりました。

美空ひばりが10歳で歌手デビューしました。

プロ野球で初ナイター試合が行われました。

GHQが岸信介ら、A級戦犯19人を釈放しました。

アロハシャツ、ロングスカート、リーゼントが流行しました。

歌橋製薬所(現在のニチバン株式会社)が「セロハンテープ」をわずか1ヵ月で改良し、GHQに納品しました。
ちなみに塗装用マスキングテープの幅が12mm(約2分の1インチ)、18mm(約4分の3インチ)、24mm(約1インチ)なのは、アメリカ軍に納入した名残です。

名古屋市中川区山王に中日スタジアム(現:ナゴヤ球場)が開場しました。

消防法が公布されました。

警視庁が「110番」を設置しました。

「パステル調の色」が流行しました。

昭和24年(1949年)

大日本塗料の塩化ビニル樹脂塗料「ビニローゼ」が発売開始されました。
(塩化ビニル樹脂塗料は、金属に対する付着性、光沢が優れ、難燃性という特徴があります。)

「工業標準化法」が公布され、「JIS規格」が誕生しました。

戦後の民間住宅復興によって、「ウォーガン工業所」から独立した数多くのセメント吹付け業者の活躍が始まりました。

本格的な戦後復興の行政と共に「建設業法」が制定されました。

湯川秀樹が日本人で初めてノーベル賞を受賞しました。

名古屋市内の学童のシラミ駆除にDDT粉末を使用しました。

プロ野球がセントラルリーグ・パシフィツクリーグの2リーグに分裂しました。

GHQにより、1ドル360円の単一為替レートが設定されました。

「お年玉付き年賀はがき」が初めて発売されました。

昭和20年代後半

「セメントリシン」による吹き付け仕上げ工法が確立されました。
それ以前は、左官技術が建築外装に対応していました。
セメントリシンとは、色セメントに寒水石や白竜石などの骨材を加えた塗材の事で、リシンガンを使って吹き付け塗装します。リシンの仕上がり面は砂壁状で、模様塗料のはしりになりました。

 
1950年代前半

アクリル、ポリエステル等、各種のポリマーが展開され始めました。

 
昭和25年(1950年)

カシュー株式会社から、漆の代用塗料である「カシュー樹脂塗料」が開発されました。

日本国内の塗料生産量が8万4000トンになりました。出荷金額は、約123億円でした。

ハイソリッドラッカーが開発されました。
(ハイソリッドラッカーは、ラッカーに使用されているニトロセルロースの配合量を少なくし、その代わりに樹脂の含有量を多くした塗料の事で、通常のラッカー塗料に比べて、塗膜の硬さ、光沢と耐候性が優れています。)

日本ペイントからメラミン・アルキド樹脂塗料「オルガ100」が発売されました。

日本ペイントから、「パイラック」(ハイソリッド型硝化綿塗料)が発売されました。

関西ペイントから「ネオセルバ」・「ビニレン」・「アミラック」・「ダイヤラック」が発売されました。

中国塗料から、アミノアルキド樹脂塗料「マーブラックAL」が発売されました。

兵庫県明石市に明研化学工業が設立され、吹付リシン「エマルリシン」を開発しました。

中国塗料から、 木工芸用塗料アミノアルキド樹脂塗料「マーブラックAL」が発売されました。

「建築基準法」、「建築士法」が制定されました。

アメリカ進駐軍より、MFS規格が導入され、ポルトランドカラーセメントをベースにしたウォーターペイントが国産化される様になりました。

朝鮮特需により、経済復興が加速しました。

池田勇人蔵相が国会で「貧乏人は麦を食え」と発言しました。

1,000円札(聖徳太子の肖像)が発行されました。

住宅金融公庫が発足しました。

京都の金閣寺が、放火が原因で全焼しました。

お好み焼きが流行しました。

名古屋市人口が再度100万人突破しました。

警視庁が「パトロールカー」を導入しました。

住宅金融公庫が発足されました。

乳酸飲料「ヤクルト」、桃屋「江戸むらさき」が発売されました。

建築基準法が制定され、この中で木造住宅の外壁として「メタルラス」を用いたモルタルが規定され、モルタル外壁が普及する大きな要因になりました。

「赤などの原色」が流行しました。

昭和26年(1951年)

3月 油性塗料の統制撤廃と塗料公定価格の廃止が行われました。

酢酸ビニルアクリル共重合エマルション系塗料が開発されました。

エポキシ樹脂塗料が開発されました。
(エポキシ樹脂塗料は、耐水性、耐薬品性、耐摩耗性に優れ、金属、ガラス、木材への付着性が優れている塗料です。)

不飽和ポリエステル樹脂塗料が開発されました。

紫外線硬化塗料が開発されました。

木工塗料メーカー「サンユーペイント株式会社」(旧社名(株)三有社)が設立されました。

建築・工業用塗料メーカーである太洋塗料が東京都で創業者松本十九により、創業されました。

日本特殊塗料から、セメント瓦用塗料「スレコート」が発売されました。

スズカファイン(鈴鹿塗料)から、油性塗料「調合ペイント白」が発売されました。

水谷ペイントの床用塗料「ボウジンテックス」が発売開始されました。

水性塗料メーカー「太洋塗料」が操業しました。

大日本塗料から、「ビニローゼ#400」が発売されました。

日本ペイントから、ビニル系船底防汚塗料「ビニレックス」が発売されました。

福岡市の民家でセメント瓦屋根に塗装をして、セメント瓦塗装が初めて成功しました。

アイカがメラミン樹脂焼付塗料を発売しました。

セメント吹付工事の業界が従来踏襲してきた徒弟制度を山一装業や㈱クサノなどが改善して、時代に適応する企業体制を徐々に確立していきました。

建築・工業用塗料メーカーである太洋塗料が東京都で、創業者松本十九氏により、創業されました。

サンフランシスコ平和条約が締結されました。

プロレスラーの力道山がデビューしました。
旧国技館で、日本人初のプロレス試合(力道山対ブラウンズ)が行われました。

パチンコが大流行しました。

「プラスチック製品」が広まりました。

中部電力が設立されました。

第1回プロ野球オールスター戦が開催されました。

中日スタヂアム(現:ナゴヤ球場)で火災があり、中日スタヂアムが全焼してしまいました。
(出火の原因は、タバコの吸殻らしいです。)

民間のラジオ放送が始まりました。

明治製菓「明治ミルクチョコレート」、森永製菓「森永ミルクキャラメル」が発売されました。

昭和27年(1952年)

4月1日 関西ペイントから、ビニル船底塗料「ビエラ」(後にビニリアと改称)が発売されました。

日本の塗料生産量が98,000トンになりました。

シアナミド鉛系防錆塗料が開発されました。
(シアナミド鉛系防錆塗料は、乾燥が速く、防錆性が優れています。鉛丹より比重が軽いので塗りやすいです。)

防かび塗料が開発されました。

ビニルブチラール樹脂塗料(ウオッシュプライマー)が開発されました。

水性塗料メーカー「インターナショナルペイント」が設立されました。

塗料用専門シンナー製造メーカーである「大伸化学株式会社」が東京都港区に設立されました。

コニシが合成接着剤「ボンド」を販売開始しました。

日本塗料検査協会が設立されました。
(公的な塗料・塗膜の専門試験・検査機関)

サンユーペイントが木工用酒精ニスの製造を開始しました。

日本ペイントから、アルキド樹脂系ネービー型防火塗料「タイカリット100」、シアナミド鉛系防錆塗料「シアナミド・ヘルゴン」、ジンクロ系速乾型防錆塗料「ジンククロメート・プライマー」、塩化ゴム系薬品塗料「サルホタイト1000」、前処理塗料「ビニレックス・アクチブプライマー」が発売されました。

割れないパテでおなじみのナショペン工業株式会社が「ナショナルペイント株式会社」として設立されました。
(昭和49年、現社名に変更)

「ミクニペイント」が創業しました。
ミクニペイントから、メラミン樹脂塗料「メガミ」及び、ニトロセルロースラッカー「シールス」の製造と販売開始しました。

スチレン化アルキド樹脂塗料が開発されました。

大日本塗料から、「防火用ビニローゼ」が発売されました。

ウレタン、エポキシ‥建築用塗料を中心とした受託加工メーカーである「エビス塗料」が創業しました。

永谷園が「お茶漬け海苔」を発売しました。

プロ野球・名古屋ドラゴンズの経営から「名古屋鉄道」が撤退。「中日新聞社」の単独経営となり、3年ぶりに「中日ドラゴンズ」の名称に戻りました。

小牧空港(名古屋空港)が開港しました。

手塚治虫の漫画『鉄腕アトム』が雑誌「少年」(光文社)で連載開始されました。

マダガスカル島付近のフランス領コモロ島で、4億年前に出現した”生きた化石”シーラカンスが発見されました。

北海道、阿寒湖の「マリモ」が国の天然記念物に指定されました。

アメリカから、油性コーキング材「バルカテックス」がABC商会によって輸入開始されました。

ホンダのバイク「カブ」が発売されました。

日本で初のスーパーマーケット「京阪スーパーマーケット」がオープンしました。

JISが「JISZ8701 XYZ表色系による表示方法」を制定しました。

JAFCA(日本流行色協会)が創立されました。

昭和28年(1953年)

シリコン樹脂耐熱塗料が開発されました。
その後、シリコーン変性アルキド樹脂、シリコーン変性ポリエステル樹脂、シリコーン変性アクリル樹脂‥が塗料化され、現在ではフッ素樹脂塗料に次ぐ、高級塗料として、建築外装、橋梁、屋外タンク‥に広く使用されています。

東日本塗料から、塩化ビニール樹脂塗料「ビニコート」を電気化学工業との共同研究により開発、市販開始しました。

「日本塗料工業史」が発刊されました。
約 1,300 ページに及ぶ日本塗料工業史の内容は、 明治・大正・昭和初期の塗料、塗装事情を知る上で大変貴重な資料と言えます。

日本ペイントから、アルキド樹脂系ノンチョーキング型船舶用塗料「CRマリンペイント」が発売されました。

建築床材料メーカー「美州興産株式会社」が創業しました。

三彩化工の不燃性塗膜剥離剤 「ネオリバー」が、国鉄の道規格審議会に於いて標準化されました。

エアゾール塗料が開発されました。(スプレー缶塗料)

山本窯業化工が砂粒状陶磁器利用による外壁材「セラストン」(大理石モザイク)を考案し、特許を取得しました。

信越化学工業からシリコーン素材が販売されました。

水谷ペイントから厚型セメント瓦塗装用の塗料「ポリマ♯6000」が発売されました。

日本で初めて鋼管枠足場が使われました。アメリカのビティスキャフォールド社が日本に鋼管足場を導入しました。

テレビの本放送が開始しました。

東京都内に赤色の公衆電話が登場しました。

NHK、東京地区でテレビ本放送を開始しました。

日本テレビ、民放初のテレビ放送を開始しました。

NHK、「紅白歌合戦」が放映されました。

大相撲のテレビ中継が始まりました。

日本国内で初の噴流式洗濯機が発売され、「電化元年」を迎えました。

10円硬貨が発行されました。

日本初の分譲マンション「宮益坂ビルディング」建てられました。

昭和29年(1954年)

6月30日 ペイントが米国カララミックコーティングス社と多彩模様塗料(ゾラコート)の技術導入を契約しました。
その後ゾラコートは、建築塗装の高級塗装仕上げとして大きく流行しました。

日本の塗料生産量が131,000トンになりました。

焼き付け型カラートタン用アルキド樹脂塗料が開発されました。

関西ペイントが米国カララミックコーティングス社と多彩模様塗料(ゾラコート)の技術導入を契約しました。
その後ゾラコートは、建築塗装の高級塗装仕上げとして大きく流行しました。

受注生産専門の塗料メーカー「茨木塗料株式会社」が設立されました。

中国塗料が長期暴露用ウォッシュプライマー「エバボンド」を発売しました。

水溶性アルキド樹脂塗料が開発されました。

田島ルーフィングが屋根葺材「アスファルトシングル」を製造開始しました。

日本で初めて単管足場が東京都大手町の東京産業会館(株式会社竹中工務店の設計施工による)で使われました。

名古屋のテレビ塔が完成しました。
(人海戦術による超突貫工事で、わずか9か月で完成させました。すごい!!ちなみに現在テレビ塔は、7年に1回塗り替え工事を行っています。)

映画「ゴジラ」が公開されました。

電気洗濯機が急速に普及されました。

ヒロポン中毒が大きな社会問題になりました。
昭和29年の検挙者は55,000人を超え、潜在的な乱用者は五十五万人、ヒロポン中毒による障害者は二百万人と推定されていました。

シーリング材ペンギンシールで有名な「サンスター技研」が設立されました。

力道山などの影響でプロレスブームが起こりました。

中日ドラゴンズが初めてプロ野球の日本シリーズで優勝しました。

クリスチャン・ディオールが「Aライン」と「Yライン」を発表しました。

アネスト岩田株式会社(岩田塗装機工業)から、吹付塗装機器「エアレスユニット」が発売されました。

日本塗料工業協会が「塗料用標準色見本」の初版(156色)を作成しました。

ABC商会から、「カラクリート」が発売されました。

昭和30~40年頃

従来の左官職から吹き付け塗装を専門とする「ガン屋」、「吹き屋」という新たな職業が生まれました。

外装用塗料としては、セメントウォーターペイントの対抗品として合成樹脂エマルションペイントが使用されるようになりました。

ドイツで実績のあった酢酸ビニル樹脂エマルションや、耐候性の良いスチレンアクリル樹脂エマルションも使用され始めました。

乾性油を用いた油性調合ペイントに代わって、合成樹脂を用いた長油性フタル酸樹脂塗料(合成樹脂系調合ペイント)が防食塗装の中塗・上塗に使用される様になり、防食塗装の耐候性が飛躍的に向上しました。

国内の塗料メーカー各社が苦心して研究して、モルタル用シーラーが開発されました。
樹脂系では環化ゴム樹脂系、塩化ビニル樹脂系、アクリル樹脂系等が登場しましたが、 環化ゴム樹脂系シーラーの耐アルカリ性が特に優れていました。
こういったモルタル用シーラーの開発によって、外壁塗装の品質が大きく改善されました。

 
昭和30年(1955年)

5月 大日本塗料でシリコンエナメルを製造開始しました。また、ポリエステル樹脂塗料が販売開始されました。

9月1日 関西ペイントから、多彩模様塗料「ゾラコート」が発売されました。

10月 大日本塗料がX線防御塗料を開発しました。

11月 大日本塗料から、ポリエステル樹脂塗料が販売開始されました。

エアレス塗装が実用化され始めました。

総合建築塗料メーカーである「エスケー化研」が、「四国化学研究所」として創業されました。創業時は、廃溶剤の再生と建築用下塗材の生産から始めました。
現在の「リサイクル」事業の先駆けとなる企業でした。

ジンクリッチ塗料メーカー「ローバル株式会社」が創業されました。

外壁塗材メーカーであるフジワラ化学株式会社が創業されました。

日本国内の塗料生産量が15万3000トンになりました。出荷金額は、約261億円でした。
この頃から日本が高度成長期に入り塗料の生産量が飛躍的に増えてきました。

日本塗料検査協会が「塗料及び印刷インキの試験・検査を行う第三者機関」として通商産業大臣から認可されました。

大関化学が「大関化学研究所」として創業しました。

塩化ビニル樹脂プラスチゾル塗料が開発されました。

日本ペイントから、ビニレックス5000(醋酸ビニル系エマルション壁塗料)、ラッカーニッペ1000及び2000(硝化綿塗料)、が発売されました。

鈴鹿塗料(現在のスズカファイン)から、合成樹脂エマルション塗料であるスズレン#500、#1000、#3000が発売されました。

日本塗料検査協会が設立されました。

富士特殊塗料が「黒板用塗料」を作りました。

関西ペイントから、長油性アルキド樹脂塗料「SD調合ペイント」が発売されました。

日本でアスファルトシングル屋根が初めて使用されました。

トヨタ自動車が「クラウン」を発売しました。

住宅公団法が公布されました。(日本住宅公団の発足)

第1回名古屋まつり開催されました。

ラジオ東京(現・TBS)がテレビ局を開局しました。

アメリカの映画俳優「ジェームズ・ディーン」が24歳で交通事故で亡くなりました。

「マンボスタイル」が流行しました。

第1回「名古屋まつり」が開催されました。

石橋信夫が大和ハウス工業を創業し、創業商品「パイプハウス」を発売しました。

セキスイハウスA型(平屋建)が発売されました。

日本初の本格的ジェットコースターが東京都・後楽園遊園地にできました。全長は1,500mで、最高時速は55kmでした。

日本国内で「アスファルトシングル」の屋根材が使われ始めました。

昭和化工から油性コーキング材「エバーシール」が発売開始されました。

昭和31年(1956年)

日本の塗料生産量が196,000トンになりました。

2液型ポリウレタン樹脂塗料が開発されました。
その後、1液型ポリウレタン塗料、油変成ウレタン塗料などが多くのウレタン塗料が開発されています。

山本窯業から、多彩色砂壁模様の吹付け塗材「セラスキン」が開発発売されました。

ミクニペイントから、西ドイツのバイエル社の技術協力によって、ポリウレタン系塗料「ポリデュール」が発売されました。
(ポリウレタン系塗料は、可とう性、耐候性、耐水性、耐薬品性、耐油性に優れている‥と言った特徴があります。)
こういった理由から、ポリウレタン塗料は、建築用、自動車補修用、工業塗装用などの高級塗料として、現在でも広く使われています。

鈴鹿塗料(現在のスズカファイン)から、内部用アルキド塗料である、「Sコート」が発売されました。

塩化ビニル樹脂エマルション塗料が開発されました。

水谷ペイントから床用塗料「ボウジンテックス」が発売開始されました。

日本ペイントから、ポリエス(ポリエステル樹脂塗料)、ネオジン(水硬化性防錆塗料)が発売されました。

寿化工株式会社が創業しました。

名古屋塗料株式会社(現在のナトコ)が合成樹脂塗料及びラッカー塗料の専門メーカーに転換しました。

日ソ共同宣言が行われました。

名古屋市が政令指定都市になりました。

日本添加剤工業から油性コーキング材「ファインシール」が発売開始されました。

日本住宅公団が初の入居者募集開始。同年5月1日に千葉県稲毛団地で入居が開始されました。

名古屋市北区に中部地域初の公団住宅「志賀団地」が造成されました。現在は、「アーバンラフレ志賀」です。

石原慎太郎の小説を原作とした日活映画『太陽の季節』が公開されました。同作で慎太郎の弟の石原裕次郎が俳優デビューしました。

中日ドラゴンズが球団創設20周年を迎えました。

日本初のコカ・コーラ製造会社「東京飲料」が創立されました。

セキスイハウスでアルミサッシが採用されました。

愛知県犬山市に日本モンキーセンターが開園しました。

名古屋三越(当時オリエンタル中村)の屋上に観覧車が設置されました。(2005年まで稼働していました。現存する最古の屋上観覧車です。国の有形文化財)

1955~1965年(昭和30年代)

川上塗料が「ネオアルキコート」などを発売しました。

藤倉化成が日本電信電話公社(現在のNTT)通信研究所との共同開発による導電性ペースト「ドータイト」を発売しました。

 
昭和32年(1957年)

東日本塗料から、西ドイツバイエル社の技術協力によって作られた2液型ポリウレタン樹脂塗料「ウレコート」が販売されました。

エアレス塗装機が国産化されました。

放射線防御塗料が開発されました。

サラセーヌシリーズで有名な、AGCポリマー建材が「科研塗料株式会社」として創業しました。

日本ペイントから、放射線防御用塗料「RIRペイント」が発売されました。

シンナーの製造メーカー三協化学株式会社 が名古屋で設立されました。

2‐ブチルアルコール、イソプロピルアルコール、アセトンが生産され、ナフサ の熱分解よって、エチレン、プロピレン、ベンゼン‥が作られる様になりました。

名古屋市に地下街が誕生し、地下鉄が開通しました。

コカ・コーラが日本での販売を開始しました。

旧ソ連が世界初の人工衛星「スプートニク号」の打ち上げに成功しました。

5,000円札が登場しました。

NHK、日本テレビがカラーテレビの実験放送を開始しました。

「名古屋駅前地下街」(現:サンロード)が開業しました。

大阪市に「主婦の店ダイエー」が開店しました。

「家出」が社会問題になりました。

「カリプソ・スタイル」流行しました。

「Gパン」が国内で見られる様になりました。

名古屋市守山区(当時は守山市)の「小幡緑地」が開設されました。

名古屋市名東区(当時は千種区)の「牧野が池緑地」が開設されました。

昭和33年(1958年)

日本の塗料生産量が210,000トンになりました。

関西ペイントから、エマルション塗料「ビニデラックス」が発売されました。

日本ペイントから、水中構造物用防錆塗料「ヘルゴン」が発売されました。

中国塗料からポリウレタン塗料 「ポリウラック」が発売されました。

アイカがアミノアルキド樹脂塗料「アイラック」を発売しました。

塗装下地剤、塗膜用研磨剤、塗料の添加剤を製造する株式会社ソーラーが「日米化学工業株式会社」として神戸にて創業しました。

塗装下地メーカー「株式会社ソーラー」が創業しました。

2成分形ポリサルファイドシーリング材が日本国内に初めて輸入されました。

東京タワーが竣工されました。

巨人・長嶋茂雄選手がプロ野球デビューしました。

「チキンラーメン」が発売されました。

10,000円札が登場しました。

ロカビリーやフラフープが流行しました。アサヒビールが日本初の缶ビール「アサヒビール」を発売しました。

名古屋の寿がきや3号店が「女性センター(女性専門店)」としてオープンしました。ちなみに女性専門店は、1990年代中頃まで存在し、最大8店舗運営されていました。

東京の百貨店で初めての「バレンタインセール」が実施されました。

「フラフープ」が大流行しました。

「名古屋空港」が開港しました。

レモンやライムをイメージした「ビタミンカラー」が流行しました。

アサヒハケ株式会社がアサヒ刷毛製作所として創業し、塗装用刷毛の製造販売を開始しました。

神奈川県が「塗装発祥の記念碑」を横浜市元町公園内に建立しました。

昭和34年(1959年)

アクリル樹脂塗料が開発されました。

タールエポキシ樹脂塗料が開発されました。
(エポキシ樹脂塗料よりも耐水性、耐酸性が向上し、可とう性、付着性にも優れた塗料です。)

「キクスイ ロイヤルシリコン」・「水系ファインコートシリコン」が有名な名古屋の建築塗料メーカーである「キクスイ」創業しました。

蛍光塗料メーカー「シンロイヒ株式会社」大日本塗料から分社化され「大日本シンロイヒ株式会社」として設立されました。

株式会社 左官用壁材料メーカー「フッコー」(旧社名:東京福幸壁材工業)が操業されました。

ABC商会から、日本初のエポキシ樹脂系塗り床材「ケミクリートE」が発売されました。

関西ペイントから、ポリウレタン樹脂塗料「レタン」が発売されました。

伊勢湾台風が襲来しました。

「名古屋城天守閣」が再建されました。

明人親王と正田美智子さんの結婚パレードが行われました。

「少年マガジン」「少年サンデー」が創刊されました。

「鉄腕アトム」・「鉄人28号」・「エイトマン」が放映開始されました。

松下電器産業と松下電工の出資により、ナショナル住宅建材設立されました。

明星食品が「チャルメラ」を発売しました。

「カミナリ族」が社会問題になりました。

「合コン」のルーツ、男女合同ハイキング「合ハイ」が東京を中心に大学生間で流行しはじめました。

JISから、「JIS標準色票」が発行されました。

平成天皇・皇后両陛下の御成婚にちなんだ「慶祝カラー」が流行しました。

昭和30年代後半

セメントスタッコ厚付仕上げ・セメントタイル仕上げ等、複層仕上げ工法が確立されました。

 
昭和35年(1960年)

6月1日 関西ペイントから、「カンペ家庭塗料」シリーズが発売されました。

11月15日 関西ペイントから、缶用塗料「カンコート」の生産が開始されました。

日本の塗料生産量が340,000トンになりました。

外壁塗装で、セメントリシンが普及する様になってきました。
日本住宅公団が外装材にセメントリシンを採用した為、セメントリシンの需要は大きく伸びました。
その後、セメントリシンの欠点を改良したアクリルリシンが普及しました。
セメントリシンとは、色セメントに寒水石や白竜石等の骨材を加えた塗材で、リシンガンで吹き付け塗装したものです。仕上がりは砂壁状で、外壁の模様塗装の先駆けと言えます。

牛革をなめす道具が塗装用に改良され、「皮スキ」として使われる様になりました。
その後、大阪の「源邑光北野刃物製作所」がそれまでの皮スキを改良し、「Y型皮スキ」を製造しました。

アクリルエマルション系塗料が開発されました。
その後、熱硬化性アクリル樹脂塗料の研究が進められました。

日本ペイントから、オーデラック(水溶性アルキド樹脂塗料)、ビニゾール(塩ビゾル塗料)、ビニレックス5000スーパー(アクリル系エマルジョン壁塗料)が発売されました

恒和化学の「ダイヤリシン」が日本住宅公団(現:独立行政法人都市再生機構)の指定材料になりました。

    

NHKなど六局がカラーテレビの本放送を開始しました。

松下電器産業と松下電工の出資により、ナショナル住宅建材が設立されました。

クレジットカードが使われ始めました。

閣議により、「国民所得倍増計画」が正式決定されました。

名古屋名物の味噌煮込みうどん店「山本屋本店」が設立されました。

住友スリーMが2成分型ポリサルファイドシーリング材「ウェザーバンシーラー」を輸入しました。

丸美屋のふりかけ「のりたま」が発売されました。日本国内で初めてクレジットカードが登場しました。

三洋電機と松下電器産業(現・パナソニック)が国産初の「二層式脱水乾燥洗濯機」を発売しました。

呉羽化学の「クレラップ」、旭化成の「サランラップ」が発売されました。

昭和36年(1961年)

アニオン電着塗装が開始されました。(米)

JISA5751(建築用コーキング材)が制定されました。

玄々化学工業からポリウレタン樹脂塗料から発売されました。

中央ペイントから、日本初のエマルションパテ「WDパテ」が発売されました。

防水リシンの住宅公団指名業者が、恒和化学工業、共立窯業セメント、秩父コンクリート、ノセコート、合同特許建材、明研化学の6社になりました。

シンロイヒが高性能蛍光塗料「スーパールミノサイン」を開発しました。

太洋塗料が厨房機器に対する「結露防止用塗料」を開発しました。同年、合成樹脂エマルション塗料、調合ペイント類が日本住宅公団の指定品となりました。

中央ペイントから、 エマルションパテ「WDパテ」が発売されました。

久保田鉄工(株)がマンビル社と技術提携事によって、コロニアル屋根を製造開始しました。

「ポリバケツ」が普及し始めました。

トミーの「プラレール」が発売開始されました。

名古屋の寿がきやが日本で初めて「スープのもと」に使われる粉末即席化に成功しました。

少年少女に睡眠薬遊び流行し、「ラリる」という流行語ができました。
因みに「ラリる」とは、睡眠薬やシンナーによって、意識が朦朧状態になり、呂律が回らなくなり、「ラリルレロ」の発音が怪しくなる事等が語源となっています。

昭和37年(1962年)

4月 関西ペイントから熱硬化性アクリル樹脂塗料「マジクロン」、水溶性塗料「アクアゾール」、アクリルラッカー「アクリック」が発売されました。

日本の塗料生産量が439,000トンになりました。

エポキシジンクプライマーが開発されました。

東海道新幹線用アクリル樹脂塗料が開発されました。

木工金属下地用ポリウレタン樹脂塗料が開発されました。

メーコーが建築用下地調整材「メーコーパテ」を開発しました。

日本ペイントから、タールエポキシ系重防食用塗料「エポタール」、壁用スチレンブタジェン系エマルション塗料「ビニレックス7000」が発売されました。

日本ペイントから、ピロックス(家電用エアゾールラッカー)、ポリウレ(木工・金属下地用ポリウレタン樹脂塗料)、スーパーラック(自動車上塗補修用アクリル樹 系[樹脂系]ラッカー型塗料)が発売されました。

名古屋放送(現・名古屋テレビ放送(メ〜テレ))が開局しました。

大正製薬「リポビタンD」が発売されました。

1964年に東京オリンピックが開催されることにともなって、建設需要が高まり、オリンピック景気となりました。

東京都が世界初の1,000万人都市になりました。

名古屋市科学館ができました。

「ツイスト」が流行しました。

カモ井加工紙株式会社から、「紙粘着テープ」が販売開始しました。

ALCパネルの製造技術が1962年に西ドイツから日本国内に技術導入されました。

サンスター技研が「建築用シーリング材ベタシール169」を開発しました。

「ジャニーズ事務所」が創業しました。

名古屋市科学館が開館しました。

冷たいトーンのパステルカラー「カラーシャーベットトーン」が流行しました。

昭和38年(1963年)

アクリル系メタリック塗料が開発されました。

屋根用塗料メーカー「オリエンタル塗料」が創業しました。

カラートタン用アクリル樹脂塗料が開発されました。

AGCコーテックの前身となる「ボンタイル株式会社」が設立されました。

メーコーが建築用下地調整材「メーコーパテ」を発売しました。

エポキシ樹脂とコールタールを組み合わせたタールエポキシ樹脂塗料が頻繁に使用される様になりました。

ヒヨコペイント株式会社が創業しました。

シンロイヒが世界初トリチウム夜光塗料「アトムロイヒ」を開発しました。

日本ペイントから、エポタール(タールエポキシ系重防食用塗料)、ビニレックス7000(スチレンブタジェン系エマルション壁塗料)、スーパーラック自動車用メタリック(サーモセッティング型アクリル樹脂塗料)が発売されました。

2成分形ポリサルファイドシーリング材、1成分形シリコンシーリング材が日本国内で初めて製造されました。

黒四ダムが完成しました。

ケネディ大統領が暗殺されました。

ハウスから「バーモントカレー」が発売されました。

フマキラーから電気蚊取器「ベーブ」が発売されました。

力道山が暴力団員に刺されました。

第1次マンションブームが起こりました。

「ナショナル住宅建材株式会社」が(現在のパナホーム)設立されました。

横浜ゴムから『ハマタイト(SC-500シリーズ)』 (2成分形ポリサルファイドシーリング材)が 発売されました。

守山市が名古屋市へ編入され、名古屋市守山区になりました。

愛知郡鳴海町が名古屋市に編入され、緑区になりました。

名古屋市緑区に「大高緑地公園」ができました。

東亞合成が瞬間接着剤「アロンアルフア」を製造開始しました。

昭和39年(1964年)

日本の塗料生産量が574,000トンになりました。

「ボンタイル」西ドイツ・クノール社より、技術導入したセメント系無機釉薬工法を基本にして、複層吹付タイル塗材「ボンタイル」の開発製造を開始しました。
ボンタイルは、その後のJIS A 6910複層模様吹付材の基本となる塗装仕様として活かされました。

三井石化産資株式会社が設立されました。

日本ペイントから、ハイビルドR(塩化ゴム・ハイビルド型防錆塗料)、コポン(エポキシ樹脂系重防食塗料)、電着用塗料(ポリエステル樹脂系)、ロードライン(常乾型道路標示用塗料)、ニッペジンキ(重防食用亜鉛末塗料)が発売されました。

武田薬品工業においてにシロアリ防蟻塗料「キシラモン」の輸入販売が開始されました。

防食塗料メーカー「ビーオーケミカル株式会社」が設立されました。

AGCポリマー建材から、(当時は、科研塗料株式会社)ウレタン塗膜防水材「ウレシール」が発売されました。

パテ専業メーカー「関西パテ加工」が創業しました。

株式会社新出光の創業者出光弘氏が「石炭から防食塗料を創る」というユニークな発想でビーオーケミカル株式会社「三池膨潤炭工業株式会社」を設立させ、膨潤炭ワニスの製造を始めました。

太洋塗料が10年以上の歳月をかけ開発した水系木材防腐塗料「ウッドスキンコート」が発売されました。

1成分形ブチルシーリング材が日本国内で初めて製造されました。

建築塗料と塗装の歴史の一部である 東京オリンピックが開催建築塗料と塗装の歴史の一部である 東京オリンピックが開催されました。

車両塗料と塗装の歴史の一部である 東海道新幹線が開通 東海道新幹線が開通しました。

シャープとソニーがそれぞれ電卓を発売開始しました。

「みゆき族=銀座アイビー」が流行しました。

「グランスパー長島温泉」(レジャーセンター)営業開始しました。

カモ井加工紙株式会社から、クラフト紙を基材にした「クラフト粘着テープ」発売されました。
(クラフト粘着テープは、布テープが普及するまで、建築塗装工事で、養生テープとして使われていました。粘着力は強いのですが、剥がしづらく、重ね貼りができないので、現在ではあまり使われていません。)

東京オリンピックにちなんで「オリエンタルカラー(日本古来からある伝統的な配色)」が流行しました。

昭和40年~45年(1964年~1970年)

建築塗装工事で、ウールローラーによる塗装が普及され始めました。昭和40年当時は、塗装技能者からかなりの抵抗を受けました。

「塗装技能の活かせるのは刷毛のみ。」、「刷毛はプロの職人が使うもので、ローラーは素人が使うもの。」、「刷毛目は良いけど、細かいさざ波模様はダメ。」などと言ったベテラン塗装職人の声が強くありましたが、刷毛塗りの技能にこだわらない若い塗装職人がローラー塗装に飛び付きました。高度成長の波に乗って、建築物の塗装面積が増えた事も、ローラー塗装が普及する一因になりました。

カラートタン用アクリル樹脂塗料が開発されました。

昭和40年代初旬 高度成長期に伴い、高層建築物が増える事によって、油性コーキングから弾性シーリング材へとシーリング材のニーズが変わってきました。

昭和40年(1965年)

大同塗料から、「プールコート」が発売されました。現在「プールコート」は、国内のプール用塗料の80%を超えるシェアを確保しています。

大同塗料から、プール専用塗料「プールコート」が発売されました。現在「プールコート」は、国内のプール用塗料の80%を超えるシェアを確保しています。

現材の日本建築仕上材工業会 の前身である防水リシン工業会が設立されました。(昭和41年 日本防水リシン工業会に改称しました。)
その後、セメント系塗材は品質の不具合が多く生じ、外装用塗材としての性能に限界があった事から、セメント系塗材は、徐々に衰退していきました。

工場での鋼構造物の塗装にエアレススプレーが使われる様になってきました。
(但し、現場塗装の場合は、施工環境等の制約があり、現在でも刷毛塗りやローラー塗りが主です。)

「アイビーブーム」が起こりました。

日本テレビ系で「11PM」放送開始されました。

「ピンク映画」が盛んに制作されました。

国民総生産が世界第5位となりました。

大塚製薬から「オロナミンC」が発売されました。

愛知県犬山市に「明治村」ができました。

アイビー・スタイルが当時の高校生から大学生の間で流行しました。

「トリコロール配色」が流行しました。

昭和41年(1966年)

日本の塗料生産量が675,000トンになりました。

大日本塗料より、家庭用塗料メーカー「サンデーペイント」が分離独立しました。サンデーペイントの「サンデー」とは、日曜大工やDIYが、世間一般に定着する事を願って、現在の社名が付けられました。

「神戸ペイント株式会社」が創立されました。

アクリルシーリング材が日本国内で初めて製造されました。JISA5751 (建築用コーキング材)が改正されました。

日本特殊塗料から、屋根用塗膜防水材「プルーフロン」が発売されました。

スズカファインから、エマルション系吹付模様塗料「ラフトン内部用」が発売されました。

日本ペイントから、水性つやあり多目的塗料「ニッペホームペイント・ゴールド」発売、カラートタン用スーパーラックFシリーズ、パワーコート(アニオン型電着用塗料)が発売されました。

船舶用塗料、重防蝕塗料、景観用塗料を主に製造する「神戸ペイント」が創立されました。

中国塗料から、塩化ゴム樹脂系塗料「ラバックス」が発売されました。

世界初のアクリルウレタン樹脂塗料としてイサム塗料の「ハイアート」が発売されました。
(アクリルウレタン樹脂塗料は、アクリルポリオールを主剤としたウレタン塗料で耐候性に優れています。)

ミクニペイントが英国ICI社の技術協力を得て、ポリウレタン樹脂塗料の重防食塗料P/D「ロメンコート」を開発しました。

日本国内で初めてアメリカのペンウォルト社によるフッ素樹脂塗料「カイナー 500」が登場しました。

ABC商会から、「ウォールコートS」が発売されました。

日本の総人口が1億人を突破しました。

名古屋市中区栄に中日ビルができました。

日本テレビ系の演芸番組「笑点」が放送開始されました。

ビートルズが来日しました。
(6月30日から3日間。日本武道館で公演)

ミニスカート普及

名古屋近鉄ビルが竣工されました。

遊園地「ナガシマスパーランド」が営業開始しました。

江崎グリコ「ポッキー」、亀田製菓「柿の種」が発売されました。

大塚刷毛が塗装用ローラーブラシの開発に成功し、「マルテー刷毛ローラー製造株式会社」が設立されました。

昭和42年(1967年)

日本の塗料生産量が802,000トンになりました。

無機系ジンクリッチプライマーが開発されました。

日本ペイントから、エバーライン(熱溶融型道路標示用塗料)が発売されました。

水性塗料、遮熱塗料を製造する建築塗料メーカー「埼玉ペイント」が創業されました。

公害対策基本法が制定されました。

大阪塗料から、昭和42年10月に油変性ウレタン樹脂床用塗料「ライトレックス」が発売されました。

水性塗料メーカーの「埼玉ペイント株式会社」が埼玉県川口市で設立され、建築用合成樹脂エマルション塗料及び接剤の製造を開始しました。

日本建設吹付協会が設立されました。

恒和化学の「ダイヤマスチック塗料」が日本住宅公団の指定材料になりました。

中国塗料から、無機系ジンクリッチペイント「ガルボン」が発売されました。

塗装用「マスカー」で有名な吉野化成が創業しました。

大相撲の高見山が初の外国人関取(十両)に昇進しました。

小笠原諸島が日本に復帰しました。

「ゴーゴー喫茶」や「アングラ酒場」が盛況しました。

「フーテン族」が話題になりました。

ミサワホーム株式会社が設立されました。

「グループサウンズ」がブームになりました。

「モッズルック」・「イエイエ族」が流行しました。

青少年の間で「シンナー遊び」が流行して、社会問題化しました。

昭和43年(1968年)

大日本塗料が、業界初の非水性エマルション塗料の実用化に成功させました。

大日本塗料から、無変色ポリウレタン樹脂塗料「Vトップ」が発売されました。

日本ペイントから、パウダックスV(ビニル樹脂系粉体塗料)、スーパーラックSシリーズ(カラートタン用シリコンエステル)、ナイトライン(加熱型道路標示用塗料)が発売されました。

関西ペイントが感光硬化塗料の開発成功を発表しました。

日本特殊塗料が瓦用塗料「九重」を発売しました。

電子線硬化塗料が開発されました。

ミクニペイントが英国ICI社の技術協力を得て、ポリウレタン樹脂塗料の重防食塗料P/D「ロメンコート」を開発しました。

週刊少年ジャンプが創刊されました。

GNPが世界2位になりました。

「3億円事件」が起きました。

「サイケデリックファッション」が流行しました。

大塚食品が「ボンカレー」を発売しました。

愛知県春日井市に高蔵寺ニュータウンができました。(藤山台集合住宅入居開始)高蔵寺ニュータウンは、日本で二番目に古い大規模ニュータウンで千里・多摩と並ぶ黎明期のニュータウンの一つです。

「ヒッピースタイル」が流行しました。

日清食品「出前一丁」、サンヨー食品「サッポロ一番みそラーメン」大塚食品工業「ボンカレー」、明治製菓「カール」が発売されました。

「DICカラー」の初版が発行されました。

メキシコオリンピックにちなんでビビッドで陽気な色調の「メキシカンカラー」が流行しました。

昭和40年代中期

複層塗材E(アクリル系吹付けタイル)、複層塗材RE(水系エポキシタイル)が開発されました。
合成樹脂エマルションの吹き付け塗材で先行した塗料メーカーは恒和化学工業(現在のダイフレックス)、鈴鹿塗料(現在のスズカファイン)、菊水化学工業、山本窯業工業、四国化研(現在のエスケー化研)などと言った戦後に誕生した塗料メーカーでした。

 
昭和44~45年(1969年~1970年)

日本住宅公団が塗料メーカー5社(恒和化学工業(現:ダイフレックス)、神東塗料、関西ペイント、トウペ、日本ペイント)と塗装工事の省力化を目指した「マスチック工法」を確立させました。

 
昭和44年(1969年)

フッ素樹脂塗料が開発されました。

ガラスフレーク塗料が開発されました。

JISA5754・JISA5755が制定されました。

7月 日本ペイントから、ニッペアクリル(アクリル樹脂自動車補修用ラッカー)
ハイラバー(塩化ゴム系建築・鉄骨用塗料)が発売されました。

大阪塗料から、昭和44年10月に強力ヤニ止ウレタンシーラー「ウルトラックZ-3」が発売されました。

亜細亜工業が吹き付けタイル「アルトンE」を販売開始しました。

中国塗料から、上塗り用ポリウレタン塗料「ユニマリン」、コンクリートパネル型枠合板の離型用塗料「合板用パネクリート」が発売されました。

日本ウレタン防水協会(現在の日本ウレタン建材工業会)が東京都港区西新橋にて発足されました。

吹付材・左官仕上材メーカーであるヤブ原産業株式会社が東京都文京区にて設立され、クレーター吹付タイル「モザイクコート」発売されました。
(クレーター吹付タイルとは、月面のクレーターの様な丸い凹凸になる吹付塗材です。最近ではほとんど見かける事がありません。)

カチオンタイト等を製造する建築仕上材メーカー「ヤブ原産業株式会社」が設立されました。
同年、同社からクレーター吹付タイル「モザイクコート」が発売されました。

東名高速道路が全線開通しました。

アポロ11号が人類初の月面有人着陸を果たしました。

TBS系バラエティ番組「8時だョ!全員集合」 ・フジテレビ系のテレビアニメ「サザエさん」放送開始されました。

愛知音楽エフエム放送(現FM AICHI)開局しました。

名古屋市の人口が200万人を突破しました。

手動のシーリング用混練機が発売されました。

名岐バイパスが開通しました。

パンタロンが流行しました。

日本初のホームセンター1号店「ジュンテンドー」島根県益田市にできました。

黄、紫、ピンク、黄緑、蛍光色などの官能的な「サイケデリックカラー」が流行しました。

昭和45年(1970年)

7月6日 関西ペイントが松下電工と共同研究した無機質塗料(バイタル)の開発成功を発表しました。

日本ペイントから、マイカス(雲母状酸化鉄系防食塗料)、NAD塗料(NAD型アクリル樹脂系自動車用)が発売されました。

鈴鹿塗料(現在のスズカファイン)から、吹付け塗材である、「ラフトンクレーター(月面模様)」、「スズカリシンL・M・R」、「ラフトンジュラク」、「スズカジュラクS・R」が発売されました。
因みにラフトンとは、「ラフ アンド トーン」という英語を略して命名されているそうです。

塗料生産量が106万トンを突破しました。

シンナーの製造販売メーカー「北港化学株式会社」が設立されました。

イサム塗料が、日本国内で初めてウレタンゴム外壁防水材「イサムタイルUG」を製造販売しました。

亜細亜工業がプール専用塗料を開発しました。

JIS A 6907 (化粧用セメント吹付材)が制定されました。

塗料と塗装の歴史の一部である 大阪 日本万博博覧会大阪で日本万博博覧会が開催されました。

2成分形ポリウレタンシーリング材が日本国内で初めて製造されました。

「日航機よど号ハイジャック事件」が起きました。

ケンタッキーフライドチキンが名古屋(ダイヤモンドシティ名西店)に第1号店を開店させました。

ノザワから「アスロック」が販売開始されました。あま市が(旧甚目寺町)が「刷毛の生産地、日本一」になりました。

愛知青少年公園が開園しました。

トミーから、ミニカー「トミカ」が発売されました。

2成分型のシーリング用混練機が発売されました。

金属サイディング・屋根メーカーのアイジー工業が設立されました。

自然志向のオフホワイト、アイボリー、ベージュ‥と言った「ナチュラルカラー」が流行しました。建物の色にも、アイボリーやベージュが使われる様になってきました。

昭和40年代後半

外装トップコートのアクリルウレタン樹脂エナメル塗料が普及し始めました。

複層塗材Eが普及し始めました。

複層塗材REが普及し始めました。

複層塗材RSが普及し始めました。

シリカ系(ケイ酸質、無機高分子)塗料が開発されました。

塗料メーカー各社でNAD系塗料が開発される様になりました。
NADは、樹脂の分子量を高分子化できる為、高品質の塗膜を得る事ができ、しかも環境にも優しいことから、現在では建築用塗料で多く使われています。

塗装工事の多様化が進みました。

昭和40年代前半までは、経済の高度成長によって大きく発展してきましたが、昭和40年代後半になると、高度成長による様々な問題点が現れ始め、光化学スモッグや河川の汚れなどといった環境汚染が大きな社会問題になりました。

 
昭和46年(1971年)

「ジャパンカーボライン株式会社」が設立されました。

日本ペイントから、Hi‐CR(連乾性合成樹脂調合ペイント)が発売されました。

武田薬品工業においてに木材保護塗料「キシラデコール」の輸入販売を開始されました。

カチオン電着塗装が開始されました。(米)

無溶剤型エポキシ樹脂塗料が開発されました。

エポキシ樹脂エマルション塗料が開発されました。

外壁防水化粧材のパイオニア「セブンケミカル」が創業しました。

塗料用シンナー等「太陽化学株式会社」が創業しました。

日本特殊塗料から、複層模様吹付材「嵐山」シリーズが発売されました。

ヤブ原産業から、斑状吹付タイル「陶化コート」シリーズが発売されました。

中国塗料から、ハイビルド水溶性塗料「エバゾール」が発売されました。

日本最初の超高層ビルである東京、新宿の京王プラザホテルで プレキャストコンクリート構造外装材にボンタイル(無機質系複層仕上 C:セメント系)のクレーター仕上げが使われました。(ちなみに名古屋の東山動物園の正面出入口キップ売り場の腰壁部分は2色使いのクレーター仕上げです。)

横一文字葺き平板化粧スレート「フルベスト」が松下電工外装(現在ケイミュー)から発売されました。

2成分形シリコンシーリング材が日本国内で初めて製造されました。

仮面ライダーの放映が開始されました。

マクドナルド日本第1号店「銀座店」がオープンしました。

日清食品が「カップヌードル」を発売しました。

塗装機器メーカーである精和産業株式会社が設立されました。

テレビ「8時だヨ!全員集合」が視聴率50パーセント(昭和46年1月23日)を記録しました。

東京都の多摩丘陵に大規模開発された「多摩ニュータウン」入居開始されました。

江夏豊がプロ野球オールスター戦で九連続奪三振を記録しました。

アンノン族(雑誌アンアンとノンノ)が流行しました。

日本で初のコンビニエンスストア「ココストア藤山台店」が、愛知県春日井市にできました。
後の2016年9月1日にタックメイト藤山台店となり、同年11月17日に閉店となりました。

ニスク(当時大同鋼板)で「イソバンド」の製造を開始しました。

明治乳業から「明治ブルガリアヨーグルト」が発売されました。

昭和47年(1972年)

労働安全衛生法が制定されました。

JASS8にシーリング工事が制定されました。

酸化チタンによる光触媒反応が発表されました。

「四国化研」(現在のエスケー化研)が、外装用吹き付けタイル「レナタイル」、「レナキャスト」の開発に成功しました。

中国塗料から水溶性エポキシ錆止め塗料「エピゾール」が発売されました。

アイカからウレタン樹脂系塗り床材「アイカシームレス」が発売されました。

各種塗料用溶剤、洗浄用溶剤メーカー「セントラル化工 株式会社」が設立されました。

藤倉化学工業が米国プラスタロイ社と水系単層弾性塗料の分野で技術提携を結びました。
(単層弾性塗料とは、中塗りと上塗りを同じ塗料で塗装するクラック追従性や防水効果のある塗料です。単層弾性塗料は、複層塗材に比べて塗装工程が少ない事が大きなメリットと言えます。)

東亜合成から、屋根防水材アクリルゴム「アロンコートSA」が発売されました。

セブンケミカルから、単層型ゴム弾性仕上げ材「セブンコートB」が発売されました。

モルタル建造物にクラックが発生する主な原因として、建設工事期間を少しでも短縮させる為に品質規格を軽視した過度な水で薄められた生コン(シャブコン)や建設ラッシュで砂の需要がひっ迫する事で、施工業者が品質規格を守らずに海砂を使用したコンクリートを使用した事や当時の一般住宅の外壁に使われたメタルラスモルタルは乾燥収縮が大きく、クラックが発生しやすかった事等が原因として挙げられます。

横井庄一氏がグァム島で発見されました。

列島改造計画が策定されました。

日本テレビ系で、刑事ドラマ『太陽にほえろ!』放送開始されました。

名古屋市高速道路が工事着工されました。

中国政府からパンダ2頭が贈られました。「パンダブーム」が起きました。

国道23号・名四国道が全線開通しました。

旭化成ホームズ株式会社が設立されました。ヘーベルハウス「Dシリーズ」・「Eシリーズ」発売されました。

「シンナー遊び」が社会問題化した事をきっかけとなり、毒物及び劇物取締法を一部改定されました。

日本初の高速道路ジャンクション「小牧JCT」ができました。

好川ブラシ産業の東京支店を『東京好川ブラシ」として分社設立されました。

ジョイントコークA、シールパテなど内装用シーリング、下地調整パテが有名な「ヤヨイ化学工業株式会社」が設立されました。

検査工具、スクレイパー、ハンマー、バールなど現場工具が有名な「土牛産業株式会社」が会社設立しました。

昭和48年(1973年)

労働安全衛生法が制定されました。

酸化チタンによる光触媒反応が発表されました。

「任意団体」マスチック塗材施工協会が発足されました。

東亜合成が外壁塗装工事の世界に防水という概念を生み出したパイオニア的な製品であるアクリルゴム複層形の「アロンウォール」をはじめ、イサム塗料の「アトロンエラストマー」、セブンケミカルの「セブンウォール」、三菱レーヨンの「アクリトーン」、ABC商会の「ウォールコートU」が発売されました。
こういった防水性のある弾性塗料が必要となった原因として、第一次、第二次マンションブームに大量に建てられた野丁場のコンクリート・モルタル建造物に発生したクラック(ひび割れ)でした。

日本特殊塗料から、塗り床材「ユータック」シリーズが発売開始されました。

亜細亜工業がエポキシ系吹付材を販売開始しました。

フッコーから、原料、素材、色、質感にこだわった土壁調の壁面仕上材「マヂックコート」が発売されました。

ヤブ原産業から、下地調整材「スーパーパテ材」、「スーパーフィラー」吹付用機械器具「万能ガン器」、「ジャンボガン器」が発売されました。

アリストン、クレストン、タイルキングなどでおなじみの木材・石材の洗浄薬品メーカー「ミヤキ産業」が創業しました。

ABC商会から、「ウォールコートクレーター主材(複層仕上塗材)」、「ウォールコートエポキシ主材(複層仕上塗材)」、「ウォールコートアクリル主材(複層仕上塗材)」が発売されました。

オイルショックによって、原油価格が値上がりし、塗料の原料が一時的に不足懸念が生じ、塗料メーカーの在庫が不足しました。

JASS8にシーリング工事が制定されました。

列島改造計画が策定されました。

日本テレビ系で、刑事ドラマ『太陽にほえろ!』放送開始されました。

名古屋市高速道路が工事着工されました。

中国政府からパンダ2頭が贈られました。「パンダブーム」が起きました。

名鉄百貨店の前に「ナナちゃん人形」が設置されました。

「有害物質を含有する家庭用品の規制に関する法律」が制定されました。

「ジーンズスタイル」が大流行しました。

レオパレス21(当時=株式会社ミヤマ)が設立されました。

名古屋市西区ダイヤモンドシティ名西店に「ホームセンターカーマ」第一号店ができました。(平成17年6月閉鎖)

「名古屋観光ホテル」が竣工されました。

MSシーラントNBが有名な岐阜のシーリング材メーカー「東郊産業」が創業しました。

ナチュラルカラーにブラウン系を加えた「アースカラー」が流行しました。

塗膜防水材、シーリング材、シート防水材、注入、止水材・外壁塗料の総合商社「野口興産株式会社」が創業しました。

第四次中東戦争が勃発する事によって、オイルショックが起きました。

昭和49年(1974年)

紫外線硬化エナメル塗料が開発されました。

アメリカより、外壁用上塗り兼用である単層弾性塗料(アクリルゴム系塗料)が導入・販売されるようになりました。
その後、単層弾性塗料は、国産化に成功し、住宅、マンション等の改修工事にて高い地位を築き上げる事になりました。

「株式会社小林塗料産業」が大阪府和泉市にて小林塗料として開業・創立されました。

日本ペイントから、ニッペタイルラック(タイル状外壁用塗料)、スーパーラックHシリーズ(カラートタン用高分子ポリエステル塗料)、オーデシリーズ(水溶性各種合成樹脂塗料)が発売されました。

鈴鹿塗料(現在のスズカファイン)から、吹付け塗材である、「ラフトン弾性クレーター」、「ラフトンニュークレーターT」、「ラフトンEMエナメル」、「ラフトンEMクリヤー」が発売されました。

アメリカから、外壁用上塗り兼用である単層弾性塗料(アクリルゴム系塗料)が導入・販売される様になりました。
その後、単層弾性塗料は、国産化に成功し、住宅、マンション等の改修工事にて高い地位を築き上げる事になりました。
単層弾性塗料のクラック追随能力は、複層弾性塗材の約半分の 0.5mm程度ですが、塗り替え工事は、新築工事と異なり、ひび割れを確認する事ができます。
ですから、適切な下地補修を行ってから塗装する事ができるので、クラック追随能力は 0.5mm で十分能力を発揮する事が可能と言えます。

関西ペイントから、水性常温特殊架橋型塗料「アスカ」が発売されました。

ニチハより、窯業サイディング「モエン」発売されました。

沖縄が返還されました。

第一次石油ショックが起きました。

コンビニエンスストア「セブン-イレブン」が東京都江東区に第1号店を出店しました。

巨人の長嶋茂雄選手が、後楽園球場の対中日ダブルヘッダーを最後に引退しました。

長崎県の炭鉱「軍艦島」が閉山しました。

「ユリ・ゲラー」の超能力やオカルトが一大ブームになりました。

ファミリーレストラン「デニーズ」第1号店が神奈川県で開店しました。

昭和50年代前半

マンションなど大規模改修工事が出始める事によって、吹き付け工法に代わり、デザインローラー塗装が出始めました。

ゴム状防水型仕上げ塗材(防水型複層塗材E=弾性タイル、RE=水系エポキシタイル、RS=エポキシタイル)(可とう形外装薄塗材E=弾性リシン)が開発されました。
しかし、塗膜性能への寄与率から見ると、トップコートで決まる傾向が高く、したがって、外装吹付工事の需要の多くは、作業性や価格などから複層仕上げ塗材 E(最も汎用的な吹き付けタイルで、単に吹き付けタイルとも呼ばれています。)に集約される結果になっています。

エマルション塗料が大きく台頭してきました。

環境問題によって、大気汚染防止や排水基準などの規制が厳しくなってきました。また、一次、二次のオイルショックは、原料を石油に依存する塗料メーカーの収益に大きな打撃を与えました。

 
昭和50年(1975年)

ロボット塗装が開発されました。

JISA5757が制定されました。

建材用カチオン電着塗料が製造されました。

マスチックローラーの派生型であるデザインローラー塗装が登場しました。
デザインローラーで塗装する事で、吹き付け塗装よりも、厚膜仕上げが連続してできる為、ヘッドカット仕上げの重量感ある仕上がりが得られ、当時は建物価格を高める役割も担いました。

複層塗材Si=シリカタイルが開発されました。

アイカ工業より、意匠性塗材「ジョリパット」が発売されました。

日本特殊塗料から、弾性アクリルエマルション吹付材「NT弾性コート」が発売されました。

日本ペイントから、ハイビニレックス(アクリル系エマルション壁塗料)が発売されました。

沖縄国際海洋博覧会が開かれました。

イギリスのエリザベス2世夫妻が日本を訪問しました。

第1回先進国首脳会議(サミット)が開催されました。

名古屋市で16区制が実施されました。

子門真人の「およげ!たいやきくん」が大ヒットしました。

エポック社が日本初の家庭用テレビゲーム機である「テレビテニス」を発売しました。

愛知県小牧市にて「住まいの塗り替え専門店小林塗装」店主小林ゆず誕生

昭和区天白町が分区し、名古屋市「天白区」ができました。

千種区猪高町(ただし、当時の宮根学区は地元の希望で千種区に残留しました)、昭和区の一部(梅森坂学区)が分区して名古屋市「名東区」ができました。

まるか食品「ペヤングソースやきそば」、カルビー「ポテトチップス」が発売されました。

ユニット住宅「セキスイハイム」が流行しました。

オイルショックの影響で質素な「カーキ」、「オリーブ」系の自然色が流行しました。

昭和51年(1976年)

3月1日 関西ペイントから 錆取り剤「サビクリン」発売されました。

日本ペイントから、パーマイト(アルミサッシュ用電着塗料)、CRトタン(合成樹脂系トタン用塗料)が発売されました。

山本窯業化工から、ローラー施工による仕上塗材「セラスキンローラー」が発売されました。

亜細亜工業が弾性吹付タイルを開発し、販売開始しました。

中国塗料から、亜鉛メッキ面用エポキシ樹脂塗料「ガルバナイト」が発売されました。

カモ井加工紙株式会社から、スフ布を基材にした「布粘着テープ」が新発売されました。
(建築塗装工事の養生必需品です。)

日本ビクターが、「VHSビデオ」を発売しました。

できたて弁当「ほっかほっか亭」の1号店がオープンしました。

ヤブ原産業から、カチオン性仲介接着剤「カチオンタイト」が発売されました。

「虎シリーズ」ローラーでおなじみの株式会社タイホウが株式会社太豊刷毛ブラシ工業として設立されました。

昭和52年(1977年)

10月1日 関西ペイントから、貼紙防止用塗料「ザクロン」が発売されました。

日本ペイントから、ニッペカースプレー(家庭用自動車補修用スプレー)、パワートップ(カチオン型電着用塗料)が発売されました。

遮断熱塗材「ガイナ」の株式会社日進産業が創業しました。

和信化学工業から、約2年の開発期間を経て、浸透性タイプの木材保護着色剤「ガードラック」が発売されました。

第1回マルテー祭が開催されました。

名古屋市博物館が開館しました。

アメリカのロック歌手「エルビス・プレスリー」が42歳で亡くなりました。

王貞治選手(巨人)が、通算756号ホームラン(世界最高記録)を記録しました。

「日本DIY協会」が設立されました。

自動反転式のシーリング用混練機が発売されました。

「パンク・ファッション」・「50年代ファッション」が流行しました。

「スーパーカー消しゴム」が流行しました。

名古屋市瑞穂区「名古屋市博物館」ができました。

神アサヒハケが塗料飛散防止ネット(商品名:サンメッシュシート)開発・発売されました。

昭和53年(1978年)

JISA5758が制定されました。

日本ペイントから、「DANタイル」が発売されました。ちなみに「DAN」は弾性のダンをもじったものです。

日本ペイントから屋根用塗料「ハイスレート」が発売されました。

ヤブ原産業から、2液型エポキシ下地浸透強化剤「浸透プライマー」が発売されました。

2成分形アクリルウレタンシーリング材・2成分形変成シリコンシーリング材が日本国内で初めて製造されました。

キャンディーズが後楽園球場の「ファイナルフェスティバル」を最後に解散しました。

名古屋のラーメン甘味処寿がきや「ラーメンフォーク」が誕生しました。

東京池袋に新都市開発センターの「サンシャイン60」が完成しました。

映画「サタデーナイトフィーバー」の影響で「ディスコブーム」が起きました。
ちなみにサタデーナイトフィーバーは、「ブルックリンのペンキ屋で働く青年」トニー(ジョントラボルタ)が主人公です。

原宿に「竹の子族」が登場しました。

「インベーダーゲーム」が大流行しました。

東洋水産から「赤いきつねうどん」・「緑のたぬきそば」が発売されました。

ハウス食品から、「とんがりコーン」が発売されました。

どんどん庵が名古屋市東区大幸町に「どんどん庵」郊外型1号店として「どんどん庵砂田橋店」を開店させました。

名古屋市郊外西枇杷島町に「カレーハウスCoCo壱番屋」1号店がオープンしました。

アサヒハケが圧送式吹付タイル塗装機を開発しました。

昭和54年(1979年)

スズカファインから、太陽熱反射塗料「クールトップ」が発売されました。

日本特殊塗料から、金属屋根用防食塗料「ビチューロンシルバー」が発売されました。

日本特殊塗料から、単層弾性外壁防水材「完壁(かんぺき)」が発売されました。

日本ペイントから、家庭用多目的塗料「水性ニッペワイド」発売されました。

建築物の吹付け工事が多くなり、建築工事の中で吹付け工事の地位が向上し、「JASS23」吹付工事が制定され、自民党の金丸信議員らの後援による職種独立運動の「吹付工事業」という職種の独立が実現されそうでしたが、日本塗装工業会が職種独立の反対運動を激化させ、30万人の署名運動を行い反対陳情を各方面に行いました。
結果、吹付工事の独立は取り止めになりました。
当時の日本塗装工業会の言い分としては、吹付け工事は塗装工事の一部という理由でした。
(多分、何かしらの政治的な利権問題があったんだろうね。)

張り紙防止塗料が開発されました。

やおきんの「うまい棒」が発売されました。

「ダサイ」・「ナウい」が流行語になりました。

ヤブ原産業が、「SSS工法」を確立させました。

昭和50年代後半

高仕上がり感、シーラーレス施工が可能な、速乾型NADアクリル・ウレタン系塗料が開発されました。

大規模塗り替え改修工事が増えてきました。

ローラー塗装が大きく台頭してきました。

塗装工事の高級化が進みました。
(デコラティブペイント・石材調塗料など)

神東塗料や東亜ペイントから、電磁波シールド塗料(アクリル・ウレタンなどの樹脂に銅、ニッケル、銀等の導電性フィラーを配合)が開発されました。

関西ペイントが NTTの技術協力を得て、人工衛星アンテナ用塗料を開発しました。
(高分子ポリオルガノシロキサン樹脂をベースにした特殊塗料です。+100℃〜-180℃の瞬時の温度変化に対応できる。宇宙空間で10年間のメンテナンス・フリーが可能です。)

日本油脂がガラス飛散防止塗料を開発しました。
(1液性ポリウレタン系で塗膜は透明です。ガラス破損時の飛散を防止する効果があります。)

高分子ポリエステル樹脂塗料(金属サイディング用)が開発されました。

中国塗料が水中硬化塗料を開発しました。
(水中構造物、海洋構造物、水族館などで使用されています。)

 
1980年代前半

各種、ポリマー技術の高度化が進みました。

 
昭和55年(1980年)

日本ペイントの「DANユニ」(単層弾性厚膜型塗料)が発売開始されました。

塗料の国内生産数量は154万トンでした。

大日化成から、「ビッグサン複合防水材」が発売開始されました。

日本特殊塗料から、金属屋根用塗料「トタンエース」が発売されました。

広島原爆ドームの改修工事で使用された「サビロック(錆転換固定塗料)」を取り扱う三基物産株式会社が設立されました。

日本特殊塗料から金属屋根用塗料「トタンエース」、プール用塗料「プールエース」が発売されました。

シンロイヒがトンネル用蛍光塗料「ルミノトラフィック」を開発しました。

水谷ペイントから、水性屋根塗料の傑作「水系ポリマー」が発売されました。

1成分形変成シリコンシーリング材・1成分形ポリサルファイドシーリング材が日本国内で初めて製造されました。

巨人の王貞治選手が現役引退しました。通算本塁打数868本は、世界最多記録です。

ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議し、日本・アメリカ・西ドイツ・中国など50か国近くがモスクワオリンピック不参加を表明しました。

イラン・イラク戦争が勃発しました。

株式会社大三機工商会(現、株式会社ダイサン)が国内初めての、くさび緊結式足場である「ビケ足場」を開発しました。

ポール・マッカートニーが大麻所持の容疑で成田空港内で逮捕されました。

日本の自動車生産台数が世界第1位になりました。

名実ともに「自動車大国」となりました。

「竹の子族」がブームになりました。

「ニュートラ」、「ハマトラ」、「プレッピー」ブームになりました。

サークルKの1号店が名古屋市天白区(島田店)にできました。

名古屋市守山区に「東谷山フルーツパーク」が開園しました。

YMO‥と言ったテクノミュージックブームが色彩に反映され、「ハイテックな白黒」が流行しました。

昭和56年(1981年)

JASS8が改定されました。

ポリマーセメント防水材「エクセルテックス」の製造メーカーユニオン建材工業株式会社が設立されました。

ヤブ原産業が、スレート屋根塗り替え工法「パーマスレート工法」開発しました。

「カラス族」がブームになりました。

コンビニエンスストア「ファミリーマート」が開業しました。

カモ井加工紙株式会社から、「シーリング用マスキングテープNo.3303」が発売されました。

イモ欽トリオの「ハイスクールララバイ」がヒットしました。

昭和57年(1982年)

木部用水性難燃塗料「モーエンアクアシリーズ」が有名な木部用塗料メーカーの「キャピタルペイント株式会社」が創業しました。

旭硝子からフルオロエチレンビニルエーテル系のフッ素脂が発売されました。また、日立化成からも塗料用フッ素樹脂が市販されました。

日本特殊塗料から、シート防水材専用上塗塗料「ノンリークコート」が発売されました。

関西パテが合成樹脂エマルションパテを製造開始しました。

500円硬貨が発行されました。

ソニーが世界初のCDプレーヤー「CDP-101」を発売しました。

東北新幹線(大宮~盛岡間)が開業しました。

昭和58年(1983年)

ペイントローラー、スプレーガンの製造販売の「ピーアイエー株式会社」が設立されました。

関西ペイントのNAD形含フッ素樹脂塗料「アレスフロン」が発売開始されました。

合成樹脂エマルションパテの日本工業規格「JIS K5669」が制定されました。

AGCポリマー建材から、(当時は、科研塗料株式会社)ウレタン塗膜防水材「サラセーヌ」が発売されました。

恒和化学が構造物の劣化防止塗材、セメント系防錆防食塗料「セメンシャス」 を開発しました。

ヤブ原産業株式会社から、カチオン系下地調整材「カチオンフィラー」が発売されした。

関西ペイントから、速乾型の自動車補修塗料「レタンPG80」が発売されました。

東京ディズニーランドが開園しました。

TVドラマ「おしん」が大ヒットしました。

「キン肉マン消しゴム」が大ヒットしました。

「積木くずし」がベストセラーになりました。

男性の「テクノカット」が流行しました。

「コムデギャルソン」・「ワイズ」が流行しました。

建築基準法に基づき「ALC構造設計基準」が認定されました。

愛知県犬山市に野外民族学博物館「リトルワールド」がオープンしました。

ニスク(当時=大同鋼板)「大同耐磨カラーGL」が発売開始されました。

塗装用資材の商社「佐藤産業」が創業しました。

塗装道具・副資材の商社「佐藤産業」が大阪市西成区で創業しました。

昭和59年(1984年)

オリエンタル塗料が超耐久性アクリルシリコン塗料を開発し、厚型スレート業界に上市しました。

文部省(当時)が図工の授業で溶剤系塗料する事を禁止させました。

AGCポリマー建材から、(当時は、科研塗料株式会社)フッ素樹脂系保護仕上材「サラセーヌTL」(現・サラセーヌTフッ素)が発売されました。

二層型電波吸収塗料が開発されました。

ロックペイントから、単層弾性塗料「弾性ビニロック」、屋根用水性アクリル塗料「ユニロック1000番級」、床用溶剤アクリル塗料「ユカロック1000番級」が発売されました。

第1回名古屋国際女子マラソンが開催されました。

名古屋市で「新世紀・名古屋城博」が開催されました。

グリコ・森永事件が起きました。

1万円(福澤諭吉)・5千円(新渡戸稲造)・千円(夏目漱石)の新札が発行されました。

名古屋の東山動物園にコアラがやってきました。

ニスク(当時=大同鋼板)横葺き屋根「エバールーフ1号・2号」が発売開始されました。

第1回名古屋国際女子マラソンが開催されました。

コンサバティブ(保守的なスタイル)ブームになりました。

アルインコが仮設足場「オクトシステム」を開発しました。

PIAが「塗装用紙管ローラー」の製造販売を開始しました。

昭和60年(1985年)

塗料の高品質化進みました。(高耐久性・耐汚染性)

塗り替え改修工事が増える事によって、総合仕上げ工事業者が増えてきました。

外断熱工法仕上げ材が開発されました。

結露防止塗材が開発されました。

クロス用塗料が開発されました。

アイカから「ジョリパットカラーシステム120」が発売されました。

「AGCコーテック株式会社」(当時 ボンタイル株式会社)から、打放しコンクリート面へのフッ素樹脂クリヤー工法「ボンフロンAC工法」を開発販売されました。

ポリシロキサン系耐熱塗料が開発されました。

無機有機複合型外装用塗料が開発されました。
(無機・有機複合形の特長で極めて優れた耐候性を持つ塗料です。)

クリソタイル(白石綿)が含有する複層塗材 C=セメント系吹付けタイル( 0.2%程度含有 1,970年~)の製造を取り止めました。

株式会社タイホウが「布テープ付きマスカー」を製造販売されました。

日本の人口が1億2000万人を突破しました。

おニャン子クラブのステージ衣装にも使われたセーラーズなど、「淡いパステル調カラー」のファッションが流行しました。

阪神タイガース21年ぶりに優勝しました。
阪神のバースが三冠王とMVPを獲得しました。

任天堂から「スーパーマリオブラザーズ」が発売されました。

ナイキから、エアジョーダン1が発売されました。

シンロイヒが、警視庁から開発依頼された犯罪防止用着色球「蛍光クラックボール」を完成させました。

昭和61年(1986年)

山本窯業化工から、石材調仕上塗材「セラキャスト」が発売されました。

田島ルーフィングから、ウレタンゴム系塗膜防水「オルタック防水」、改質アスファルトシート防水「ガムクール防水」が発売されました。

中国塗料が水中硬化型塗料「パーマスターWE」を発売しました。

亜細亜工業がアクリルシリコン樹脂塗料を開発しました。

学校や住宅などの壁面や天井に吹き付けられたアスベストが大きな社会問題になりました。
アスベスト=クリソタイル(白石綿)が含有する

  • 内装薄塗材 W=京壁・じゅらく
    (各製造メーカー 0.4~0.9%含有  1970年~)
  • 内装薄塗材 Si=シリカリシン
    (各製造メーカー 0.1%程度含有  1978年~)
  • 薄塗材 E=樹脂リシン
    (各製造メーカー 0.1~0.9%程度含有  1979年~)の製造を取り止めました。

※因みにアスベストとは、クリソタイル(白石綿)、クロシドライト(青石綿)、アモサイト(茶石綿)‥といった6種類の石綿の事です。
共に繊維状で、引っ張る力に強く、かつ耐熱性、絶縁性、耐薬品性、耐腐食性、耐摩耗性など優れた性質を持っています。
しかし、1970年代にアスベストは国際的に発癌性物質として認められ、法的規制が設けられ、現在は例外を除いて新たな使用はされていません。

1成分形変成ポリサルファイドシーリング材が日本国内で初めて製造されました。JISA5758・JASS8が改定されました。

男女工機会均等法が制定されました。

チェルノブイリ原子力発電事故が発生しました。

ファミコンソフト「ドラゴンクエスト」が発売されました。

東山動物園で国内初のコアラが誕生しました。

犬山市に「おかしの城」ができました。

「子猫物語」、「What’sマイケル」等ネコブームが起きました。

塗装機器メーカー精和産業から、建築エアレス塗装の定番スーパーエクシードシリーズ「SP-60」開発されました。

DCブランドの人気で、洗練された「白、黒、グレー」のモノトーンのカラーの流行は、インテリア・エクステリアにまで波及しました。

ユーロビートが流行しました。

プロボクサーのマイク・タイソンが最年少のヘビー級王座になりました。

昭和62年(1987年)

関西ペイントから、有機無機ハイブリッド型水溶性塗料「アレステリア」、NAD形含フッ素樹脂塗料「アレスフロン」が発売されました。

クリソタイル(白石綿)が含有する

  • 防水形外装薄塗材 E=単層弾性
    ( 各製造メーカー 0.1~0.2%程度含有 1979年~)
  • 内装薄塗材 E=じゅらく
    (各製造メーカー 0.2~0.9%程度含有 1972年~ )
  • 複層塗材 RS=溶剤系エポキシタイル
    (各製造メーカー 0.1~3.2%程度含有 1976年~ )
  • 薄塗材 C=セメントリシン
    (各製造メーカー 0.4%程度含有 1981年~)
  • 外装薄塗材 S=溶剤リシン
    (各製造メーカー 0.9 %程度含有 1976年~)の製造を取り止めました。

田島ルーフィングから、塩化ビニル樹脂系シート防水「ビュートップ防水」が発売されました。

国鉄が民営化されました。JR7社が発足されました。

森村金属から「サイディングジョイナー=ハット型ジョイナー」が発売開始されました。

横浜ゴムから『スーパーワンLM』 (1成分形変成シリコーン系)が発売開始されました。

「PIA」が「塗装用ローラーハンドル」を製造開始しました。

タイホウ(当時、太豊刷毛ブラシ)から、「布付マスカー」が販売開始されました。(建築塗装工事の必需品です。)

ニスク(当時=大同鋼板)「タイマフロン」が発売開始されました。

「ケミカルウォシュジーンズ」がブームになりました。

株式会社タイホウが「布テープ付きマスカー」を製造販売されました。

ボディコンブームの影響でビビッド系、進出色が流行しました。

安田火災がゴッホの絵画「ひまわり」を53億円で落札しました。

昭和63年(1988年)

塗料生産量が200万トンの大台を突破しました。

溶剤型アクリルシリコン樹脂塗料が開発されました。

AGCポリマー建材から(当時は、旭硝子コ-トアンドレジン)ウレタン塗膜防水通気緩衝工法「サラセーヌAV工法」が開発・発売されました。

シンロイヒが、高耐候性多層式蛍光塗料「スーパーロイヒ」を開発しました。

ロックペイントから、弱溶剤NADつや消し塗料「エバーロック」、アルキドシリコン塗料「ロックマリンインペリアル」、強溶剤2液型フッ素塗料「サンフロン」、塩化ゴム系塗料「ロック塩ゴム」が発売されました。

信和株式会社がくさび緊結式足場「キャッチャー」が製造販売を開始しました。

青函トンネルが開通しました。

瀬戸大橋が完成しました。

ドラゴンクエストⅢが発売され、社会現象にまでなりました。

名古屋市美術館が開館しました。(黒川紀章設計)

ミキハウスなど、DC子供服が人気になりました。

平成年代

エマルション型アクリルシリコン樹脂塗料が開発されました。

エマルション型フッ素樹脂塗料が開発されました。

環境対策が重要視される様になってきました。

複層仕上げの改修用下塗り塗料である微弾性フィラーが開発されました。

水性反応硬化系塗料が開発されました。
常温架橋によって、溶剤系に匹敵する仕上り感や性能が得られる様になりました。

 
平成時代初頭

他磁器調仕上げや自然石調仕上げの塗材も上市が活発、高意匠性塗材塗材が注目され始めました。

バブル景気によるオフィスビル建築ブームで建築用塗料でもフッ素樹脂塗料が使われる様になってきました。

 
平成元年(1989年)

ローラー製造メーカーである「PIA」が、一本差しタイプのミドルローラーを製造・販売開始しました。

日本特殊塗料が建築外壁用塗料「シルビア」シリーズを開発しました。

アイカがウレタン樹脂系塗床材「アイカピュール」が発売されました。

和信化学工業から、「水性ガードラック」が発売されました。

透湿・弾性外壁仕上塗料が開発されました。

昭和から平成に元号が替わりました。

名古屋市にて世界デザイン博が開催されました。

消費税(3%)が導入されました。

三菱地所がアメリカ のロックフェラー・センターを買収しました。

川崎市の男性が林でおよそ1億円の札束を発見しました。後日、その林で9000万円が見つかりました。

12月29日の東証の大納会で日経平均株価が史上最高値の38,957円44銭(同日終値38,915円87銭)を記録しました。

デジタル携帯電話のサービスが開始されました。

「渋カジ」が流行する事に伴い、「ラルフローレン」が大人気になりました。

「エスニックファッション」や「プリントシャツ」が流行しました。

名古屋市で世界デザイン博覧会が開催されました。

ナチュラルカラーを踏襲したブラウン系の「エコロジーカラー」が流行しました。

1990年代

ラジカルリビングポリマー、有機無機複合ポリマーが展開され始めました。

 
平成2年(1990年)

塗料生産量が220万1千トンを達成しました。日本における塗料のニーズのピークと言えます。

オリエンタル塗料から、屋根用強溶剤2液型「マイティルーフ#200」、「セラミトウキコート」が発売されました。

アサヒペンから日本で初の脱フロンの新型水性エアゾール塗料「水性ニュースプレー」が開発、発売されました。

日本塗料メーカーの海外現地生産による塗料生産量が、 約 19 万トンになりました。

礼宮文仁親王が川嶋紀子様と結婚、秋篠宮家を創設されました。

「イケイケファッション」が人気になりました。

武田薬品「アリナミンV」ドリンクのコマーシャルが話題になりました。

「アッシーくん」「おやじギャル」「成田離婚」といった言葉が流行しました。

B.B.クィーンズの「おどるポンポコリン」が大ヒットしました。

任天堂の「スーパーファミコン」が発売開始されました。

アネスト岩田(岩田塗装機工業)から、低圧微粒化スプレーガン(LPH)、小形コンプレッサ「COMG」シリーズが発売されました。

パソコンで1670万色の色彩表示が可能になりました。

特殊塗装ローラーやTSチャンピオン刷毛を取り扱う防水資材・販売会社「高翔産業株式会社」が創業しました。

平成3年(1991年)

山本窯業化工から、貼る石材調シート内外装仕上材「ユーネックス」が発売されました。

AGCコーテック株式会社」(当時 旭硝子コートアンドレジン株式会社)から世界初、水性フッ素樹脂塗料「ボンフロン水性」の商品化に成功しました。

ロックペイントから、弱溶剤NADつや消し塗料「エバーロック改良型」、床用溶剤弾性アクリル塗料「弾性パーマロック」、アクリルエマルション塗料「低臭型ビニロック355」、水性つやありアクリルエマルション塗料「ユニロック改良型」が発売されました。

「ジュリアナ東京」ブームが起こりました。

「おやじギャル」「コギャル」が流行語になりました。

「紺ブレ」が大流行しました。(キレカジ)

「クラブ系カジュアル」がブームになりました。

「モッズファッション」など60年代ブームが起こりました。

ニスク(当時=大同鋼板)「イソバンドBL」が発売開始されました。

アネスト岩田(岩田塗装機工業)から、低圧微粒化スプレーガン(LPH)が発売されました。

渋カジの紺ブレにちなんで「ネイビー」が流行しました。

平成4年(1992年)

JISA5758が改定されました。

精和産業から、低圧温風塗装機「クリーンボーイ」が開発されました。

「第1回ペイントショー」が開催されました。

クリソタイル(白石綿)が含有する

  • 軽量塗材=吹付けパーライト
    ( 各製造メーカー 0.4~24.4% 程度含有 1965年~)の製造を取り止めました。

シンロイヒが、着色夜光塗料「カラー夜光ペイント」開発しました。

ロックペイントから、弱溶剤NADつや有り塗料「エバーロックグロス」が発売されました。

名古屋港水族館が開館しました。

バルセロナリンピックが開催されました。

東海道新幹線で「のぞみ」が運転開始しました。

「アニエスb.」が大ブームになりました。

公立学校で第2土曜日を休業日とする学校週5日制がスタートしました。

Jリーグチーム「名古屋グランパスエイト」が発足しました。

名古屋港水族館が開館しました。

フレンチ・カジュアルが流行し、グレー中心としたモノトーンが流行しました。
トランシーで透明感ある曲 オーパスⅢの「It’s fine day」が流行しました。

ナイキの「エアジョーダンVII」、カシオの「Gショック」がブームになりました。

平成5年(1993年)

JASS8が改定されました。

セブンケミカルより、磁器タイル用透明防水材「セブンS」が発売されました。

メーコーが有機系下地調整材「スーパーパテ」(軽量型)を開発し、製造発売されました。

日本ペイントから外壁用下地調整微弾性フィラー「アンダーフィラー弾性エクセル」が発売されました。
(微弾性フィラーは、シーラー機能とフィラー機能を併せ持ち、旧塗膜表面のヘアクラックなひび割れ、ピンホールなどを遮蔽できる塗り替え用の下塗り材です。
また、微弾性フィラーは水性から溶剤系まで様々な仕上げ塗料に対して優れた密着性を持ち、耐久性の高い塗装下地を作る事ができます。)

水性路面表示塗料が開発されました。

水性自動車用塗料が開発されました。

クリソタイル(白石綿)が含有する

  • 可とう形外装薄塗材 E=弾性リシン
    (各製造メーカー 1.5%程度含有 1973年~)の製造が取り止められました。

大高商会から遮熱・断熱塗料「クールサーム」が発売されました。

シンロイヒが、反射塗料「ビームライトスプレー」、消防庁基準対応ヘリポート用蛍光塗料「スーパールミノ Vトップ」開発しました。

塗装用ローラーメーカーPIAが、熱融着方式の「PPコアーローラー」を製造開始しました。

ロックペイントから、弱溶剤2液型NADウレタン塗料「エバーロック2液型」、多機能型単層弾性塗料「弾性ビニロックスーパー」、屋根用弱溶剤2液型NADウレタン塗料「トタンペイント2液型」、強溶剤2液型錆止め塗料「ロックエポキシハイプライマー」が発売されました。

エフエム名古屋(現ZIP-FM)が開局しました。

横浜レインボーブリッジが開通しました。

関西国際空港が開港しました。

「ポケベル」を持つ事が、大きなブームとなりました。

「コギャル」が流行語になりました。

「スケーター」、「ボーダーファッション」、「DJスタイル」が流行しました。

PIAが「PPコアローラー」の製造を開始しました。

日本塗料工業会が、「JPMAカラーシステム1,500」を作成しました。

ネオヒッピーやナチュラルテイストが人気で「ベージュ」が流行しました。

平成6年(1994年)

日本ペイントの水性反応硬化形ウレタン塗料「オーデフレッシュU」が発売されました。

親水性によって、カーボン(油煙)など塗膜に付着する汚れに対して優れた汚染除去能力を持つ低汚染性塗料が開発されました。

中国塗料から、ケイ素化合物を主成分とする紫外線に対し卓越した耐候性を持つ超耐久性無機質系塗料「ケイソル」が発売されました。

中央ペイントから遮熱塗料「CPエコ」が発売されました。

ロックペイントから、微弾性フィラー「ビニロックエラスチックフィラ―」、水性クリヤーシーラー「エマルションクリヤーシーラー」、強溶剤2液型ウレタン塗料「ロックウレタントップ」が発売されました。

ストリートファッションが流行しました。

平成7年(1995年)

1899年、ドイツ創業の木材塗料メーカー「オスモ社」が、日本で「オスモ&エーデル株式会社」を設立させました。

弱溶剤NADエナメル塗料が普及し始めました。

日本特殊塗料から水系1液型微弾性塗替用塗材「シルビアサーフ」が発売されました。

APIC・アジア塗料工業協議会が設立されました。

広島原爆ドームの改修工事で「サビロック( 錆転換固定塗料)」使用されました。

「AGCコーテック株式会社」(当時 旭硝子コートアンドレジン株式会社)から、セラミック調水性フッ素樹脂塗料「ボンフロンパレ」、低汚染型溶剤フッ素樹脂塗料「ボンフロンSR」を開発・発売されました。

恒和化学から無機塗料「ダイヤセラゼックス」発売されました。

塗装用ローラーメーカーPIAが、「ミニローラー」と「ライトローラー」を製造開始しました。

ロックペイントから、水性錆止め「ユニロック 水性ニュープライマー」、水性シリコマックス「水性アクリルシリコン塗料」、耐候性アルキドエナメル塗料「レナロック」が発売されました。

阪神・淡路大震災が起こりました。

マイクロソフトが「Windows 95」日本語版を発売しました。

コギャル現象が起きました。(シャネラー・グッチャー等)

PIAが「ミニローラー・ライトローラー」の製造を開始しました。

日本塗料工業会から「塗料用色見本T版」が発行され、色票配列の変更が行われました。

平成8年(1996年)

夜行粉体塗料が開発されました。

クリソタイル(白石綿)が含有する防水形複層塗材 E=複層弾性(各製造メーカー0.1~4.6 %含有 1974年~)の製造を取り止めました。

ミラクールから「ミラクールシリーズ」が発売されました。

ロックペイントから、装飾用多彩模様塗材「エコロックアート」、装飾用多彩模様塗材「エコロックプラス」、強溶剤2液型アクリルシリコン塗料「シリコマックスS」、1回塗り仕上げエマルション塗料「ビニロックワンコーター」、じゅらく用塗り替え塗料「ビニロックウォールフィラー」、プラスターボード用ローラー用パテ「ビニロックパテフィラー」、環境改善対応シーラー「ロッククロスストロングシーラー」が発売されました。

アムラーファッションが流行しました。

チョベリバとチョベリグが(超 verybad・超 verygoodの略)が流行語になりました。

「70年代ブーム」が起こりました。

祝日「海の日」が施行されました。

樹脂サイディングが日本国内で販売される様になりました。

名古屋市中区に「ナディアパーク」ができました。

(社)日本化学工業協会が日本レシポンシブル・ケア協議会(JRCC)を設立し活動を開始し、2013年現在で、塗料など化学工業関連の101社が参加しています。
※レスポンシブル・ケアとは、化学品を取り扱う企業が、化学品の開発から製造、物流、使用、最終消費を経て廃棄に至るすべての過程において、環境・健康・安全を確保し、その成果を公表し、社会との対話・コミュニケーションを行う自主活動の事を言います。

ビビッドなオレンジやライムグリーンなどと言った「アシッドカラー」が流行しました。

平成9年(1997年)

室内環境対応型塗料が開発されました。

オリエンタル塗料から、屋根用いぶし瓦専用塗料として、「いぶしコート」が発売されました。

日本ペイントの水性シリコン系屋根用塗料「水性シリコンベスト」が発売されました。

エスケー化研が「全国マスチック事業組合連合会」に加入しました。

11月16日(いいいろ塗装の日)が日本塗装工業協会によって制定されました。

日本が世界に先駆けて、船底塗料である有機錫塗料の使用を全廃しました。その後、アクリル銅船底塗料、ケイ酸質系船底塗料、亜鉛系船底塗料等が開発されました。

和信化学工業から、水系木部用半造膜型塗料「ガードラック アクア」が発売されました。
病院や老人ホームなどの院内感染対策として、抗菌塗料が開発されました。

中国塗料から、高日射反射率塗料「サーモシャダン」が発売されました。

日本塗料工業会から、塗料産業に関わる化学物質の有害性調査報告書が発表されました。

ロックペイントから、公団改修用エマルション塗料「ロックFEP」、吹き付け用単層弾性塗料「弾ビニスーパー吹付タイプ」、抗菌型NAD塗料「抗菌エバーロック」、抗菌型床塗料「抗菌ユカロック」が発売されました。

消費税(5%)が導入されました。

地球温暖化防止京都会議が開催されました。

消費税が3%から5%に引き上げられました。

名古屋市東区に「ナゴヤドーム」が竣工されました。

「裏原宿スタイル」が流行しました。

「ビジュアル系バンド」が流行しました。

平成10年代

低汚染型フッ素樹脂塗料が開発されました。

汚染除去型エマルション系塗料が開発されました。

ビニルクロス塗り替え塗料が開発されました。

低VOC塗料、ゼロVOC塗料が開発されました。

微弾性フィラーよりも、クラック追従性が優れた弾性フィラーが開発されました。

無臭塗料が開発されました。

太陽光を効率的に反射させる遮熱塗料が注目される様になりました。

日本国内の塗料生産量が189万トンになりました。

珪藻土塗材が開発されました。

調湿型内装仕上げ塗材が開発されました。

 
平成10年(1998年)

東日本塗料から、屋根瓦用水性アクリルシリコン系塗料「シリコン水性カワラ」発売されました。

「AGCコーテック株式会社」が(当時 旭硝子コートアンドレジン株式会社)窯業系サイディング板改修用の水性フッ素樹脂塗料を開発・発売されました。

オリエンタル塗料から、屋根用水系1液型『シリコン屋根トップ』が発売されました。

シンロイヒが、カメレオン塗料「メドルカラー」開発しました。

ロックペイントから、カチオン系シーラー 「ロック水性カチオンシーラー」、水性ウレタン系塗料 「ビニロックウレタン」、水性アクリルシリコン系屋根用塗料「シリコマックス屋根・瓦用」、外壁下地補修材、「セメントフィラー」、下地処理剤、「ロック防藻・防カビ処理剤」が発売されました。

長野オリンピックが開催されました。

DIY塗装用品メーカーの株式会社ハンディ・クラウン(マルテーグループ)が設立されました。

サンスター技研から、シーリング材用カートリッジ「エコカート」が発売されました。

「名港トリトン」が開通しました。

「ヴィヴィアンウエストウッド」、「コムデギャルソン」が流行しました。

名古屋市中区に「ランの館」ができました。

平成11年(1999年)

HIIロケット用塗料が開発されました。

日本ペイントが「常温乾燥形4フッ化フッ素樹脂塗料」の開発に成功しました。
同じく日本ペイントから、「水性シリコンセラ」が発売開始されました。

イサム塗料と竹中工務店と共同開発によって、超低汚染性アクリルシリコン樹脂塗料「ネオシリカ21C」が発売されました。

スズカファインから、特殊ローラーを使って塗装する多彩サイディング仕上工法「WBアートSi」が開発販売されました。

クリソタイル(白石綿)が含有する

  • 複層塗材 E=アクリル系吹付けタイル
    ( 各製造メーカー 0.1~5.0%程度含有 1970年~ )
  • 複層塗材 CE=セメント系吹付けタイル
    (各製造メーカー 0.1~0.5%程度含有  1973年~)
  • 複層塗材 Si=シリカ系吹付けタイル
    (各製造メーカー 0.3~1.0%程度含有  1975年~ )
  • 複層塗材 RE=水系エポキシタイル
    (各製造メーカー 0.1~3.0%程度含有  1970年~)
  • 厚塗材 C=セメントスタッコ
    (各製造メーカー 0.1~3.2%程度含有 1975年~)
    の製造を取り止めました。

大同塗料から屋根用遮熱塗料「屋根クールネオ」が発売されました。

森下弁柄工業株式会社が柿渋・ベンガラ塗料(かきべん)、天然ワックス(モリベンイチロウ)を開発しました。

ロックペイントから、アクリル・ウレタン・シリコンハイブリッド塗料「ビルロック」、塗替え用リシン 「ロックリフレッシュリシン」、弱溶剤1液型錆め塗料「ロックサビカット」、合成樹脂調合ペイント「ロックコートロイヤル」、が水性木部用ステイン「水性ナフタデコール」発売されました。

中日ドラゴンズが1988年以来11年ぶりとなるセ・リーグ優勝をしました。

パイオニアがDVDへの録画・再生を可能にしたDVDレコーダーを発売しました。

名古屋駅前にJRセントラルタワーズが竣工されました。

「白」が流行しました。

2000年代

塗料の高機能化・環境負荷軽減が一層進みました。
(機能性顔料・機能性添加剤=薬剤の開発)

リアルな質感の窯業サイディングボードが多く普及してきました。

平成12年(2000年)

東陶機器株式会社(現:TOTO株式会社)との光触媒事業の合弁会社『ジャパンハイドロテクトコーティングス株式会社』設立。2007年に『TOTOオキツモコーティングス株式会社』現社名に変更しました。

アステックペイント日本向け総代理店として株式会社アステックジャパンが設立されました。

日本ペイントから、1液速乾ウレタン上塗り塗料「ニッペエスパーワントップ」が発売されました。

オリエンタル塗料から、屋根用弱溶剤2液型「マイルド優雅」が発売されました。

水系上塗り塗料の出荷生産量が溶剤上塗り塗料と逆転しました。

特殊塗料・塗るタイル『タテイルシリーズ』の開発製造販売のメーカー「プレマテックス株式会社」が設立されました。

日本塗料メーカーの海外現地生産による塗料生産量が、約62万トンになりました。

ロックペイントから、水性艶消し低VOC塗料「ビニロックVOⅡつや消し」、水性艶有り低VOC塗料「ビニロックVOⅡつやあり」、土壁調装飾塗材「ジュラクウォール」が発売されました。

東海豪雨がありました。名古屋市及びその周辺の地域に集中豪が発生しました。
(名古屋市で2日間に一年の降水量の1/3を越える567mmの降水量でした。)

紫式部を肖像とした「二千円札」が発行されました。

女子マラソンの高橋尚子選手が大会新記録で金メダルを獲得し国民栄誉賞を受賞しました。

オリックスのイチロー選手が野手として日本人初の大リーガーになりました。

平成13年(2001年)

菊水化学が「全国マスチック事業組合連合会」に加入しました。

オリエンタル塗料から、屋根用水系2液型「ダイレクトコート」が発売されました。

日本特殊塗料から、遮熱タイプの屋根用塗料「パラサーモ」が発売されました。

スズカファインから「セラビューレ」などが発売されました。

大洋塗料から、落書き防止用塗料「ラクトレコート」が発売されました。

7月、ポリマーセメント系塗膜防水の普及、発展の為「ポリマーセメント系塗膜防水協議会」が設立されました。

ロックペイントから、弱溶剤1液型ウレタン塗料「ダイナロック」が発売されました。

「東京ディズニーシー」がオープンしました。

AGCポリマー建材から、(当時は、旭硝子ポリウレタン建材株式会社)環境対応防水工法「サラセーヌRE」シリーズ(現・サラセーヌECOの前身)が発売されました。「東京ディズニーシーグランド」と「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」が開園しました。

「80年代スタイル」が流行しました。

平成14年(2002年)

ロックペイントの定番塗料「ユメロック」、アクリルシリコン系単層弾性塗料「弾性ビニシリコンアクリル」が発売されました。

日本ペイントの定番建築用エポキシ錆止め「1液ハイポンファインデクロ」が発売されました。

山本窯業が、カラーセラミックス配合水性シリコン屋根用塗材「ベストリファイン」を開発し、販売開始しました。

ミッチャクロン・染めQが有名な株式会社「染めQテクノロジィ」が「株式会社テロソンコーポレーション」として設立されました。2010年、現在の社名に変更しました。

アメリカの防食塗料メーカーラスト・オリウムによって、「ラスト・オリウム ジャパン(株)」が設立されました。

山本窯業化工から、シリコン屋根用仕上塗材「ベストリファイン」が発売されました。

スズカファインから弱溶剤1液ウレタン塗料「1液ワイドウレタン」などが発売されました。

カナヱ塗料が、環境対応形水系エマルション室内塗料を販売開始しました。

恒和化学が超耐候・超低汚染形変性無機塗料「ダイヤ スーパーセラン」を開発しました。

水谷ペイントから、屋根用遮熱塗料「快適サーモU」と「快適サーモSi」が発売されました。

オリエンタル塗料から、屋根用マイルド優雅をリニューアルして「ニューマイルド優雅」、屋根用弱溶剤2液型「トウキマイルド」が発売されました。

日韓ワールドカップが共催されました。

横浜ゴムから『Prism-NB』(1成分形ポリウレタン系)発売

多摩川にアゴヒゲアザラシの「タマちゃん」が出現しました。

名古屋市中区に「オアシス21」ができました。

名古屋市港区に 「ブルーボネット」ができました。

平成15年(2003年)

日本国内の塗料生産量が190万トンになりました。

「住まいの塗り替え専門店」小林塗装が創業しました。(笑)

改修用下塗り材の可とう形改修塗材E、RE、CEが規格化されました。

メーコーから、外壁用多彩模様塗料「カラリアート」吹付用が発売されました。

スズカファインから、弱溶剤1液シリコン塗料「1液ワイドシリコン」などが発売されました。

東日本塗料から、超耐候性ハルスハイブリッド型トップコート「スーパートップ遮熱」発売されました。

アトミクスから、屋根用遮熱塗料「アトム遮熱バリアルーフ」が発売されました。

ロックペイントから、弱溶剤系変性エポキシ樹脂プライマー「2液型サビカット」、弱溶剤2液型アクリルシリコン系遮熱塗料「シャネツロック」、水性1液型フッ素塗料「水性サンフロン」が発売されました。

地上デジタル放送が開始されました。

名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線(あおなみ線)が開通しました。

地上デジタルテレビ放送が東京、大阪、名古屋で放送開始されました。

カモ井加工紙株式会社から、建築用マスキングテープ「カブキS」が発売されました。

大塚刷毛から、反応硬化型水性塗料がスムースに塗れる、画期的獣毛刷毛『水星』発売されました。

精和産業から、防音型高圧洗浄機「JC-1513GP」が開発されました。

平成16年(2004年)

JISA5758が改定されました。

水谷ペイントが、地球温暖化対策壁用塗料「ナノコンポジットW」を発売開始しました。

ユニオン建材の「エクセルテックスBBシステム」が発売開始されました。

スズカファインから、水性ウレタン塗料「水性ウレタンユニ」、水性シリコン塗料「水性シリコンユニ」、内装用塗料「ラフトンフレッシュクリーン」などが発売されました。

仕上げ塗材に含まれるクリソタイルも含めたアスベストがほぼ全面使用禁止となりました。

中国塗料から、塗装するだけで電波障害の改善が図れる電波吸収塗料「エバトロン2000」が発売されました。

恒和化学から、無機塗料「ダイヤスーパーセランマイルド」、水系木部浸透型塗料「ガードラック ラテックス」が発売されました。

ロックペイントから、弱溶剤1液型NADウレタン塗料「ダイナロックⅡ」、「ビニロックV.Oシーラー」、「2液型サビカッ ト」が発売されました。

アテネオリンピックが開催されました。

中日ドラゴンズが1999年以来5年ぶり6度目のリーグ優勝しました。

名古屋市営地下鉄名城線がループ運転を開始しました。日本初の地下鉄環状運転です。同じく名古屋市内で、あおなみ線が開通しました。

トヨタの住宅事業部門を「トヨタホーム」として設立されました。

大リーグ「シアトル・マリナーズ」のイチロー選手がシーズン大リーグ最多安打記録を84年ぶりに更新しました。

「セレブファッション」が流行しました。

「メタリックカラー」が流行しました。

平成17年(2005年)

ビニルクロス用スウェード調塗料「フレックススウェード」を日本塗装工業会とスズカファインで共同開発されました。

日本特殊塗料から、多機能弾性外断熱システム塗料「NTダンネツコート」と水性1液外壁用遮熱塗料「水性パラサーモ外壁用」が発売されました。

エスケー化研から、屋根用遮熱塗料「クールタイト」が発売されました。

日本塗料メーカーの海外現地生産による塗料生産量が、約100万トンになりました。
(特に中国、東南アジアでの生産量の伸びが大きいです。)

ロックペイントから、幻の1液架橋型NADウレタン塗料「プリンキピア」、高反射塗塗料「シャネツロック」が発売されました。

愛・地球博が開催されました。

常滑沖に中部国際歳空港が開港されました。

郵政民営化が実施されました。

名鉄空港線が開通しました。

アニメ「ドラえもん」の声優が一斉交代しました。

愛知高速交通「リニモ」が開通しました。

インクジェット塗装技術による次世代型の窯業サイディングが普及し始めました。

エスニックファッション・民族調スタイルが流行しました。

愛・地球博が開催されると共に、「エスニックカラー」が流行しました。

平成18年(2006年)

改正大気汚染防止法が施行されました。

日本特殊塗料から、シリコン樹脂屋根用遮熱塗料「パラサーモシリコン」が発売されました。

スズカファインから、屋根用水性シリコン系遮熱塗料「クールトップSi」、「クールトップSiスーパー」などが発売されました。

労働安全衛生法施行令によって、(仕上塗材も含めた重量の 0.1%を超えて)石綿を含有する全ての製品の使用が禁止されました。

恒和化学から、水性無機塗料「ダイヤスーパーセランアクア」が発売されました。

日本塗料メーカーの海外現地生産が117万トンになりました。

日本中央研究所が、化粧品及び、健康食品販売会社の日本薬品研究所㈱の塗料事業部から独立しました。

ロックペイントから、水性1液反応硬化形合成樹脂エマルション「水性エバーロック」が発売されました。

屋根用縁切り部材「タスペーサー」などの建築資材メーカー「セイム」が創業しました。

平成19年(2007年)

名古屋市北区に小林塗料産業名古屋営業所が開設されました。

メーコーから外壁用多彩模様塗料「カラリアート」ローラー用が発売されました。

東京タワーの塗り替え工事で、一部水性塗料が使用されました。

スズカファインから、弱溶剤2液型シリコン系塗料「ワイドシリコン」、水性防水層保護上塗材(軽歩行用薄塗型)細骨入り「HPトップFS」等が発売されました。

「AGCコーテック株式会社」から、弱溶剤型フッ素樹脂塗料「ボンフロンライト工法」、低汚染型フッ素樹脂遮熱塗料「ボンフロンサンバリア」を開発・発売されました。

シンロイヒが、装飾・舞台演出用水性蛍光塗料「ルミノエコカラー」開発しました。

ロックペイントから、1液架橋型NADウレタン塗料「ダイナロックⅢ」が発売されました。

郵政民営化がスタートしました。

名駅の「名古屋ルーセントタワー」が竣工しました。

名駅の「ミッドランドスクエア」が全面開業しました。

中日ドラゴンズが53年ぶりに日本シリーズで優勝しました。

カモ井加工紙株式会社から、「躯体用マスキングテープ3303EX」が発売されました。

日本塗料商業組合から「ハウスカラーベストセレクション」が発行されました。
日本塗料工業会から、「塗料用色見本D版」が発行されました、環境負荷軽減の為、鉛クロムフリー塗料が使われる様になりました。

平成20年(2008年)

遮熱塗料メーカー「サイペイントジャパン」が創業しました。

スズカファインから、水性2液型無機・シリコン系塗料「水性無機コートSi」、弱溶剤2液型シリコン系塗料「ワイドエポーレSi」が発売されました。

トウペから、水性2液ウレタン樹脂塗料「杜」が発売されました。

アサヒペンから猛暑対策、省エネルギーをコンセプトに「水性屋根用遮熱塗料」及び「水性屋上防水遮熱塗料」が開発、発売されました。

鉛系さび止めペイントのJIS塗料規格が廃止されました。

シンロイヒが、F☆☆☆☆取得水性蛍光塗料「ルミノエコカラースーパー」開発しました。

世界金融危機が起こりました。

名駅の「モード学園スパイラルタワーズ」が竣工しました。

岐阜県に、国内最大級のダム「徳山ダム」が完成しました。

ゲリラ豪雨が多発しました。

平成21年(2009年)

日本国内の塗料生産量が184万トンになりました。

ロックペイントの定番塗料「ビルロックⅡ」、弱溶剤2液型シリコン塗料「ハイパーユメロック」が発売されました。

日本特殊塗料から、高耐候性2液弱溶剤型シリコン樹脂系外壁用塗料「シルビアNADシリコン」が発売されました。

スズカファインから、外壁用水性シリコン系遮熱塗料「カベクールSi」、軒天塗替専用シリコン系省力仕上塗材「ノキテンくん」が発売されました。

横浜ゴムから『SEAL21NB』(1成分形ポリウレタン系)発売

990円ジーンズをはじめとする「ファストファッション」がブームになりました。

タイホウ(当時、太豊刷毛ブラシ)から、塗装用ローラー虎シリーズが販売開始されました。それまでの塗装用ローラーより、ローラーに耐久性があり、塗料が飛散しづらく、塗りやすい画期的なローラーです。

平成22年(2010年)

JISA5758が改定されました。

小惑星探査機「はやぶさ」が地球に帰還しました。

名古屋開府400年を迎えました。

大塚刷毛から、塗装用ローラー「TSUBASA」や「Micro ACE」が発売されました。

平成23年(2011年)

IPペイントから、水系1液特殊アクリルシリコン樹脂塗料「IP水性メタルコートSi」が発売されました。

東日本大地震が起こりました。

愛知県名古屋市港区金城ふ頭に「リニア・鉄道館」ができました。

任天堂初の3D携帯ゲーム機「ニンテンドー3DS」が発売されました。

「2011 FIFA女子ワールドカップドイツ大会」で、サッカー日本女子代表が初優勝しました。

地上デジタル放送に完全移行されました。

「パワースポットブーム」が起こりました。

20年ぶりにトラッドテイストの「ネイビー」が流行しました。

平成24年(2012年)

日本ペイントから、「ニッペパーフェクトトップ」をはじめとするパーフェクトシリーズが発売されました。

日本特殊塗料から、外壁用断熱型微弾性フィラー「NTダンネツベース」が発売されました。

イサム塗料から、省エネルギー対策として窓用日射遮蔽コーティング剤「エコートプラス」、ヒートアイランド対策に有効な高日射反射率カラー舗装材「アースクールF」が発売されました。

ロックペイントから、「サビカットプラス」が発売されました。

日本特殊塗料が2液弱溶剤型シリコン樹脂系外壁用遮熱塗料「パラサーモシリコン外壁用」を開発されました。

シンロイヒが、蛍光チェッカー塗料「レスキュースプレー蛍光」開発しました。

オリエンタル塗料から、屋根用弱溶剤2液型の遮熱塗料「クールくんシリーズ」が発売されました。

東京スカイツリー(高さ634メートル)が完成しました。

牛レバー刺身の提供が食品衛生法により禁止されました。

塗料、塗装の歴史の一部 小林家長男(チンペイ)が誕生小林家長男(チンペイ)が誕生しました。

大塚刷毛から、遮熱塗料用の刷毛「塗来遮熱用」が発売されました。

日本の65歳以上の人口が3000万人を超えました。

好川産業から、微弾性フィラーなど高粘度塗料に適した刷毛「EPOチャンピオン」が発売されました。

平成25年(2013年)

トウペから、1液型弱溶剤フッ素樹脂塗料「レベルフロン」が発売されました。

「塗装工事の専門店」小林塗装が創業10周年を迎えました。(笑)

大日化成から、スマート防水・一液型簡易防水「ワンプルーフ」が発売開始されました。

東日本塗料から環境配慮型塩ビシート改修用プライマー『フローン塩ビシート防水面用プライマー』を発売されました。

IPペイントから、「IP水性反応強化シーラー」が発売開始されました。

シンロイヒが、水性ノンスリップ蛍光塗料「ルミノグリップ」を開発しました。

ロックペイントから、カチオン型合成樹脂エマルションシーラー「ロックカチオンシーラーマルチⅡ」、弱溶剤二液型アクリルシリコン樹脂塗料「クリスタルロック UVガードクリヤー」、弱溶剤2液型アクリルシリコン系遮熱塗料「シャネツロック外壁用」、環境配慮型弱溶剤1液型特殊変性エポキシ錆止め塗料 「サビカットプラス」、弱溶剤2液型アクリルシリコン樹脂塗料「ユメロックルーフ」が発売開始されました。

東富士山が世界文化遺産として登録決定しました。

イチロー選手が、日米通算4000安打を達成。

出雲大社と伊勢神宮が揃って遷宮されました。

大塚刷毛から、建築用プロ用樹脂刷毛「プラグレ」が発売されました。斬新なデザインの刷毛です。持ちやすく使いやすいです。

好川産業から、刷毛「メジタン」シリーズが発売されました。細部の手直しに適した刷毛です。

大塚刷毛から、建築用プロ用樹脂刷毛「プラグレ」が発売されました。斬新なデザインの刷毛です。持ちやすく使いやすいです。
好川産業から、刷毛「メジタン」シリーズが発売されました。細部の手直しに適した刷毛です。

鮮やかな「ネオンカラー」が流行しました。

平成26年(2014年)

トウペから、2液型弱溶剤フッ素樹脂塗料「グランフロン」が発売されました。

エスケー化研から、「エスケープレミアムシリコン」が発売されました。

スズカファインから、(外壁・屋根用)弱溶剤1液型シリコン系遮熱塗料「1液ワイドシリコン遮熱α」、(外壁・屋根用)弱溶剤2液型シリコン系遮熱塗料、「ワイドシリコン遮熱α」、(外壁・屋根用)弱溶剤2液型フッ素系遮熱塗料「ワイドフッソ遮熱α」などが発売されました。

水谷ペイントから、「快適サーモ Bio」が発売されました。

東日本塗料から、「水性エクセルプライマー」が発売開始されました。

ロックペイントから、弱溶剤1液架橋型NADアクリルシリコン樹脂塗料「1液ユメロック」、「シャネツロック弱溶剤型 高機能下塗り」が発売されました。

2014年4月1日から消費税率が『5%→8%』へと上がりました。

『STAP細胞』が発表されました。しかし、顛末は。・・・

8月11日を『山の日』として、祝日となる事が決まりました。

消費税が5%から8%に増税されました。

大阪の「あべのハルカス」が完成しました。

名古屋高速が全線開通しました。

昼の長寿番組『笑っていいとも!』が放送終了しました。

好川産業から、ゴマ毛刷毛「大黒柱」が発売されました。

好川産業から、刷毛「メジタン」をさらに使いやすくした「ナナメジタン」シリーズが発売されました。細部の手直しに再適な刷毛です。

好川産業から、水性塗料用化繊刷毛「流水」、「いずみ」が発売されました。

好川産業から外装用塗装養生テープ「YKすみれマスカー」が発売されました。

サンスター技研から、戸建て住宅用2成分形で業界初のノンブリードタイプシーリング材「ペンギンシールMS2570typeNB」が発売されました。

平成27年(2015年)

各塗料メーカーから、コストパフォーマンスに優れた高機能型塗料が続々と発売されました。

日本ペイント「1液ファイン4Fルーフ」、ロックペイントの水性1液架橋型シリコン樹脂塗料「ハイパービルロックセラ」、金属屋根用弱溶剤1液架橋型NADアクリルシリコン樹脂塗料「1液ユメロックルーフ」多機能型単層弾性仕上げ塗材 「弾ビニスーパーⅡ」、アクリルシリコン系単層弾性塗料 「弾ビニシリコンⅡ」、スズカファイン「ウォールバリア水性」・「ウォールバリアワイド」キクスイ「ロイヤルシリコン」アステックペイント「シリコンフレックスⅡ」・「超低汚染リファイン」エスケー化研「ス―パーセラタイトF」など

日本特殊塗料から、環境対応型特化物フリータイプ2液溶剤型フッ素樹脂系ウレタン防水用トップコート「プルーフロンEGトップ4F」「プルーフロンEGトップ4F遮熱」が発売されました。

大同塗料から、屋根に超対候性のフッ素樹脂塗料を2工程で塗れる、「ハイルーフ マイルドフッソ」発売開始されました。

東日本塗料が、ローラー施工可能な水系硬質ウレタン系塗床材「フローンクリート ローラー用」開発・発売しました。

北陸新幹線開業、東京-金沢間が開通しました。

「マイナンバー制度」がスタートしました。

大塚刷毛から、建築用高級樹脂刷毛「伝翔」が発売されました。

好川産業から、外装用ローラー「厚塗り ATSUKO」シリーズが発売されました。

名駅の「JPタワー名古屋」が竣工しました。

平成28年(2016年)

6月 スズカファインから、特殊ローラーを使って塗装する多彩サイディング仕上工法「WBアートSi」が開発販売されました。

菊水化学による「産業スパイ事件」がありました。

IPペイントから、内外部用、金属用、耐皮脂性に対応した「IP水性UVクリヤーシリーズ」が発売開始されました。

水谷ペイントから、「パワーアシストクリヤーF」、「ナノコンポジットF」が発売されました。

ロックペイントから、弱溶剤1液型変性エポキシサビ止め塗料「サビカットⅡ」、弱溶剤2液型低汚染フッ素樹脂塗料「サンフロンUV」、窯業系サイディングボード塗り替え用下地調整塗材「SBフィラー」、弱溶剤2液型変性エポキシ無機ハイブリッドシーラー 「ハイパーシーラーエポ」が発売されました。

大同塗料から、コンクリートの風合いを生かしたクリヤー仕上げの防塵塗料「ユカクリート コンクリート用 水系クリヤー」発売開始されました。

日本ペイントから、ウレタン系防水材「パーフェクトプルーフシリーズ」、水性2液型塗料「パワーオーデフレッシュF」、「パワーオーデフレッシュSi」水性1液変性エポキシ樹脂さび止め塗料「1液水性デクロ」1液水性反応硬化型シリコン系塗料「ニッペ 水性ファインSi」等が発売されました。

関西ペイントから、高湿度環境や湿潤下地でも塗装できるシリコン系塗料のハイグレード塗料、「ダイナミックトップ」が発売されました。

エスケー化研から、「NADウレタン」が発売されました。

鏡面塗装のサイディング「cool」がニチハから発売されました。

好川産業から、白毛金巻刷毛 「ヒーロー」が発売されました。

大塚刷毛から、マイクロファイバーローラー「マイクログランデ」が発売されました。(塗りやすいです。)

Jリーグチーム「名古屋グランパスエイト」がJ1からJ2に降格しました。

中日ドラゴンズが最下位になりました。

トヨタホームがミサワホームを連結子会社化しました。

平成29年(2017年)

ロックペイントから、屋根用遮熱塗料「シャネツロックルーフSi」、水性フッ素樹脂塗料「水性サンフロンアクア」が発売されました。

無機塗料専門メーカーのプレマテックスから、2液弱溶剤形無機変性ラジカル制御形遮熱塗料「ラジセラルーフ」が発売されました。

エスケー化研から、「プレミアムNADシリコン」が発売されました。

関西ペイントから、外壁用塗料超耐候超低汚染塗料「アレスダイナミックMUKI」と低飛散多機能弾性下地調整材「アレスダイナミック防水フィラー」が発売されました。

大塚刷毛から、塗装用ローラー「Wonder」が発売されました。

セイムから、通気性を向上させたカラーベスト、コロニアル屋根の縁切り用部材「新型タスペーサー01」が発売されました。

大塚刷毛から外装用ローラー「スカーレットEX」が発売されました。

好川産業から、水性塗料用化繊刷毛 「サラブレッド」と「TATEGAMI」が発売されました。

平成30年(2018年)

ロックペイントから、屋根用水性1液型アクリルシリコン樹脂塗料、「ロック水性プロテクトルーフ」、弱溶剤2液型フッ素樹脂塗料「クリスタルロックUVガードフッ素クリヤー」、弱溶剤1液型アクリル樹脂系つや消し塗料「エバーロック ネクスト」、水性1液型エポキシシリコン系屋根用下地調整塗材「ロック水性プロテクトルーフ サフ」、が発売されました。

日本ペイントから、「デュフロン100フレッシュⅡ」が発売されました。

スズカファインから、超撥水外装用水性つや消し塗料シリーズ(ビーズコートシリーズ)が発売されました。

菊水化学から、「キクスイガイナ」発売されました。

ソフトバンク コマース&サービスから、ガラスなどの透明な素材に塗布する事でプロジェクターの映像を投影できる塗料「S-Paint(エスペイント)」が発売されました。

令和2年(2020年)

5月24日ロックペイント「1液ユメロックDX」が発売されました。

10月1日ロックペイント「ハイパービルロックセラ 弾性」が発売されました。

菊水化学工業「キクスイロイヤルシリコン遮熱」が販売開始されました。

令和3年(2021年)

4月14日 ロックペイントから、水性2液高付着カチオン系エポキシシーラー「ハイパーシーラーアクア」が発売されました。

7月1日 水谷ペイントから、屋根用シリコン塗料「NADポリマSi」が発売されました。

6月21日 ロックペイントから、屋根用遮熱フッ素塗料「シャネツロックルーフ F」が発売されました。

令和4年(2022年)

1月20日 大塚刷毛から、強溶剤対応・耐久性が優れる「マルテー オールワン」が発売されました。

3月7日 大塚刷毛から、強溶剤対応のマイクロファイバーローラー「Micro Eight」が発売されました。

塗料と塗装の歴史 参考資料

技術発展の系統化調査 – 産業技術史資料情報センター 、 日本ペイント百年史、塗装工事の知識、塗料のお話、大同塗料沿革、日本ペイント沿革、関西ペイント沿革、大日本塗料沿革、日本特殊塗料沿革、スズカファイン沿革、水谷ペイント沿革、オリエンタル塗料沿革、エスケー化研沿革、菊水化学沿革、ロックペイント沿革、大塚刷毛沿革、好川産業沿革、PIA沿革、カモ井加工紙沿革、東日本塗料沿革、アトミクス沿革、中国塗料沿革、亜細亜工業沿革、イサム塗料沿革、川上塗料沿革、日本建築仕上材工業会ー吹付けの歩んだ道ー、トウペ沿革、和進化学沿革、日本の色・世界の色、日本流行色協会-色の歴史ー、大阪塗料沿革、日本塗料工業会ー日本塗料工業会についてー、インターナショナルペイント沿革、ナショペン化学沿革、ダイフレックス沿革、フッコー沿革、山本窯業化工、太洋塗料沿革、神東塗料沿革、シンロイヒ沿革…

コラム筆者
塗料、塗装の歴史をまとめるアシスタント のぶ イメージ 小林塗装 店主 小林ゆず

小林塗装の店主小林ゆずは、名古屋「塗装工事の専門店」小林塗装ホームページのコラム作成をしています。
塗装工事のエキスパートとして、外壁、屋根、室内など塗り替え工事を検討している一般のお客様にとって分かりやすく、役立つ情報発信をいつも心掛けています。

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