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塗料の歴史について

小林塗装で使用している塗料について、お客様にも知識を深めて頂こうと思い、塗料や塗装工事に関するを歴史をまとめて、年表にしました。

日本の歴史と照らし合わせながら、現在使われている塗料や塗装方法が、どのような経緯で開発されたのか等、歴史年表を見ながらお楽しみ下さい。

  • 明治時代の歴史
  • 大正時代の歴史
  • 昭和時代の歴史
  • 平成時代の歴史
塗料の歴史

塗料の歴史について

紀元前7,000年前

北海道南芽部町
垣の島B遺跡で黒漆と赤漆で塗られた椀が作られました。

紀元前5,000年~

日本の塗料は、「漆(うるし)」
日本では、紀元前5,000年頃から「漆」が使われてきました。 矢尻と矢柄を漆で固めて、紐が解けない様にしているものや、土器や木の蔓で編んだカゴに漆が塗った容器があります。
「漆」に関する最古の文献
日本において記録として、一番古いものは、約2,400年前の考安天皇の時代に、三見宿弥(みつみのしゃくや)という人が器に「漆」を塗って、宮中に献上したという事が残っています。

607年

法隆寺の堂塔木部に丹塗りが施されました。

和銅3年頃(710年頃)

漆器工房から、漆刷毛と思われる原型が平城京跡から発見されています。

天平宝字(757年)

麻柱(あななひ)という言葉が、「高い所に登るあしがかり=足場」という最古の言葉として記録されています。

鎌倉時代から室町時代(1200~1400年代)

襖、障子、番傘の布貼り、紙貼り用として糊刷毛(鹿毛・猪毛)が使われ始めました。

江戸時代(1600~1800年代)

江戸時代には、刷毛の需要が増大化し、刷毛づくりも専業化されました。

享保3年(1718年)

将軍家お抱えの刷毛師だった初代・利兵衛が将軍家から「江戸屋」の屋号を賜り、江戸刷毛専門店として、東京の日本橋に開業しました。

安政元年(1854年)

米国ペリー特使が、幕府役人と会見した木造談判所に持参した油性塗料を塗装しました。江戸の職人、町田辰五郎が日本で一番初めにペンキで塗装した職人と言われています。後に町田辰五郎は、塗銀初代(現在は、塗装会社桜井・横浜)となりました。

安政5年(1858年)

ペンキ(語源は英語のPAINT から転化、他にオランダ語のPEK = タール、瀝青からとの説がある)という言葉もこの頃から使われ始めました。
ペンキによる塗装は、外国人技術者により指導され、上海、マカオ等で洋式建築塗装を習得した中国人がペンキ職人として作業をしました。
「ペンキ職」は、当時大変モダンな職業で、横浜には各地の大工の棟梁が新技術の習得に集まりました。

慶応2年(1866年)

外国商館による、塗料の販売が始まりました。
横須賀造船所を建築する際に塗師所が設けられました。日本で最初の塗装工場と言えます。

明治2年(1869年)

横須賀造船所に塗粧職工教育学校が設立されました。

明治3年(1870年)

接着剤、シーリング材メーカーであるコニシが「小西屋」の屋号で薬種業を営み始めました。その後、現在のアサヒビールの前身となる「アサヒ印ビール」を製造しました。

明治4年(1871年)

「ペンキ」という用語が、初めて横浜毎日新聞に登場しました。

明治5年(1872年)

新橋駅・横浜駅を輸入塗料で塗装しました。

その当時の白ペンキ1 缶(28 ポンド入(12.7Kg))3円25銭で大工の日給37銭と比較すると、約9倍もする高価なものでした。

明治7年(1874年)

塗料が日本国内で研究開始されました。
東京開成学校(現東京大学)に、ドイツ人ワグネル博士が招かれ、ワグネル博士の助手であった、茂木春太と彼の弟重次郎を指導して、顔料及び、塗料の研究を開始しました。

明治9~10年頃(1876年~1877年)

日本人による洋式塗装の勃興期と言えます。しかし、当時ペンキは、東京で販売も行われておらず、横浜の貿易商社が輸入して扱い、イギリスのハバックス社製がその代表でした。

明治10年(1877年)

国産の「セラックニス」が、仲万兵衛(熊野屋)・川上保太郎(後、川上塗料の創業者)により、製造開始されました。

明治11年(1878年)

酒精ワニスが国産化されました。
明治11年のペンキ28ポンド入り(12.7Kg)缶が約3円でした。ちなみにその当時、品川の土地価格が1坪あたり約2円でした。

明治13年(1880年)

茂木兄弟によって、国産原料によるペンキ=洋式塗料「ペンキ(油顔色)」が完成しました。(おめでとうございます。)

明治14年(1881年)

日本初の塗料工業が誕生しました。茂木重次郎は、光明社(現日本ペイント(株))設立し、光明丹(鉛丹)、亜鉛華、堅練りペイント(顔料にボイル油を混入した糊状の塗料)の製造を始めました。
茂木兄弟による国産原料のペンキが第二回内国勧業博覧会に出展し、褒状を受けました。その結果、ペンキの存在とペンキの国産化が日本国内に広く知られる様となって、学校建築や商店の看板にペンキが使用され始めました。

明治18年(1885年)

日本の特許第1号は、塗料及び塗装でした。漆工芸の大家、堀田瑞松が、油性さび止め塗料に対抗して、漆を利用して出願した「堀田さび止め塗料及び、塗装」が特許第1号として登録されています。
同年に漆特殊塗料工場(現在の日本化工塗料(株))を創業し、「堀田さび止め塗料」の販売を開始しました。

明治27~37年(1894~1904年)

日清戦争・日露戦争の後、ボイル油・固練りペイント(亜麻仁油が主成分)・油ワニス・船底塗料が普及しました。

ドイツの木部用塗料メーカー「オスモ」が創業しました。(1899年)

その頃、塗料の技術発展が著しくなり、塗料の需要も急拡大しました。

明治34年(1901年)

建築用・工業用塗料メーカー「神東塗料」の母体である「神戸ボイル油株式会社」が神戸市灘区に塗料製造所として創業されました。

明治38年(1905年)

日本国内で初めて、大阪瓦斯本社ビル屋根にアスファルト防水が施工されました。

明治41年(1908年)

川上保太郎によって、エナメル塗料が開発されました。DICの前身「川村インキ製造所」が川村喜十郎により、創業されました。

明治43年(1910年)

川上保太郎によって、川上塗料製造所が大阪市西成区で創業されました。

日本ペイントの茂木重次郎は、安価な家庭用調合ペイントを供給する目的でエマルションぺイント「もてきペイント」を開発しました。

明治44年(1911年)

壁用水性塗料(ミルクカゼインバインダー)が製造されました。

三精塗料工業株式会社が「三精舎化学製品所」として設立されました。設立当初は、油性ワニス、酒精ワニスの製造を行っていました。

大正元年(1912年)

東京・神田猿楽町にあった「キカイ湯」という銭湯の創業者である東由松氏が、先頭の増築をする際、壁に絵が書いてあったら、子どもが喜ぶに違いないとペンキ絵を描く事を思いついて、川越広四郎という画家に壁画を依頼しました。

キトサン等の天然物の高機能塗料を開発している大村塗料株式会社が塗料染料店として鳥取県にて創業しました。

堀田瑞松の息子堀田賢三によって、日本漆業研究所(後の日本化工塗料)が創業されました。

大正2年(1913年)

電気絶縁ワニスが開発されました。
日本国内の塗料製造量は、約2,000トンでした。

石材塗料メーカー「山本窯業化工株式会社」が創業されました。

大正3年(1914年)

大塚鐡五郎が大塚鐡五郎商店を創業しました。後のマルテー大塚(大塚刷毛)です。

大正4年(1915年)

東亜ペイント(現在のトウペ)が創業されました。

大正6年(1917年)

中国塗料が広島県で創業されました。

仲西他七により、日本特殊塗料が創業されました。

石材塗料メーカー「山本窯業化工株式会社」が創業されました。

大正7年(1918年)

玉水弘により、尼崎市西宮町に、関西ペイント工業所(現、関西ペイント株式会社)を創業されました。

大阪製煉株式会社(現在のトウペ)が創業されました。

大正9年(1920年)

関西ペイントの酒見恒太郎によって、支那桐油とエステルガムを主成分とするスパーワニスを完成させ、「ジャパナイト」として発売しました。
この技術は、大正10年「仮漆製造法」として特許化(特許第39623号)されました。

エアスプレーガンがアメリカより、輸入されました。

大正10年(1921年)

酢酸繊維素塗料(航空機用塗料)が開発されました。

塗装用刷毛「宇宙」でおなじみの好川産業株式会社が創業されました。

大正11年(1922年)

「水系ナノコンポジットw」、「水系ナノシリコン」等、屋根用塗料やナノテクノロジー塗料でおなじみの「水谷ペイント」が創業されました。

大正12年(1923年)

トタンペイントが開発されました。

「セメダイン」の創業者今村善次郎が、東京で接着剤類の製造販売を開始しました。

マスキングテープでおなじみの「カモ井加工紙」が創業されました。

大正13年(1924年)

木部用塗料メーカー「和信化学工業」(旧長島化学製品所)創業されました。

塗料メーカー「久保孝ペイント株式会社」が創業されました。創業者久保孝太郎により、大阪市西区靭に久保孝商店を設立し、塗料用原料の販売をはじめました。

塗装工具メーカーである株式会社明治機械製作所が設立されました。

大正14年(1925年)

DICの前身「川村インキ製造所」が有機顔料の自給生産を開始しました。

塗料メーカー「株式会社佑光社」が創業しました。

大正15年(1926年)

グラファイド塗料が開発されました。
硝化綿ラッカー塗料が開発されました。

昭和元年(1926年)

関西ペイントが国産初のラッカー「セルバ」を発売しました。セルバの発売がきっかけで日本国内のスプレー塗装が発達し、昭和の工業塗装に大きく貢献しました。

エアースプレーガンが国産化されました。

昭和2年(1927年)

日本ペイントがラッカー塗料を発売開始しました。

アルミニウムペイント(銀色塗料)が開発されました。

北村勇により、自動車補修用塗料・汎用建築用塗料メーカー「イサムペイント」が創業されました。

建築用塗料・社寺仏閣用塗料メーカー「中央ペイント」が設立されました。

亜酸化鉛粉を使用した錆止め塗料「ズボイド」が鉛粉塗料株式会社(のちの大日本塗料)から発売されました。

木工用塗料メーカー「斎藤塗料株式会社」が創業しました。

昭和4年(1929年)

フェノール樹脂塗料が開発されました。
日本ペイントより、フェノール系塗料「コラーゲン」が発売されました。

総合塗料メーカー「大日本塗料」日本電池(株)より分離独立し「鉛粉塗料株式会社」として創業されました。

昭和5年(1930年)

鉛丹防錆塗料が開発されました。

昭和6年(1931年)

フタル酸樹脂塗料が開発されました。

日本ペイント「ボデラック」、関西ペイント「フタリット」トウペ「グリプトン」大日本塗料「タイコー」が発売されました。
また、家庭用ラッカー塗料が販売され始めました。
総合塗料メーカー「ロックペイント」創業者の辻巖がラッカー塗料の製造を始めました。

接着剤「セメダイン」が商標登録されました。

昭和7年(1932年)

「プールコート」等、特殊塗料・床用塗料で有名な「大同塗料」吉治仁代次によって、大阪市大正区で創業されました。

船舶用、工業用、建材用塗料を主力としたカナヱ塗料株式会社の前身である株式会社カナヱ商会として創業されました。

昭和8年(1933年)

塩化ゴム系塗料が開発されました。

「神戸ボイル油株式会社」が「東洋塗料製造株式会社」と合併し「神東塗料株式会社」を設立しました。

昭和8年以降、日本ペイント、関西ペイント、神東塗料、トウペ等が中国大陸へ企業進出しました。

昭和9年(1934年)

耐酸塗料が開発されました。

耐熱塗料・光触媒塗料メーカーである「オキツモ株式会社」(旧社名三重油脂化工株式会社)が創業されました。

昭和10年(1935年)

大信ペイント株式会社が創業しました。

昭和11年(1936年)

「水系VATON+」等が有名な、木工用塗料メーカー「大谷塗料」が創業されました。

砂壁調塗材「ジョリパット」でおなじみのアイカ工業が「愛知化学工業株式会社」として設立されました。

昭和13年(1938年)

「藤倉化成」が設立されました。

木材塗料メーカー「大谷塗料株式会社」が創業されました。

アトミクス株式会社「西川商会」が東京都千代田区で創立されました。

昭和14年(1939年)

塗料の生産量が10万トンを突破しました。

物価停止令が制定され、自由に塗料販売ができなくなりました。

静電塗装機が開発されました。(戦後の家電塗装で普及し始めます。)

石綿配給停止により、屋根材の強度保持の為、「厚型スレート屋根」が誕生しました。

カナヱ化学工業株式会社が大阪市西区にてタンニン材ならびに各種染料の販売目的で、『鼎商店』として設立として設立されました。

株式会社UPG ホールディングスが「下千葉化学工業所」として創業しました。

昭和15年(1940年)

電動工具(2種ケレン)の確立
人力で行われていた素地調整が、電動のワイヤーホイール・カッター等の電動工具のよる2種ケレン工法が確立しました。

東京芝浦電気(東芝)がシリコン樹脂の研究に着手しました。

家庭用塗料メーカー「アサヒペン」が「大和塗料工業所」として創業されました。

昭和16年(1941年)

太平洋戦争の影響により、ラテックス・ゴムをベースとした探信防止塗装・機能性塗料の先駆けである偽装・迷彩塗装等が研究され始めます。

メーコーが「昭和特殊塗料(株)」として創立しました。横須賀海軍工廠専管工場として、擬装塗料の製造開始しました。

昭和17年(1942年)

不燃塗料(亜鉛末75%に水ガラス加えたもの)が開発されました。

名古屋市西区に木部用塗料メーカー「玄々化学工業株式会社」が設立されました。

昭和18年(1943年)

戦時下により、塗料の配給統制が行われました。(昭和20年10月まで)

昭和19年(1944年)

建築用塗膜防水材、建築用仕上材メーカーの東日本塗料株式会社の前身である「東日本酒精塗料株式会社」が創立されました。

昭和20年(1945年)

日本国内の工場数は69、焦土の中で再開した塗料の生産量は、わずかに1万トンでした。

昭和21年(1946年)

木工・建築木部用塗料メーカー「大阪塗料工業株式会社」が大阪にて創業され、創業者である津田正雄が酒精ニス製造販売業を始めました。

昭和22年(1947年)

辻 巖(ロックペイント創業者)が個人経営にて、ラッカー性塗料の製造を再開しました(のちのロックペイント)

「ABC商会」が設立されました。

カナエ塗料が設立されました。

昭和23年(1948年)

4月、日本塗料工業協会が発足されました。
酢酸ビニルエマルション系塗料が開発されました。
メラミンアルキド樹脂塗料が開発されました。

漆系塗料メーカー「カシュー株式会社」(日本漆塗料株式会社)が設立されました。「カシュー」とは、食用のカシュー・ナッツの実の殻から抽出されるカシュー・ナッツ・シェル・オイルを主成分とした漆系の合成樹脂塗料の事です。漆の代用として使用されています。

建築用塗料メーカー「スズカファイン」(鈴鹿塗料)が創業されました。
鈴鹿塗料から、木工用速乾ニス「チヨライト」が発売されました。

名古屋市(現在の本社は豊明市)にて、シンナー・工業用塗料製造メーカーの「エーエスペイント株式会社」(旧朝日商会)創業されました。

ラッカー・合成樹脂塗料メーカーであるナトコ(名古屋塗料)が名古屋市瑞穂区高田町にて創業しました。

合成樹脂塗料・ラッカー等の製造メーカー「日亜ペイント」が大阪で「日亜ペイント工業所」として創業されました。

昭和24年(1949年)

カシュー株式会社から、漆の代用塗料である「カシュー樹脂塗料」が開発されました。

大日本塗料の塩化ビニル樹脂塗料「ビニローゼ」が発売開始されました。

「工業標準化法」が公布され、「JIS規格」が誕生しました。

昭和20年代後半

「セメントリシン」による吹き付け仕上げ工法が確立されました。

1950年代前半

アクリル、ポリエステル等、各種のポリマーが展開され始めました。

昭和25年(1950年)

日本国内の塗料生産量が8万トンになりました。

昭和26年(1951年)

酢酸ビニルアクリル共重合エマルション系塗料が開発されました。

エポキシ樹脂塗料が開発されました。

不飽和ポリエステル樹脂塗料が開発されました。

紫外線硬化塗料が開発されました。

木工塗料メーカー「サンユーペイント株式会社」(旧社名(株)三有社)が設立されました。

建築・工業用塗料メーカーである太洋塗料が東京都で創業者松本十九により、創業されました。

日本特殊塗料から、セメント瓦用塗料「スレコート」が発売されました。

スズカファイン(鈴鹿塗料)から、油性塗料「調合ペイント白」が発売されました。

水谷ペイントの床用塗料「ボウジンテックス」が発売開始されました。

昭和27年(1952年)

シアナミド鉛系防錆塗料が開発されました。

防かび塗料が開発されました。

ビニルブチラール樹脂塗料(ウオッシュプライマー)が開発されました。

水性塗料メーカー「インターナショナルペイント」が設立されました

塗料用専門シンナー製造メーカーである「大伸化学株式会社」が東京都港区に設立されました。

コニシが合成接着剤「ボンド」を販売開始しました。

サンユーペイントが木工用酒精ニスの製造を開始しました。

昭和28年(1953年)

シリコン樹脂耐熱塗料が開発されました。
その後、変成アルキドシリコン塗料・変成ポリエステルシリコン樹脂塗料・アクリルシリコン塗料が開発されました。

東日本塗料から、塩化ビニール樹脂塗料「ビニコート」を電気化学工業との共同研究により開発、市販開始しました。

昭和29年(1954年)

焼き付け型カラートタン用アルキド樹脂塗料が開発されました。

茨木塗料が設立されました。

昭和30~40年頃

モルタル用シーラー(環化ゴム樹脂系・塩化ビ二ル系・アクリル系など)が開発されました。

昭和30年(1955年)

エアレス塗装が実用化され始めました。

多彩模様塗料(関西ペイント=ゾラコート)販売されました。

総合建築塗料メーカーである「エスケー化研」が、「四国化学研究所」として創業されました。創業時は、廃溶剤の再生と建築用下塗材の生産から始めました。
現在の「リサイクル」事業の先駆けとなる企業でした。

ジンクリッチ塗料メーカー「ローバル株式会社」が創業されました。

外壁塗材メーカーであるフジワラ化学株式会社が創業されました。

日本国内の塗料生産量が15万トンになりました。この頃から日本の高度成長期に入り塗料の生産量が飛躍的に増えてきました。

日本塗料検査協会が「塗料及び印刷インキの試験・検査を行う第三者機関」として通商産業大臣から認可されました。

昭和31年(1956年)

2液型ポリウレタン樹脂塗料が開発されました。(主にアクリル・ポリエステル系等)
その後、1液型ポリウレタン塗料、油変成ウレタン塗料などが多くのウレタン塗料が開発されています。

山本窯業から、多彩色砂壁模様の吹付け塗材「セラスキン」が開発発売されました。

ミクニペイントから、西ドイツバイエル社の技術協力によって、ポリウレタン系塗料「ポリデュール」が発売されました。

昭和32年(1957年)

東日本塗料から、西ドイツバイエル社の技術協力によって2液型ポリウレタン樹脂塗料「ウレコート」が製造販売されました。

エアレス塗装機が国産化されました。

放射線防御塗料が開発されました。

昭和33年(1958年)

2成分形ポリサルファイドシーリング材が日本国内に初めて輸入されました。

昭和34年(1959年)

アクリル樹脂塗料が開発されました。

タールエポキシ樹脂塗料が開発されました。

「ビュークリーンシリーズ」・「水系ファインコートシリコン」が有名な名古屋の建築塗料メーカーである「キクスイ」創業しました。

蛍光塗料メーカー「シンロイヒ株式会社」大日本塗料から分社化され「大日本シンロイヒ株式会社」として設立されました。

株式会社 左官用壁材料メーカー「フッコー」(旧社名:東京福幸壁材工業)が操業されました。

昭和30年代後半

セメントスタッコ厚付仕上げ・セメントタイル仕上げ等、複層仕上げ工法が確立されました。

昭和35年(1960年)

セメントリシンが普及する様になってきました。
日本住宅公団が外装材にセメントリシンを採用した為、セメントリシンの需要は大きく伸びました。
その後、セメントリシンの欠点を改良したアクリルリシンが普及しました。

昭和36年(1961年)

アニオン電着塗装の開始されました。(米)

JISA5751(建築用コーキング材)が制定されました。

昭和37年(1962年)

エポキシジンクプライマーが開発されました。

東海道新幹線用アクリル樹脂塗料が開発されました。

木工金属下地用ポリウレタン樹脂塗料が開発されました。

メーコーが建築用下地調整材「メーコーパテ」を開発しました。

昭和38年(1963年)

アクリル系メタリック塗料が開発されました。

屋根用塗料メーカー「オリエンタル塗料」が創業しました。

2成分形ポリサルファイドシーリング材、1成分形シリコンシーリング材が日本国内で初めて製造されました。

カラートタン用アクリル樹脂塗料が開発されました。

AGCコーテックの前身となる「ボンタイル株式会社」が設立されました。

メーコーが建築用下地調整材「メーコーパテ」を発売しました。

昭和39年(1964年)

「ボンタイル」がドイツから導入されました。

三井石化産資株式会社が設立されました。

武田薬品工業においてにシロアリ防蟻塗料「キシラモン」の輸入販売を開始されました。

1成分形ブチルシーリング材が日本国内で初めて製造されました。

防食塗料メーカー「ビーオーケミカル株式会社」が設立されました。

昭和40年頃

ウールローラーによる塗装が普及され始めました。

セメント系フィラーが開発されました。

日本国内の塗料生産量が60万トンになりました。

外装トップコートのアクリル樹脂エナメル塗料が普及し始めました。

複層塗材C=セメント系タイルが普及し始めました。

セメント系スタッコが普及し始めました。

「ジュラク調リシン仕上げ」が開発されました。

昭和41年(1966年)

大日本塗料より、家庭用塗料メーカー「サンデーペイント」が分離独立しました。サンデーペイントの「サンデー」とは、日曜大工やDIYが、世間一般に定着する事を願って、現在の社名が付けられました。

「神戸ペイント株式会社」が創立されました。

アクリルシーリング材が日本国内で初めて製造されました。JISA5751(建築用コーキング材)が改正されました。

日本特殊塗料から、屋根用塗膜防水材「プルーフロン」が発売されました。

スズカファインから、エマルション系吹付模様塗料「ラフトン内部用」が発売されました。

昭和42年(1967年)

無機系ジンクリッチプライマーが開発されました。

塗装用「マスカー」で有名な吉野化成が創業しました。

水性塗料、遮熱塗料を製造する建築塗料メーカー「埼玉ペイント」が創業されました。

公害対策基本法が制定されました。

昭和40年代中期

複層塗材E、複層塗材REが開発されました

昭和44~45年(1969年~1970年)

日本住宅公団が塗料メーカー5社(恒和化学工業(現:ダイフレックス)、神東塗料、関西ペイント、トウペ、日本ペイント)と塗装工事の省力化を目指した「マスチック工法」を確立させました。

昭和44年(1969年)

フッ素樹脂塗料が開発されました。

ガラスフレーク塗料が開発されました。

JISA5754・JISA5755が制定されました。

昭和45年(1970年)

塗料生産量106万トンを突破しました。

2成分形ポリウレタンシーリング材が日本国内で初めて製造されました。

シンナーの製造販売メーカー「北港化学株式会社」が設立されました。

昭和40年代後半

外装トップコートのアクリルウレタン樹脂エナメル塗料が普及し始めました。

複層塗材Eが普及し始めました。

複層塗材REが普及し始めました。

複層塗材RSが普及し始めました。

シリカ系(ケイ酸質、無機高分子)塗料が開発されました。

NAD系塗料が開発されました。

塗装工事の多様化が進みました。

昭和46年(1971年)

「ジャパンカーボライン株式会社」が設立されました。

武田薬品工業においてに木材保護塗料「キシラデコール」の輸入販売を開始されました。

カチオン電着塗装が開始されました。(米)

2成分形シリコンシーリング材が日本国内で初めて製造されました。

無溶剤型エポキシ樹脂塗料が開発されました。

エポキシ樹脂エマルション塗料が開発されました。

塗装機器メーカーである精和産業株式会社が設立されました。

外壁防水化粧材のパイオニア「セブンケミカル」が創業しました。

昭和47年(1972年)

労働安全衛生法が制定されました。

JASS8にシーリング工事が制定されました。

酸化チタンによる光触媒反応が発表されました。

昭和48年(1973年)

日本特殊塗料から、塗り床材・舗装材「ユータック」シリーズが発売開始されました。

ドイツの塗装機器メーカー「ワグナー」が「日本ワグナー・スプレーテック株式会社」を設立されました。

昭和49年(1974年)

紫外線硬化エナメル塗料が開発されました。

アメリカより、外壁用上塗り兼用である単層弾性塗料(アクリルゴム系塗料)が導入・販売されるようになりました。
その後、単層弾性塗料は、国産化に成功し、住宅、マンション等の改修工事にて高い地位を築き上げる事になりました。

「株式会社小林塗料産業」が大阪府和泉市にて小林塗料として開業・創立されました。

全国マスチック事業組合連合会が発足しました。

昭和50年代前半

マンションなど大規模改修工事が出始める事によって、吹き付け工法に代わり、デザインローラー塗装が出始めました。

ゴム状防水型仕上げ塗材(防水型複層塗材E=弾性タイル、RE=水系エポキシタイル、RS=エポキシタイル)(可とう形外装薄塗材E=弾性リシン)が開発されました。

エマルション塗料が大きく台頭してきました。

昭和50年(1975年)

ロボット塗装が開発されました。

JISA5757が制定されました。

建材用カチオン電着塗料が製造されました。

マスチックローラーの派生型であるデザインローラー塗装が登場しました。
デザインローラーで塗装する事で、吹き付け塗装よりも、厚膜仕上げが連続してできる為、ヘッドカット仕上げの重量感ある仕上がりが得られ、当時は建物価格を高める役割も担いました。

複層塗材Si=シリカタイルが開発されました。

アイカ工業より、意匠性塗材「ジョリパット」が発売されました。

昭和51年(1976年)

「虎シリーズ」ローラーでおなじみの株式会社タイホウが株式会社太豊刷毛ブラシ工業として設立されました。

昭和52年(1977年)

遮断熱塗材「ガイナ」の株式会社日進産業が創業しました。

昭和53年(1978年)

2成分形アクリルウレタンシーリング材・2成分形変成シリコンシーリング材が日本国内で初めて製造されました。

JISA5758が制定されました。

昭和54年(1979年)

スズカファインから、太陽熱反射塗料「クールトップ」が発売されました。

昭和50年代後半

高仕上がり感、シーラーレス施工が可能な、速乾型NADアクリル・ウレタン系塗料が開発されました。

大規模塗り替え改修工事が増えてきました。

ローラー塗装が大きく台頭してきました。

塗装工事の高級化が進みました。(デコラティブペイント・石材調塗料など)

電磁波シールド塗料が開発されました。

1980年代前半

各種、ポリマー技術の高度化が進みました。

昭和55年(1980年)

1成分形変成シリコンシーリング材・1成分形ポリサルファイドシーリング材が日本国内で初めて製造されました。

日本ペイントの「DANユニ」(単層弾性厚膜型塗料)が発売開始されました。

昭和56年(1981年)

JASS8が改定されました。

ポリマーセメント防水材「エクセルテックス」の製造メーカーユニオン建材工業株式会社が設立されました。

昭和58年(1983年)

ペイントローラー、スプレーガンの製造販売の「ピーアイエー株式会社」が設立されました。

関西ペイントのNAD形含フッ素樹脂塗料「アレスフロン」が発売開始されました。

塗装資材、建築副資材を販売する「株式会社佐藤産業」が創業しました。

合成樹脂エマルションパテの日本工業規格「JIS K5669」が制定されました。

昭和59年(1984年)

オリエンタル塗料が超耐久性アクリルシリコン塗料を開発し、厚型スレート業界に上市しました。

昭和60年代

塗料の高品質化進みました。(高耐久性・耐汚染性)

塗り替え改修工事が増える事によって、総合仕上げ工事業者が増えてきました。

外断熱工法仕上げ材が開発されました。

結露防止塗材が開発されました。

クロス用塗料が開発されました。

昭和61年(1986年)

1成分形変成ポリサルファイドシーリング材が日本国内で初めて製造されました。JISA5758・JASS8が改定されました。

昭和63年(1988年)

塗料生産量200万トンの大台を突破しました。

溶剤型アクリルシリコン樹脂塗料が開発されました。

平成年代

エマルション型アクリルシリコン樹脂塗料が開発されました。

エマルション型フッ素樹脂塗料が開発されました。

環境対策が重要視される様になってきました。

複層仕上げの改修用下塗り塗料である微弾性フィラーが開発されました。

水性反応硬化系塗料が開発されました。
常温架橋によって、溶剤系に匹敵する仕上り感や性能が得られる様になりました。

平成元年(1989年)

ローラー製造メーカーである「PIA」が、一本差しタイプのミドルローラーを製造・販売開始しました。

1990年代

ラジカルリビングポリマー、有機無機複合ポリマーが展開され始めました。

平成2年(1990年)

塗料生産量220万1千トンを達成しました。日本における塗料のニーズのピークと言えます。

平成3年(1991年)

山本窯業が貼る石材シート内外壁装材“ユーネックス”を開発し販売開始しました。

平成4年(1992年)

JISA5758が改定されました。

精和産業から、低圧温風塗装機「クリーンボーイ」が開発されました。

平成5年(1993年)

JASS8が改定されました。

セブンケミカルより、磁器タイル用透明防水材「セブンS」が発売されました。

メーコーが有機系下地調整材「スーパーパテ」(軽量型)を開発し、製造発売されました。

平成6年(1994年)

日本ペイントの水性反応硬化形ウレタン塗料「オーデフレッシュU」が発売されました。

平成7年(1995年)

1899年、ドイツ創業の木材塗料メーカー「オスモ社」が、日本で「オスモ&エーデル株式会社」を設立させました。

弱溶剤NADエナメル塗料が普及し始めました。

平成9年(1997年)

室内環境対応型塗料が開発されました。

日本ペイントの水性シリコン系屋根用塗料「水性シリコンベスト」が発売されました。

エスケー化研が「全国マスチック事業組合連合会」に加入しました。

11月16日(いいいろ塗装の日)が日本塗装工業協会によって、制定されました。

日本が世界に先駆けて、船底塗料である有機錫塗料を使用を全廃しました。その後、アクリル銅船底塗料、ケイ酸質系船底塗料、亜鉛系系船底塗料等が開発されました。

平成10年代

低汚染型フッ素樹脂塗料が開発されました。

汚染除去型エマルション系塗料が開発されました。

ビニルクロス塗り替え塗料が開発されました。

低VOC塗料、ゼロVOC塗料が開発されました。

微弾性フィラーよりも、クラック追従性が優れた弾性フィラーが開発されました。

無臭塗料が開発されました。

太陽光を効率的に反射させる遮熱塗料が注目される様になりました。

日本国内の塗料生産量が1,189万トンになりました。

珪藻土塗材が開発されました。

調湿型内装仕上げ塗材が開発されました。

平成11年(1999年)

HIIロケット用塗料が開発されました。

日本ペイントが「常温乾燥形4フッ化フッ素樹脂塗料」の開発に成功しました。
同じく日本ペイントから、「水性シリコンセラ」が発売開始されました。

2000年代

塗料の高機能化・環境負荷軽減が一層進みました。(機能性顔料・機能性添加剤=薬剤の開発)

平成12年(2000年)

東陶機器株式会社(現:TOTO株式会社)との光触媒事業の合弁会社『ジャパンハイドロテクトコーティングス株式会社』設立。2007年に『TOTOオキツモコーティングス株式会社』現社名に変更しました。

アステックペイント日本向け総代理店として株式会社アステックジャパンが設立されました。

日本ペイントから、1液速乾ウレタン上塗り塗料「ニッペエスパーワントップ」が発売されました。

水系上塗り塗料の出荷生産量が溶剤上塗り塗料と逆転しました。

平成13年(2001年)

菊水化学が「全国マスチック事業組合連合会」に加入しました。

平成14年(2002年)

ロックペイントの定番塗料「ユメロック」が発売されました。

日本ペイントの定番建築用エポキシ錆止め「1液ハイポンファインデクロ」が発売されました。

山本窯業が、カラーセラミックス配合水性シリコン屋根用塗材「ベストリファイン」を開発し、販売開始しました。

ミッチャクロン・染めQが有名な株式会社「染めQテクノロジィ」が「株式会社テロソンコーポレーション」として設立されました。2010年、現在の社名に変更しました。

アメリカの防食塗料メーカーラスト・オリウムによって、「ラスト・オリウム ジャパン(株)」が設立されました。

平成15年(2003年)

日本国内の塗料生産量が190万トンになりました。

改修用下塗り材の可とう形改修塗材E、RE、CEが規格化されました。

メーコーから、外壁用多彩模様塗料「カラリアート」吹付用が発売されました。

平成16年(2004年)

JISA5758が改定されました。

水谷ペイントが、地球温暖化対策壁用塗料「ナノコンポジットW」を発売開始しました。

ユニオン建材の「エクセルテックスBBシステム」が発売開始されました。

平成18年(2006年)

改正大気汚染防止法が施行されました。

平成19年(2007年)

名古屋市北区に小林塗料産業名古屋営業所が開設されました。

メーコーから外壁用多彩模様塗料「カラリアート」ローラー用が発売されました。

東京タワーの塗り替え工事で、一部水性塗料が使用されました。

平成21年(2009年)

日本国内の塗料生産量が184万トンになりました。

ロックペイントの定番塗料「ビルロックII」が発売されました。

平成22年(2010年)

JISA5758が改定されました。

平成24年(2012年)

日本ペイントから、「ニッペパーフェクトトップ」をはじめとするパーフェクトシリーズが発売されました。

平成25年(2013年)

トウペから、1液型弱溶剤フッ素樹脂塗料「レベルフロン」が発売されました。

平成26年(2014年)

トウペから、2液型弱溶剤フッ素樹脂塗料「グランフロン」が発売されました。

エスケー化研から、「エスケープレミアムシリコン」が発売されました。

平成27年(2015年)

各塗料メーカーから、コストパフォーマンスに優れた高機能型塗料が続々と発売されました。

日本ペイント「1液ファイン4Fルーフ」ロックペイント「ハイパービルロックセラ」スズカファイン「ウォールバリア水性」・「ウォールバリアワイド」キクスイ「ロイヤルシリコン」アステックペイント「シリコンフレックスⅡ」・「超低汚染リファイン」エスケー化研「ス―パーセラタイトF」など

日本の歴史について

紀元前5000年頃

日本では縄文時代前期
人口が大幅に増加し、竪穴式住居や貝塚が盛んに作られました。
丸木舟による漁労活動や公益が盛んに行われるようになりました。

和銅3年頃(710年)

元明天皇によって、平城京(奈良)に都が置かれました。

天平宝字(757年)

養老律令(ようろうりつりょう)が施行される

享保3年(1718年)

徳川吉宗によって、「町火消し」の制度が定められました。

天保12年(1841年)

天保の改革が始まりました。
幕府各所に綱紀粛正と奢侈禁止を命じました。

安政元年(1854年)

1853年にペリーが東京湾に来航し、開国を要求しました。1854年その結果、日本とアメリカの間で、日米和親条約が締結されました。

安政5年(1858年)

日本とアメリカとの間で日米修好通商条約が結ばれました。

慶応2年(1866年)

薩長同盟が成立されました。

明治元年(1868年)

江戸幕府に対する倒幕連動から、明治維新が起こりました。

明治2年(1869年)

尾張藩を名古屋藩に改称されました。

明治3年(1870年)

東京・横浜間で電信が開通されました。

明治4年(1871年)

廃藩置県により、名古屋藩が名古屋県になりました。

明治5年(1872年)

名古屋県が愛知県に改称されました。県庁所在地の郡名「愛知郡」から採られました。

明治6年(1873年)

オーストリアのウィーンで開かれた万国博覧会で、日本が初めて博覧会に参加しました。

明治7年(1874年)

板垣退助・後藤象二郎らが、政府に対して民選議院設立建白書を提出しました。

明治10年(1877年)

熊本・宮崎・大分・鹿児島において、西郷隆盛を盟主に、西南戦争が起こりました。

明治11年(1878年)

日本最初の電燈が点火されました。

明治13年(1880年)

日本国歌「君が代」が完成しました。

明治14年(1881年)

明治生命が創業しました。(日本初の生命保険会社)

明治18年(1885年)

伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任(第1次伊藤内閣)

明治19年(1886年)

和歌山県紀州沖でノルマントン号事件が起こりました。

名古屋駅が完成しました。

明治21年(1888年)

新聞(現中日新聞)創刊

明治22年(1889年)

大日本帝国憲法が発布され、翌年に施工されました。

名古屋区が「名古屋市」になりました。

名古屋電灯(現中部電力)送電開始

明治27(1894年)

日清戦争が勃発しました。

愛知馬車鉄道(現名古屋鉄道)設立

明治27~28年(1894~1895年)

朝鮮国の甲牛農民戦争をきっかけに、日清戦争が起こりました。

明治28年(1895年)

下関条約が調印されました。

明治31年(1898年)

名古屋市に全国2番目となる市電が開通しました。(久屋~名駅間)市民の間からは、「チンチン電車」の愛称で親しまれました。

明治33年(1900年)

人造スレート瓦が、オーストリアで発明されました。

明治34年(1901年)

八幡製鉄所の操業が開始されました。

明治37年(1904年)

大日本帝国とロシア帝国との間で日露戦争が勃発しました。
両国はアメリカ合衆国の仲介の下で終戦交渉に臨み、1905年9月5日に締結されたポーツマス条約により講和ししました。

明治41年(1908年)

名古屋市が四区制(東・西・中・南)となりました。

「亀の子たわし」が発売されました。

イギリスでコンクリート瓦が機械化製造が始まりました。

第八高等学校(現名古屋大学)設立

明治43年(1910年)

洋菓子メーカー「不二家」が創業されました。

明治44年(1911年)

兵庫県の余部鉄橋が完成しました。

明治45年(1912年)

明治天皇が崩御、大正に改元されました。

大正2年(1913年)

「森永ミルクキャラメル」が発売されました。

東洋塗料製造株式会社と合併、当社設立

大正3年(1914年)

第一次世界大戦が勃発しました。

大正4年(1915年)

東京駅が完成しました。

大正7年(1918年)

シベリア出兵を開始しました。

大正9年(1920年)

明治神宮造営工事が施工されました。

日立製作所が設立されました。

大正10年(1921年)

尺貫法を廃し、メートル法が普及する様になりました。

大正11年(1922年)

「グリコ」が大阪の三越で販売開始されました。

大正12年(1923年)

関東大震災が起こりました。

関東大震災でトタンが不足。石綿スレート屋根の需要が拡大しました。

マスキングテープでおなじみの「カモ井加工紙」が創業されました。

大正13年(1924年)

甲子園球場が完成しました。

大正14年(1925年)

ラジオ放送が開始されました。

名古屋名物の味噌煮込みうどん店「山本屋総本家」が創業しました。

大正15年(1926年)

豊田佐吉氏が現在のトヨタ自動車の母体である豊田自動織機製作所を設立をしました。
浜松高等工業学校の高柳健次郎氏、電子式テレビ受像機(ブラウン管式)を開発しました。

大正天皇が崩御し、昭和に改元されました。

昭和元年(1926年)

昭和金融恐慌が発生しました。
モボ・モガが流行しました。

昭和2年(1927年)

地下鉄上野-浅草間が開通しました。

昭和4年(1929年)

近鉄花園ラグビー場が開場されました。

「名古屋ゴルフ倶楽部・和合コース」が開設されました。

昭和5~9年(1930~1934年)

昭和恐慌が起きました。東北・北海道で農業恐慌が起きました。

昭和5年(1930年)

エロ・グロ・ナンセンスの語が流行しました。

昭和6年(1931年)

犬養毅内閣が成立しました。

昭和7年(1932年)

日本車輌製造、愛知時計電機、大隈鉄工所の共同開発で、初の国産大型乗用車「アツタ号」が誕生しました。

名古屋市の中川運河が全通しました。

昭和8年(1933年)

日本が国際連合を脱退しました。

昭和9年(1934年)

名古屋市の人口が100万人を突破しました。

昭和10年(1935年)

名古屋市北区の志賀公園が開園されました。

昭和11年(1936年)

名古屋軍(現中日ドラゴンズ)が設立されました。

昭和12年(1937年)

アメリカのジョンマンビル社が、「カラーベスト」の市販開始しました。

東山動植物園が開園しました。

名古屋市熱田区にて「名古屋汎太平洋平和博覧会」が開かれました。

名古屋城の金シャチの鱗が盗まれました。

新名古屋駅が竣工されました。

昭和13年(1938年)

岐阜県笠松町に隕石が落下しました。
笠松隕石とは、1938年(昭和13年)3月31日午後3時頃、岐阜県羽島郡笠松町の箕浦氏宅に落下してきた隕石です。
調査の結果、0.4~1.2mmの球粒を持つ古銅輝石カンラン石球粒隕石で、約50億年前のものと判明しました。

昭和14年(1939年)

石綿配給停止により、屋根材の強度保持の為、「厚型スレート屋根」が誕生しました。

ノモンハン事件が起きました。

NHKが有線によるテレビ実験放送を公開しました。

名古屋帝国大学(現名古屋大学)が設立されました。

昭和15年(1940年)

日独伊三国軍事同盟が成立されました。

昭和16年(1941年)

太平洋戦争が開戦しました。

東海銀行(愛知銀行・名古屋銀行・伊藤銀行が合併)が設立されました。

昭和17年(1942年)

中部日本新聞(後の中日新聞)創刊されました。(「新愛知」と「名古屋新聞」が合併)

昭和19年(1944年)

名古屋市中区、東区、西区から「栄区」が区分されました。

名古屋市の北区、栄区、瑞穂区が増区されました。

昭和20年(1945年)

名古屋城が空襲により焼失しました。

太平洋戦争が終戦しました。

栄区が中区に編入されました。

名古屋市が十二区制となりました。

昭和21年(1946年)

NHKラジオで「のど自慢素人音楽会」が放送開始されました。

第一次吉田茂内閣が成立されました。

昭和22年(1947年)

教育基本法・学校教育法が公布されました。

6・3・3学制が発足されました。

日本国新憲法が施行されました。

古橋広之進が、水泳「400m自由型」で、当時の世界新記録を樹立させました。

昭和23年(1948年)

日本のサマータイムが実施されました。

第1回NHK「のど自慢」が始まりました。

美空ひばりが10歳で歌手デビューしました。

プロ野球で初ナイター試合が行われました。

GHQが岸信介ら、A級戦犯19人を釈放しました。

アロハシャツ、ロングスカート、リーゼントが流行しました。

昭和24年(1949年)

湯川秀樹が日本人で初めてノーベル賞を受賞しました。

名古屋市内の学童のシラミ駆除にDDT粉末を使用しました。

プロ野球がセントラルリーグ・パシフィツクリーグの2リーグに分裂しました。

昭和25年(1950年)

朝鮮特需により、経済復興が加速しました。

池田勇人蔵相が国会で「貧乏人は麦を食え」と発言しました。

1,000円札(聖徳太子の肖像)が発行されました。

住宅金融公庫が発足しました。

京都の金閣寺が、放火が原因で全焼しました。

お好み焼きが流行しました。

名古屋市人口が再度100万人突破しました。

昭和26年(1951年)

サンフランシスコ平和条約が締結されました。

プロレスラーの力道山がデビューしました。
旧国技館で、日本人初のプロレス試合(力道山対ブラウンズ)が行われました。

パチンコが大流行しました。

「プラスチック製品」が広まりました。

昭和27年(1952年)

永谷園が「お茶漬け海苔」を発売しました。

プロ野球・名古屋ドラゴンズの経営から「名古屋鉄道」が撤退。「中日新聞社」の単独経営となり、3年ぶりに「中日ドラゴンズ」の名称に戻りました。

小牧空港(名古屋空港)が開港しました。

手塚治虫の漫画『鉄腕アトム』が雑誌「少年」(光文社)で連載開始されました。

マダガスカル島付近のフランス領コモロ島で、4億年前に出現した”生きた化石”シーラカンスが発見されました。

昭和28年(1953年)

日本で初めて鋼管枠足場が使われました。アメリカのビティスキャフォールド社が日本に鋼管足場を導入しました。

テレビの本放送が開始しました。

東京都内に赤色の公衆電話が登場しました。

NHK、東京地区でテレビ本放送を開始しました。

日本テレビ、民放初のテレビ放送を開始しました。

NHK、「紅白歌合戦」が放映されました。

昭和29年(1954年)

日本で初めて単管足場が東京都大手町の東京産業会館(株式会社竹中工務店の設計施工による)で使われました。

名古屋テレビ塔完成しました。

映画「ゴジラ」が公開されました。

電気洗濯機が急速に普及されました。

ヒロポン中毒が大きな社会問題になりました。昭和29年の検挙者は55,000人を超え、潜在的な乱用者は五十五万人、ヒロポン中毒による障害者は二百万人と推定されていました。

昭和30年(1955年)

日本でアスファルトシングル屋根が初めて使用されました。

トヨタ自動車が「クラウン」を発売しました。

日本住宅公団が設立されました。

第1回名古屋まつり開催されました。

ラジオ東京(現・TBS)がテレビ局を開局しました。

アメリカの映画俳優「ジェームズ・ディーン」が24歳で交通事故で亡くなりました。

「マンボスタイル」が流行しました。

第1回「名古屋まつり」が開催されました。

昭和31年(1956年)

日ソ共同宣言が行われました。

名古屋市が政令指定都市になりました。

昭和32年(1957年)

名古屋市に地下街が誕生し、地下鉄が開通しました。

コカ・コーラが日本での販売を開始しました。

旧ソ連が世界初の人工衛星「スプートニク号」の打ち上げに成功しました。

5,000円札が登場しました。

NHK、日本テレビがカラーテレビの実験放送を開始しました。

「名古屋駅前地下街」(現:サンロード)が開業しました。

昭和33年(1958年)

東京タワー東京タワーが竣工されました。

巨人・長嶋茂雄選手がプロ野球デビューしました。

「チキンラーメン」が発売されました。

10,000円札が登場しました。

ロカビリーやフラフープが流行しました。アサヒビールが日本初の缶ビール「アサヒビール」を発売しました。

名古屋の寿がきや3号店が「女性センター(女性専門店)」としてオープンしました。ちなみに女性専門店は、1990年代中頃まで存在し、最大8店舗運営されていました。

昭和34年(1959年)

伊勢湾台風が襲来しました。

名古屋城が再建されました。

明人親王と正田美智子さんの結婚パレードが行われました。

「少年マガジン」「少年サンデー」が創刊されました。

「鉄腕アトム」・「鉄人28号」・「エイトマン」が放映開始されました。

松下電器産業と松下電工の出資により、ナショナル住宅建材設立されました。

明星食品が「チャルメラ」を発売しました。

「カミナリ族」が社会問題になりました。

「合コン」のルーツ、男女合同ハイキング「合ハイ」が東京を中心に大学生間で流行しはじめました。

昭和35年(1960年)

NHKなど六局がカラーテレビの本放送を開始しました。

松下電器産業と松下電工の出資により、ナショナル住宅建材が設立されました。

クレジットカードが使われ始めました。

閣議により、「国民所得倍増計画」が正式決定されました。

名古屋名物の味噌煮込みうどん店「山本屋本店」が設立されました。

昭和36年(1961年)

久保田鉄工(株)がマンビル社と技術提携事によって、コロニアル屋根を製造開始しました。

「ポリバケツ」が普及し始めました。

トミーの「プラレール」が発売開始されました。

名古屋の寿がきやが日本で初めて「スープのもと」に使われる粉末即席化に成功しました。

昭和37年(1962年)

名古屋放送(現・名古屋テレビ放送(メ〜テレ))が開局しました。

大正製薬「リポビタンD」が発売されました。

1964年に東京オリンピックが開催されることにともなって、建設需要が高まり、オリンピック景気となりました。

東京都が世界初の1,000万人都市になりました。

名古屋市科学館ができました。

「ツイスト」が流行しました。

昭和38年(1963年)

黒四ダムが完成しました。

ケネディ大統領が暗殺されました。

ハウスから「バーモントカレー」が発売されました。

フマキラーから電気蚊取器「ベーブ」が発売されました。

力道山が暴力団員に刺さました。

昭和39年(1964年)

東京オリンピック東京オリンピックが開催されました。

東海道新幹線東海道新幹線が開通しました。

シャープとソニーがそれぞれ電卓を発売開始しました。

昭和40年~45年(1964年~1970年)

57ヶ月間好景気が続き、いざなぎ景気と呼ばれました。

昭和40年(1965年)

「アイビーブーム」が起こりました。

日本テレビ系で「11PM」放送開始されました。

「ピンク映画」が盛んに制作されました。

大塚製薬から「オロナミンC」が発売されました。

昭和41年(1966年)

日本の総人口が1億人を突破しました。

名古屋市中区栄に中日ビルができました。

日本テレビ系の演芸番組「笑点」が放送開始されました。

ビートルズが来日しました。(6月30日から3日間。日本武道館で公演)

日本の総人口が1億人を突破しました。

ミニスカート普及

昭和42年(1967年)

塗装用「マスカー」で有名な吉野化成が創業しました。

大相撲の高見山が初の外国人関取(十両)に昇進しました。

小笠原諸島が日本に復帰しました。

「ゴーゴー喫茶」や「アングラ酒場」が盛況しました。

「フーテン族」が話題になりました。

昭和43年(1968年)

週刊少年ジャンプが創刊されました。

GNPが世界2位になりました。

「3億円事件」が起きました。

「サイケデリックファッション」が流行しました。

大塚食品が「ボンカレー」を発売しました。

昭和44年(1969年)

東名高速道路が全線開通しました。

アポロ11号が人類初の月面有人着陸を果たしました。

TBS系バラエティ番組「8時だョ!全員集合」 ・フジテレビ系のテレビアニメ「サザエさん」放送開始されました。

愛知音楽エフエム放送(現FM AICHI)開局しました。

名古屋市の人口が200万人を突破しました。

昭和45年(1970年)

大阪万博大阪で日本万博博覧会が開催されました。

「日航機よど号ハイジャック事件」が起きました。

ケンタッキーフライドチキンが名古屋(ダイヤモンドシティ名西店)に第1号店を開店させました。

昭和46年(1971年)

横一文字葺き平板化粧スレート「フルベスト」が松下電工外装(現在ケイミュー)から発売されました。

仮面ライダーの放映が開始されました。

マクドナルド日本第1号店「銀座店」がオープンしました。

日清食品が「カップヌードル」を発売しました。

塗装機器メーカーである精和産業株式会社が設立されました。

テレビ「8時だヨ!全員集合」が視聴率50パーセント(昭和46年1月23日)を記録しました。

東京都の多摩丘陵に大規模開発された「多摩ニュータウン」入居開始されました。

江夏豊がプロ野球オールスター戦で九連続奪三振を記録しました。

昭和47年(1972年)

横井庄一氏がグァム島で発見されました。

列島改造計画が策定されました。

日本テレビ系で、刑事ドラマ『太陽にほえろ!』放送開始されました。

名古屋市高速道路が工事着工されました。

中国政府からパンダ2頭が贈られました。「パンダブーム」が起きました。

昭和48年(1973年)

第一次石油ショックが発生しました。

幻の動物「ツチノコ」ブームが起きました。

全国各地でトイレットペーパーの買い占め騒動が発生しました。

昭和49年(1974年)

ニチハより、窯業サイディング「モエン」発売されました。

沖縄が返還されました。

第一次石油ショックが起きました。

コンビニエンスストア「セブン-イレブン」が東京都江東区に第1号店を出店しました。

巨人の長嶋茂雄選手が、後楽園球場の対中日ダブルヘッダーを最後に引退しました。

長崎県の炭鉱「軍艦島」が閉山しました。

「ユリ・ゲラー」の超能力やオカルトが一大ブームになりました。

昭和50年(1975年)

沖縄国際海洋博覧会が開かれました。

イギリスのエリザベス2世夫妻が日本を訪問しました。

第1回先進国首脳会議(サミット)が開催されました。

名古屋市で16区制が実施されました。

子門真人の「およげ!たいやきくん」が大ヒットしました。

エポック社が日本初の家庭用テレビゲーム機である「テレビテニス」を発売しました。

愛知県小牧市にて「住まいの塗り替え専門店小林塗装」店主小林ゆず誕生

昭和51年(1976年)

名古屋市千種区から名東区、昭和区から天白区が分区されました。

まるか食品から「ペヤングソースやきそば」発売されました。

カルビー「ポテトチップス」が発売されました。

昭和52年(1977年)

第1回マルテー祭が開催されました。

名古屋市博物館が開館しました。

アメリカのロック歌手「エルビス・プレスリー」が42歳で亡くなりました。

昭和53年(1978年)

キャンディーズが後楽園球場の「ファイナルフェスティバル」を最後に解散しました。

名古屋のラーメン甘味処寿がきや「ラーメンフォーク」が誕生しました。

東京池袋に新都市開発センターの「サンシャイン60」が完成しました。

映画「サタデーナイトフィーバー」の影響で「ディスコブーム」が起きました。
ちなみにサタデーナイトフィーバーは、「ブルックリンのペンキ屋で働く青年」トニー(ジョントラボルタ)が主人公です。

昭和55年(1980年)

巨人の王貞治選手が現役引退しました。通算本塁打数868本は、世界最多記録です。

ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議し、日本・アメリカ・西ドイツ・中国など50か国近くがモスクワオリンピック不参加を表明しました。

イラン・イラク戦争が勃発しました。

株式会社大三機工商会(現、株式会社ダイサン)が国内初めての、くさび緊結式足場である「ビケ足場」を開発しました。

昭和58年(1983年)

東京ディズニーランドが開園しました。

TVドラマ「おしん」が大ヒットしました。

「キン肉マン消しゴム」が大ヒットしました。

「積木くずし」がベストセラーになりました。

男性の「テクノカット」が流行しました。

昭和59年(1984年)

第1回名古屋国際女子マラソンが開催されました。

名古屋市で「新世紀・名古屋城博」が開催されました。

グリコ・森永事件が起きました。

1万円(福澤諭吉)・5千円(新渡戸稲造)・千円(夏目漱石)の新札が発行されました。

昭和60年(1985年)

ファミコンソフト「スーパーマリオブラザーズ」が発売されました。

日本の総人口が、約1億2100万人になりました。

名古屋市東山動物園にコアラがやってきました。

昭和61年(1986年)

男女工機会均等法が制定されました。

チェルノブイリ原子力発電事故が発生しました。

ファミコンソフト「ドラゴンクエスト」が発売されました。

東山動物園で国内初のコアラが誕生しました。

昭和62年(1987年)

国鉄が民営化されました。JR7社が発足されました。

昭和63年(1988年)

信和株式会社がくさび緊結式足場「キャッチャー」が製造販売を開始しました。

青函トンネルが開通しました。

瀬戸大橋が完成しました。

ドラゴンクエストⅢが発売され、社会現象にまでなりました。

平成元年(1989年)

昭和から平成に元号が替わりました。

名古屋市にて世界デザイン博が開催されました。

消費税(3%)が導入されました。

三菱地所がアメリカ のロックフェラー・センターを買収しました。

川崎市の男性が林でおよそ1億円の札束を発見しました。後日、その林で9000万円が見つかりました。

12月29日の東証の大納会で日経平均株価が史上最高値の38,957円44銭(同日終値38,915円87銭)を記録しました。

「ジュリアナ東京」ブーム

「おやじギャル」「コギャル」が流行語になりました。

「ポケベル」ブーム

デジタル携帯電話のサービスが開始されました。

平成2年(1990年)

礼宮文仁親王が川嶋紀子様と結婚、秋篠宮家を創設されました。

「イケイケファッション」が人気になりました。

武田薬品「アリナミンV」ドリンクのコマーシャルが話題になりました。

「アッシーくん」「おやじギャル」「成田離婚」といった言葉が流行しました。

平成4年(1992年)

名古屋港水族館が開館しました。

バルセロナリンピックが開催されました。

東海道新幹線で「のぞみ」が運転開始しました。

「アニエスb.」が大ブームになりました。

平成5年(1993年)

エフエム名古屋(現ZIP-FM)が開局しました。

横浜レインボーブリッジが開通しました。

関西国際空港が開港しました。

平成7年(1995年)

阪神・淡路大震災が起こりました。

マイクロソフトが「Windows 95」日本語版を発売しました。

平成9年(1997年)

消費税(5%)が導入されました。

地球温暖化防止京都会議が開催されました。

11月16日(いいいろ塗装の日)が日本塗装工業協会によって制定されました。

消費税が3%から5%に引き上げられました。

名古屋市東区に「ナゴヤドーム」が竣工されました。

平成10年(1998年)

長野オリンピックが開催されました。

平成11年(1999年)

中日ドラゴンズが1988年以来11年ぶりとなるセ・リーグ優勝をしました。

パイオニアがDVDへの録画・再生を可能にしたDVDレコーダーを発売しました。

名古屋駅前にJRセントラルタワーズが竣工されました。

平成12年(2000年)

東海地方で記録的な集中豪雨がありました。

紫式部を肖像とした「二千円札」が発行されました。

女子マラソンの高橋尚子選手が大会新記録で金メダルを獲得し国民栄誉賞を受賞しました。

平成13年(2001年)

「東京ディズニーシー」がオープンしました。

平成14年(2002年)

日韓ワールドカップが共催されました。

平成15年(2003年)

地上デジタル放送が開始されました。

平成16年(2004年)

アテネオリンピックが開催されました。

中日ドラゴンズが1999年以来5年ぶり6度目のリーグ優勝しました。

名古屋市営地下鉄名城線がループ運転を開始しました。日本初の地下鉄環状運転です。同じく名古屋市内で、あおなみ線が開通しました。

平成17年(2005年)

愛・地球博愛・地球博が開催されました。

常滑沖に中部国際歳空港が開港されました。

郵政民営化が実施されました。

平成19年(2007年)

郵政民営化がスタートしました。

平成20年(2008年)

世界金融危機が起こりました。

平成22年(2010年)

小惑星探査機「はやぶさ」が地球に帰還しました。

名古屋開府400年を迎えました。

平成23年(2011年)

東日本大地震が起こりました。

平成24年(2012年)

東京スカイツリー(高さ634メートル)が完成しました。

牛レバー刺身の提供が食品衛生法により禁止されました。

小林家長男小林家長男が誕生しました。

平成25年(2013年)

東富士山が世界文化遺産として登録決定しました。

イチロー選手が、日米通算4000安打を達成。

平成26年(2014年)

2014年4月1日から消費税率が『5%→8%』へと上がりました。

『STAP細胞』が発表されました。しかし、顛末は。・・・

8月11日を『山の日』として、祝日となる事が決まりました。

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